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現代を中国古典で解釈!コミュの私たちが忘れてしまったもの!?

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日本人の教養ある人は、中国古典を勉強したものだそうです。
だから、どうだというわけでありませんが、
これを学ばないのは、本当にもったいないと思います。

現在は機械が発達して大変便利になりましたので、なんでも出来てしまう様な錯覚に陥ってしまいます。

しかし、最後の所は人間です。便利な機械を使うのは結局は人間でしかないのです。
現在の教育システムでは、その人間を鍛えるということは、なおざりにされているような気がします。

でも、どうやったら人間のことが学べるのでしょうか?

それは、経験者に語ってもらうのが最良な方法の一つだと思います。
若い私には、古典の言葉的な意味はわかっても、そこに含まれることは理解できませんし、想像もつきません。

そこで、このトピックでは、鬼道さんにお願いして、トピックの軸になっていただくことを了承していただきました。鬼道さんは、私の思想の先生であるので、私の個人的な考えです。

言葉だけの解釈で、表面だけの理解に終わらないためにも、人生経験を踏まえて話していただけたらなぁとおもいます。

最後にこのトピックスの趣旨をまとめます。
・人間とは何ぞや?人間とはどうあるべきか?を中国古典の言葉によって探っていくこと
→(今の社会の乱れの根本は人間の乱れにあると考えるから)

・トピックの軸を鬼道さんにしていただくということ
→(言葉だけの表面的な理解で終わるのを避けて、根本的な所から考えていきたいということ)

・イメージとしては、先生(鬼道さん)と生徒(参加者)の講義といったようなものです。質問、意見などはそのような感じでお願いします。

・出題は限定しません。質問のある片は中国古典からお願いします。

コメント(25)

まずは、思い出の文章から
「古の明徳を天下に明らかにせんと欲するも者は先ずその国を治む。その国を治めんと欲する者は先ずその家を斉う。その家を斉えんと欲するものは先ずそのその身を脩(修)む。その身を脩めんと欲する者は先ずその心を正す。その心を正さんと欲するものは先ずその意を誠にす。その意を誠にせんと欲するものは先ずその知を致む。知を致むるは物に格(至)るに在り。

物格りて后知至まる。知至まりて后意誠なり。意誠にして后心正し。心正して后身修まる。身修まりて后家斉う。家斉いて后国治まる。国治まりて后天下平らかなり。」です。

これは、去年の冬に私が講義をして、トンチンカンな解釈をしてしまった『大学』の文章です。

まずは、これから始めるしかないと思います(苦笑)
人間は、誰しもが天下国家を治めようなどとは、思っていないかもしれませんが、自分のことを成長させようとするとおもいます。

現在私たちは勉強といったら、学校で本を読んで理解するのを勉強と思っています。

しかし、中国古典ではまずは物事に当たれといっているのだと思います。

車の運転にしても、講義を聴いても分かったようでもわかりません。まずは乗ってみて、エンジンかけてみて、動いて初めてわかる、その時に教官の注意している意味が分かるのだと思います。

それは、五感で感じるしかないということだと思います。ブレーキの感触、アクセルの感触、車からの視界の感触、ハンドルの感触などなど、言葉にできないことがたくさんあるので、まずはそれを感じて、やっと言葉にできることで整理して覚えていくというふうにつながっていくのだと思います。
 ごめん、始まっているのに気付いていなかった。

 『大学』から始めるんだね…。

 さて、どこから話せば良いのかな…?

 フム、そうだね、「政治」を志す人や「事業」を立ち上げようとする人は、多くの人々の上に立つことになるから、「明々徳」から理解することだろうね。

 自分を立派な人間に育てたいと願う人は、「格物」から始めることだろうね。



 この「明々徳」から始まる文章と「格物」から始まる文章は、対になっている。広い世界から個人である自分に到るのが明々徳から始まる文章。個人から広い世界に到るのが格物から始まる文章。


…そうだね、『大学』か…。私自身、「若者小屋」では、孔子の書を余り勧めてこなかったが、大学だけは読んでおくように言ってきたね…。

 それは、『大学経』の中に含まれる(ハラッチくんが取り出している)部分を、是非修得してほしいと願っていたからだ。

 人間というのは、本当にか弱い存在で、殊に男は、女に比べ、すぐに迷い、惑ってしまう存在だ。女が大地に根ざしているとすれば、男は、宙を漂っているようなもので、この世界を理屈でしっかり理解出来なければ、女性の安定感に対抗しようのない不確かな存在に陥ってしまう。

