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地図が好きな人の会コミュの意外な位置関係

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埼玉県熊谷市が、長野県の諏訪湖よりも北に位置してるのって、少し意外な気がしませんか?。
また、日本海に面した京都府舞鶴市が東京よりも南にある事や、成田空港よりも南に甲府市がある事にも、気付いた時は一瞬「えっ?」と思いました。

頭の中の東西南北イメージは人それぞれなので個人差はあると思いますが、イメージと実際の位置関係が違ったという経験や発見はみんなあるのかなぁ…と思いトピ立ててしまいました。皆様の「えっ?」があればぜひ教えて下さい。

コメント(637)

>596 青桐(あおぎり)さん

ははは!同じことを考えた方がいらして(そして同じく最後に謝る)ウレシイでするんるん
私も、シャトルより線路つなげばいいんじゃん?って、一瞬でも考えた己を反省中ですバッド(下向き矢印)


>597 harvestさん

いや、400キロちょっとらしいです。で、ちょこっと検索してみたら、中央道経由のほうが似たような
距離かもしれません、ってことは車でも行けちゃうかもですよ!(←激違っ!)
↑うっあせあせ(飛び散る汗)ごめんなさい。よく考えたら遠回りの中央道経由じゃなんの例えにもなりませんね(>_<)失礼しました(>_<)。とりあえず、案外近いんだという話でした。
>青桐(あおぎり) さん
>きむちん さん

>とりあえず、案外近いんだという話でした。

こんだけ「近い距離だ」、って思うと
「妙に宇宙が身近に感じる」のは私だけ??
>600 harvestさん

> 「妙に宇宙が身近に感じる」のは私だけ??

ああなるほど!ISSが案外近いんじゃん、というより、宇宙が身近なんですね。ステキですねその考え方ぴかぴか(新しい)。私もそういう認識に改めマスるんるん
私も宇宙の身近さに大変驚いています。
昔コロンビアが周回飛行中に、横浜のビルの屋上から肉眼で見たことがありますが目
あんなに光っていたのに300km以上離れていたのかと思うと、
逆に不思議です。

またカーナビで使っているGPS衛星は高度2万kmで、地球の半径の3倍ぐらいになりますか。
米国のGPSを補完する日本の準天頂衛星は36,000kmのようです。

このコメントは、
昨日の皆さんの「近さ」の感動からも、地球からもどんどん離れてゆく。
なるほど、GPS衛星はもっと高いところ(私がもともとイメージしていたあたり)を飛んでいるわけですね。一方、国際宇宙ステーションは地球すれすれを飛んでいる感じですね。
これまた、この違いに驚き!
>604 まりぽささん

私も605のえすめっくさんと同じく、その位置関係にびっくり!です。今まで人工衛星の高さにそんなに関心なかったんですが(スミマセンあせあせ(飛び散る汗))、こうあらためて説明されてみるとへえええ…と驚くばかりです。

ってことは、うちのカーナビはそんな遠くの衛星と通信してるのでしょうか??私の携帯もそうなんでしょうか?おおおーぴかぴか(新しい)まるでどらえもんの世界ですね。

ところで、例にあげておられる衛星(後者は『みちびき』でしょうか)どちらもこのコミュに密接に関係ある衛星ですねわーい(嬉しい顔)「どんどん離れてゆく」と仰いながら、実は近づいてるところがさすがです指でOK
山形県は日本海側の県ですが、山形市から直線距離で近い海は日本海でなく太平洋!!
ちょっと意外でした^^
>>[609]

それはやはり、札幌市が合併で拡がってきた歴史の結果でしょう。
手稲町とか琴似町とか。

「譲る」といっても、小樽は札幌より歴史が古い都市ですし。

写真:先々週の小樽発 手稲・琴似・札幌経由 苫小牧行き
>>[609]
>>[610] まさやさん


札幌から小樽に譲ったのではなくて、
石狩湾新港ができる際に小樽港の衰退を懸念する小樽市と石狩町の間で数年間にわたり綱引き状態にあったのが、1975年石狩湾新港地域の一部を石狩町から小樽市に割譲(境界変更)することで決着したとのことらしいです。

銭函4・5丁目が石狩町だったらしいです。
>>[611]