 その不確かな存在を少しは確かな存在にしてくれるのが「身を修める」という行為だろう。その「修身」の仕方を説いたのが「格物」以下の文章ということになる。

 「格物致知、誠意正心、修身斉家、治国平天下」

 これは、憶えやすくするために日本人が骨子のみを書き出したもののようだが、確かに憶えやすいので、これで憶えておくと便利だと思う。ただ、この文章一つとってみても、朱子と王陽明とでは理解の仕方が違う。朱子が人間の働きかけを前面に出さないのに対して、王陽明は能動的に理解する。

 「格物」を朱子学者は、「物いたりて」と読むが、陽明学者は、「物きわめれば」と読む。私は、どちらか言うと、王陽明の方が膚に合う。

 それでは、王陽明的に意訳してみよう。
「物事を詳しく研究しなさい。そうすれば、知識を得ることができる。知識が得られたなら、意は誠になる。意が誠になれば、心は正しくなる。心が正しくなれば、身は修まる。身が修まれば、一族を斉(ととの)えることができる。一族をととのえることができたなら、一国を治めることができる。一国を治めることができたなら、世界を平和に導くことができる」、と、なる。
ありがとうございます。

この、物事を詳しく研究するというところが、誤解しやすいですよね。

今、私は刃物と砥石に興味をもって、遊んでいるのですが、
やはり、私は先にそれに関連する本を読みたくなりますものね。

砥石の何番という意味がいったい、どのような意味なのか、本を読んで理解できました。

本来ならば、自分の手触りで、砥石の荒さを感じるしかないのですよね。

実際、天然石は、番号が明確にはつけられないそうですもんね。

しかし、本を読むことによって、間違いやすいところが教えてあるので、それは失敗せずにすみますけどね。

本当は、全部いろいろ試した上で、本を読むのがよいのでしょうが…。

実際に格物 知至 をしているのは、幼児ぐらいなものかとおもわれます。

それでも、いまは大人がなんやかんやと手を出しすぎるのかぁぁ・・・。
 やはり気付いたね。乳幼児が、最も「格物致知」を実行してることを。それに気付くと、子どもとの付き合い方も、うんと上手くなるよ…!
すみません・・・今まで気が付きませんでしたw
孔子ですか・・・難しい話題ですね。
自分は孔子は読んだ事は無いのですが、論語ならあります。
論語は記憶力のいい弟子がまとめたらしいですね。
孔子も読んで見ようかな、受験が終わったらですが。
流石鬼道さんですね分かりやすいですw
これからよろしくお願いします。
 呉起さん、お久しぶり。ハラッチくん共々、一緒に勉強しましょうか…。

 さて、それでは「格物」から始めましょう。

 「格物」…物事を詳しく究めてゆくことだが、幼児の学習が「格物」そのものだ、と、ハラッチくんが言っているように、人が幼児期に示す「世界を知ろう」とする貪欲なまでの学習意欲は、3歳までに人生の核心部分の知識の大半を吸収させてしまう。あの凄まじいエネルギーで、その後も学習するとすれば、人間の能力とは、どこまで伸びるか分からないのだが、そうはならない。ほとんどの人が小学校入学以降、勉強嫌いになって、学習しなくなってしまうからだ。

 何故、嫌いになるのか…? 嫌いになるようなシステムになっているからだ。

 『エエッ…?』って、思うかな…? 当然のことだ。学校は、学ぶところだと思い込んでいるんだからね。違うかな…?

 ほとんどの人々は、そのように善意に解釈する。しかし、私は(臍曲がりだからね)、そんな風には、理解していない。

 『学校とは、8割以上の子どもを、勉強嫌いにするため、為政者が設けた罠』、と、解釈している。

 考えてみてほしい。学校というところは、「既成概念」を丸暗記するよう強制するところで、乳幼児がそれまでしてきた学習、つまり「格物」とは、真逆の行為だ。しかも、それに従うよう「強制」するわけだから、嫌いになって当然のことだ。

 何故、八割もの子どもを勉強嫌いに陥れるようなことをするのか…? 国が、子どもたちを選別するためであるとともに、自分は、勉強が嫌いでやらなかったから、出来なかったから、仕方ないんだ、と、思い込んで、低位の社会的地位と低次元の仕事で我慢してくれることが狙いなんだ。そんなシステムを為政者たちが組み上げている、と、理解している。

 もし、幼児期同様、子どもたちが「格物」を続けたとしたら、どんな秀才たちが、どれほどの量、現れてくるかしれない。そのことを、この国の支配層は恐れ、潰しにかかっているのだ。自分たちの支配権を覆される恐れがでてくるから。幼い段階でそれを摘み取っておこうとしているに過ぎない。そう理解している。

 ハラッチくんも、呉起さんも、分かるだろうが、「格物」とは、恐ろしい作業だよ。すべてのものの真実を見極めてゆく作業だからね。それを突き詰めていったら、この国を成り立たせている「虚構」がすべて白日の下で見るように明確になってしまう。国民の大半が、このように理解するだけの聡明さになったのでは、この国の体制を維持することが出来なくなる。それを阻止するため、国民の大半を愚民化する機構として今の公立の「学校制度」がある、と、考えている。

 今の社会は、一見、自由で、民主主義社会のように見えるが、0.4パーセントの人々が、この国の資産の30パーセントを保有し、4パーセントの人々が40パーセントの資産を有し、残りの95パーセントの人々が30パーセントのおこぼれ資産を分け合っているに過ぎない。そんな不平等社会であるのが現在の日本で、それをすべての人が知ったとしてら、「どこが平等な社会か。どこが民主主義か…!」、と、95パーセントの庶民は、怒り出すことだろう。知られては不味いのだ。

 格物は、それを白日のもとに曝し、理解させてしまう。それを糊塗するためには、国民の大半を学ぶことが嫌いな性格に仕上げれなければならない。それが、今の「学校制度」ということになる。
鬼道さん

「格物」って面白いですね。
いままで聞いた事も無かったですよw
今自分は受験シーズンで、気合入れたいんですが思うように気合が入りません。
やるぞと言い聞かせてやっと出来るくらいです。
学校ではきちんとやっているんですが・・・
そんな理由もあるかもしれませんねw
本当は大学なんて行かないで兵法やって農業やってれば自分としては満足なのですが。
自分の祖父は農業ですが大変だと聞いたり、自分だけやっても意味が無いと思うのでやめましたw
それによく誰かに食物自給率が少なすぎると言うと、必ず、日本は面積も小さく、農作に向かないから仕方が無いと言われていますが、約三分の二を他国に頼ると言うのはありえないと思います。
世界が乱れた時に分かるでしょうが北朝鮮のようになります。
外交が円滑だといっても、その他国が、自国(他国自身)の面倒しか見られなったらどうするのでしょう?
他国の工作によって仲違いしたらどうするのでしょう?
考えるだけで寒気がします。
政治家は金があるのだから土地を買って農業を率先してやるべきだと思います。
ですが、自分は一応まだ子供ので、夢があるので、それを追っかけて失敗したらそっちに行こうかと・・・w
政治学を学ぶ学校ってあるんですかね?
経済学部とかなら知っていますが・・・
兵学も学びたいし、情報科にも行きたい。
法家も学びたいし道家も学びたい。それで、それを職にしたい。
やりたい事だらけですw
最後に北朝鮮の批判ですが(ウツリョウシから)「戦いによりて不義を討つ」と言う言葉ですが・・・
(罪のない国には攻撃を加えず、抵抗しない人民は殺さない、戦争はそもそも、そうあるべきものだ。
ところが、平気で人の親を殺し、人の財貨を奪い、これでは盗賊の所行と少しも変わりがないではないか。
戦争とは、あくまでも暴虐を罰し、不義を討つための手段にすぎない。
指導者たる君主がよくその事を肝に銘じていれば、軍の進駐するところ、農民は農事に、商人は商売にいそしみ、官吏もまた、役所にとどまって、ともに平和な生活を楽しむことができるのである。
したがってこのような君主は、あえて武力に訴えずとも天下万民の心をとらえることができるのだ。)
です。
ちなみに、皆さんのこの文の解釈も聞きたいのですが・・・w
意見よろしくお願いします。
しかし、格物の一番の問題は、失敗したときの対応だと思うのですが、そこのところはどうなのでしょうか?

例えば、ナイフで遊ぶにしても、指を怪我するぐらいですむならばいいのでしょうが、

キノコの採取では、毒キノコをためしに食べて、しまってはおしまいになると思います。

そのためには、やはり先人の知恵を先取りするのも必要になると思います。食べ物なんて、特にそうだと思います。森の野草なんて、ぜったいに試しに食べてみようかとはならないとおもうのですが・・・?

やはり格物知至は、ふたつでワンセットなのではないでしょうか?
 ハラッチくん、「格物」は、先人の知恵を少しも否定していないでしょう。丁度、幼児が両親の言葉を聞いて学んでゆくように。

 本を読むのは、当然のことでしょう。自分は、観察の中から、このような結論に到ったが、先人たちは、このことにどのような結論を与えていたのか、と、調べようとするのが当然の行為でしょう。一個人が経験できることなど、ほんの僅かなことに過ぎないのですからね…!


>呉起さん、人生は、望むように生きたら良い、と、思います。しかし、大学は、行った方が良いでしょうね。何故なら、大学に行って、いかにレベルの低いことをしているか、ということを理解すれば、大学に行かずに、大学というところで、とんでもないほど高レベルのものを学んでいるのではないか、という迷妄に囚われることがないからです。そのためだけでも、大学に行く必要があります。まあ、大学に行ったら、ガッカリするのが、オチですがね。
鬼道さん

そうなんですか。
自分は就職口と資格さえ取れればそれでいいのでw
馬鹿な大学でも行きたいです。
情報系といったら偏差値大体45〜54くらいなので落ちるとどんどん落ちますw
今の内にがんばらねばw
北朝鮮の批判のほうは気にしなくていいですよw
ただの理想論ですから。
解らない人もいるでしょうし・・・
自分は、それが上に集まったのがあの国だったと解釈しています。
それだけではないかもしれませんが一晩考えてみて思いました。
そうなんですよね。

やはり、自分の観察の結果をもって、本に望まなければいけないということですよね。

そのバランスが大切なのですよね。あくまでも順番は格物 で、知至なんですよね。

生活から浮いてしまうと、それが逆転してしまい、口先だけの人間になってしまうということですよね。

>呉起さん

大学は、入ってからどう過ごすかだと思いますよ。
高校までの与えられて学ぶ方法から、
自主的に自分で掴み取らなければいけない方法にいきなり変わりますから。

私もけっこう好きな事をして過ごしましたから、悔いはありません。本も頑張って読みましたしね(苦笑)
後ひとつだけやっておけばよかったなぁとおもうのは、パック旅行です。

格物ができないで、知至ばかりの生活だということに早く気づいたら、結構見方は変わると思いますよ。
 さて、それでは、「格物」の方法、手段、内容について、少し検討してみることにしましょう。

 「格物」、つまり物事を詳しく究めてゆくといっても、どのようにすれば格物になるのか分かりませんよね。ところが、現代に生きる私たちは、有難いことに、「科学の方法」を持っていますし、物事を実現して行くための方法をも知っています。それを利用してみることにしましょう。

 科学の方法は、五段階からなります。?観察(観測)、?推論、?仮説、?検証(実験)、?結論、の五段階です。

 私たちを取り巻く世界を「観察」することは、乳幼児が最も得意とするところでしょう。しかし、ただ眺めているだけでは、折角の観察も記憶のかなたに消失してしまいます。そこで、消失させないために「メモること」が重要になります。観察したことは、可能な限りメモしまくること。絵で捉えておいた方が有効なものは、スケッチしておくこと、と、なります。とにかく「メモ魔」になることです。

 メモされたものの間に共通するものを分類・整理し、分析することが次の「推論」という作業になります。

 この分類・整理し分析する作業を実行する際に、『イデア・フローチャート』を利用すると、非常に分類するにも、整理するにも、分析するにも有効に役立ってくれるでしょう。(I・フローチャートについては、別の機会に詳しく話します)。

 さて、このようにして分類・整理、分析にかけて、出てきた一つの答えを、「仮説」として纏めます。

 次は、検証です。

 自然科学の場合なら、実験が可能ですが、社会科学の場合は、実験は不可能ですので、仮説を傍らに置いて、今一度、検証のための観察、過去の記録、他の研究情報の検索と検証など、自分が推論の結果出した「仮説」が、原理なり、法則なりに該当するものかどうか検証してゆきます。

 過去の歴史上の事実、検証のための観察、他の研究者からの報告などから、自分が纏めた「仮説」は、原理や法則として十分な条件を備えている、と、判断すれば、原理や法則として、自分の「思想」に組み入れてゆきます。


 格物の「方法と手段」については述べました。内容について、少し検討しようと思います。

 「世界を捉える」といっても、ただ闇雲にやっても効果は望めません。乳幼児のように、身近な世界から、渦巻状に学習の範囲を広げてゆくのも一つの方法ですが、これは、ある程度の年齢になった時には、すでに既知のものばかりになって、何をすれば良いのか分からなくなります。それで、二つの軸を設けて、この世界を捉えることにします。時間軸と空間軸です。

 時間軸(時系列)は、現代という時代を時間の流れの中で捉え、空間軸(空間列)は、現在の世界を空間的な広がりとして捉える軸です。

 時系列は、歴史の流れとして多くの記録が残っていますから、そこから学べば良いでしょうが、これも、古代まで遡ると範囲が膨大化しますから、現代に直接関る「ルネッサンス」以降の、しかも、「思想の変遷」のみに限定したほうが良いでしょう。

 空間列は、五つに分類して捉えます。広大無辺の宇宙、その中の太陽系、太陽系の中の太陽と地球と月、それを「自然」と捉えます。その中で誕生した「生命」系。生命系から誕生した「人類」。人類が形作ってきた「社会」。社会の中で生きている「個人」の五つです。逆転させると、?個人、?社会、?人類、?生命系、?自然、ということになります。

 この世界を捉えるために「格物」してゆく作業の内容は、時系列と空間列の内容も限定することによって、その作業内容も明確化することが出来るわけです。
>私たちを取り巻く世界を「観察」することは、乳幼児が最も得意とするところでしょう。しかし、ただ眺めているだけでは、折角の観察も記憶のかなたに消失してしまいます

>乳幼児のように、身近な世界から、渦巻状に学習の範囲を広げてゆくのも一つの方法ですが、これは、ある程度の年齢になった時には、すでに既知のものばかりになって、何をすれば良いのか分からなくなります。

なるほど、分かりました。私の格物は、あくまでも乳幼児の格物しかイメージできていませんでした。

そうかぁー、となると私がテーマとして捕らえている3つのものも、時系列と空間列でとらえなおさなければいけないということですね。

格物とは、ただ目も前にある現物と接することだけを言うのかと思っていました…。
 あえて言えば、今、我々が使っている「科学的合理主義」という手法は、人類全体で「格物」をやっている、と、考えたらいいんだろうね。

 自分だけで出来る「格物」はしれている。過去の人、現在の人、様々な人々が行ってきた格物を参照することだろうね。

 その心がけで書物を読めば、まったく理解するところが変ってくるはずだよ。

 面白いね、「格物」というのは、民主主義の根本的な「方法論」なんだから。古代の賢人の言った言葉に関らず…!
格物について 思ったこと

今回山登りで焚き火を練習しました。
いままでの失敗とは違い、今回はうまくいきました。

それは原理がわかったからです。
火が燃えるには、その空間の温度が高くなければいけません。
そして、酸素 そして燃えるものがなくてはいけないのです。

これは教科書に書いてあることです。それが実際にやってわかりました。

しかし、ライターやマッチで紙を燃やすことばかりしてきたので、木を燃やすということがわからなかったのですね。

それが分かれば、なぜ油を長時間火にかけておくと、発火するのかが分かりました。

前までなんで、火をつけないのに自然発火するのかわかりませんでしたもの。

アテネの聖火をつけるときも鏡から採火するそうですけど、その意味もようやくわかりました。

しかし、格物知至は時間のかかる作業ですね…。
 そう、時間がかかるね。そして良き指導者も必要。

 ハラッチくんが良き指導者になってくれることを期待しています。
 時系列の「格物」は、若い人の場合、ほとんど書籍で行う以外ないだろう。いわゆる「歴史」として。ただ、歴史の概説書を読むことで歴史を理解したことにはならない。それは、ある人の歴史認識にもとずいてマトメられたものでしかないから。

 そこに出てくる「参考文献」の方が重要で、その時代の人が書いた書籍から学ぶことだね。殊に「思想」の変遷を追うのは大切なことだ。

 空間列の「格物」は、五つの概念規定を、それぞれ年数をかけて研究してゆくことだと思う。

 ?「個人(ヒト)」というものを、どのように捉えるか、?「社会」というものを、どのように捉えるか、?「人類」というものを、どのように捉えるか、?「生命系」というものを、どのように捉えるか、?「自然」というものを、どのように捉えるか、ということを、同時並行で行っても良いし、個別に行っても良いが、それぞれ格物してゆくことだね。

 若い人たちに「メモ魔になれ」、と、よく言うのも、個人(自己)を捉えるのに、想念に流れることをメモることで、ソクラテスの「汝自身を知れ!」ということを具体化することが出来るからだ。

 他の四つも、観察したこと、感じたことをメモしまくることだね。メモしまくったものを分類整理することによって、それらのことを「格物」してゆくことに繋がると思えるから…。
 『致 知』

 「古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ずその国を治む。その国を治めんと欲する者は、先ずその家を斉(ととの)う。その家を斉えんと欲する者は、先ずその身を修む。その身を修めんと欲する者は、先ずその心を正す。その心を正さんと欲する者は、先ずその意を誠にす。意を誠にせんと欲する者は、先ずその知を致す。知を致すは、物に格(いた)るにあり」

 「大学」の中で八条目を述べた言葉である。「致知格物」、つまり「知を致すは、物に格るにあり」の「致知」であり、「格物致知」、「物極めれば知識を得ることが出来る」、の「致知」である。

 今、私たちの住む社会は、物事の専門家と言われるような人々も、ほとんど物事を極めている人というのは殆んどいなくなって、「有名になりたいから…」とか、「金儲けがしたいから…」とか、目的がまったく別で、そのことに関しては、表面をかすっているに過ぎない人々がほとんどである。

 孔子の言う「格物」は、その意味で厳しいし、「致知」に到っては、もっと手厳しい条件を課すことだろう。

 「知る」という行為にも、様々な態様がある。「聞いて知っている」、「本で読んで知っている」、「テレビで見て知っている」、「過去に体験して知っている」、「現在、体験していて知っている」、「研究して知っている」、の六態様である。

 「知識」の知は、これら六態様すべてを含み、それぞれを知識として織り成してゆく。しかし、「格物致知」の知は、この六態様の内、「研究して知っている」という意味で、単なる知ではない。その点で、厳しいものがある。

 その点では、現代人は、ほとんどの人が「致知」には到っていないことになろう。
しばらく、ご無沙汰になっておりました。

中国古典に関する書物を紐解いて、読み直しておりました。

読み込むと結構夢中になるものですね。

今回は、「人を知るものは智なり、自ら知るものは明なり」『老子』を取り上げてみました。

訳すると、「人を知るものはせいぜい智者のレベルにすぎない、自分を知るものこそ明知の人である」

中国人も、己を知ることをとても大切にしているんだと思います。
ソクラテスの言う、汝 自身を知れ のように、学問の大切なところは、やはり己を知ることだと思います。

しかし、今の学校では、自分とは関係のなさそうなことばかり勉強ばかり。

つくづく家庭教師をしていて思います。
学校を卒業して、から彼の教科書を読むことは大変面白いのですがね。

教科書が無駄なのではなく、その前にやることがあるでしょうといいたいですね。

もっと自分に関することをやりなさいよって。


しかし、老子でも、どうやって己を知るのかその方法論が書いてないのがもどかしいですね…。

それは口伝だったのかなぁ。
すごくお久しぶりです^^;
弟にPCを譲ってからはMIXI覘くことが少なくなってしまいました。
ひとつ聞きたいのですが、朝鮮半島は約千年間中国の植民地?奴隷国?支配下?になっていたそうですが、どの時代からでしょうか?
話がずれてすみません
知っていたらでいいので教えてください。
あと大学の話ですが、やっぱり情報関係の学部のある大学を目指そうと思います。
勉強もメモをとって後で整理することが大事みたいですね。
大学へ行ったらゲーム関係の事を学びたいです。

あと鬼道さん
友達登録してもらえますか?
色々良い感想が聞けそうなので^^
あと最近は朝鮮半島の歴史にはまっています。
「韓国併合への道」
と言う本もアマゾンで今日買ってみました。
届くのはまだ先になりそうですが^^;

さて本題に入ります。
今日今まで読めなかった内容を全部読ませていただきました。
速読なのであまり頭に入っていませんが^^;
自分も孔子の本を読んでみたくなりました^^
今度書店で見つけて買ってみますw
それはまた時間があれば
なるほど。確かに言われてみると難しいですね。

例えば、席を譲ろうとするとき、人前で席を譲るのを恥ずかしいど、

お年寄りを前にして、席を立たないほうが人として恥ずかしいので
勇気をだして
「どうぞ」って譲ることなんでしょうか?

まだ、どうなんだろうなぁ。
かみ合っていますかね。

でも、言葉で考えるより実感として分かるまで、その疑問は持ち続けたほうがよいのではないでしょうか?

感覚的にわからないものは、わかるまで待つ。

頭だけで理解することのほうが恐ろしいような気が最近はします。

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