明確な説明ありがとうございました。
>>[612]
いえいえ、昨年石狩湾新港で仕事してたときに私も不思議に思ってWikipediaで調べてたんですよ。
高松市と山口市は、山口市のほうが南になるのは意外だったふらふら


今回の台風報道での雑感:

●1.このトピの見出しに諏訪湖との位置関係が書かれているので当然ですが、
 飯田【写真1】より熊谷【写真2】のほうがだいぶ北にあることをあらためて意識しました。

●2.北海道 別海町【写真3:国後島と】は、やはりNHKで「べつかい」と発音していました。
 正式な資料・データでは昔から「つ」なので気になっていました。
 ただし同町出身者と結婚した職場の同僚は今週も「べっかい」と言っていました。

これはなかなかすごい

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/a5/0da51b15d34df59439a55ac7d39bfc72.jpg
地図とはちょっと違うのですが、西武鉄道の所沢駅はびっくりです。
所沢駅で新宿線と池袋線が連絡するのですが、所沢から東にある新宿と池袋から来る列車が、駅の左右から入線してきてすれ違います。
地図を見たら駅の軸線が南北になっていて、そこで両線が交差するので、こういうことになります。
頭の中の地図と合わない現象に、最に見たときは驚きました。
>>[619]

その結果創業時(会社は異なっていた)から、
上り高田馬場・西武新宿行き【写真右】と
上り池袋行き【写真左】が
同じホームで乗り換えられるのは、メリットでした。

私は昔新所沢に住んで、所沢乗り換え池袋経由で通学しました。
補足:
国分寺〜東村山〜所沢〜本川越は明治中期に出来ました。
昭和の初め(だったかな?)に池袋線の会社が所沢を通る際、既存の所沢駅の位置に乗り入れるという条件で敷設が認可された結果、今のような線形になったと、どこかで読みました。
さらに補足:
現在西武鉄道でキャンペーンしている「開業100年」(=大正4年か。)が、池袋線のことです。
国分寺〜本川越のことは含まれていません。
>>[620]
コメント有難うございます。
新宿と池袋方面への乗り換えは便利ですよね。
最初からの計画と思ってましたが、半ば偶然の結果だったんですね。
>>[619]

 池袋線の前身の武蔵野鉄道は、先に開業していた新宿線の前身の旧西武鉄道(この前身の川越
鉄道が西武最古)と接続する際、入間川(今の狭山市)駅で接続する予定でした。

 しかし途中から計画を変えて、所沢駅で接続するようにしたので、現在の池袋線が所沢付近でS字
に曲がっているのは、当時の名残です。

 ちなみ所沢駅西側の道路を北に進み、そのまま道なりに行くと、西所沢駅の東側に出ますw
>>[624]
コメントありがとうございます。
なるほど、あの不自然なS字はそのようないわれがあったのですね。勉強になります。
当初計画では、秋津から先はどのように進むつもりだっんでしょうね。
初投稿です。分かっていても新鮮なので載せます。

東武線で浅草から西新井に向かうとき、そのまま北に向かうと思いきや、鐘ヶ淵で土手に向かって左に急カーブ。
そしてそのまま土手沿いに堀切駅を過ぎたら、急に左に急カーブ。牛田駅に到着。
そして牛田を過ぎたら、右にカーブ。
北千住に着くと方向感覚がおかしくなりがちです。逆方向も同じですね。
>>[626]@人生修復中さん

ご存じかと思いますが、
開業時にはゆったりとカーブしていた東武鉄道よりも後から
人工河川である荒川(土手:写真の白い柵)が出来たために、
両駅が急カーブになってしまいました。

なお北千住から下り方向も、荒川開削以前は西新井へ向け比較的まっすぐに北上、北北西へ向かっていたそうです。
 なお鉄道路線の不自然なカーブを理解する理由の一つですが、初期の鉄道は、大河川に対して
橋を斜めにかけるのが大変だったため、線路を曲げても直角に橋をかけていました。
阪急の三国、名古屋鉄道の矢田などに残るカーブは、その名残です。
>626 自己レスですが、、
子供の頃親に連れられて京成関屋から牛田に乗り換える時

「どうして東武電車って左方向に行くと浅草のような気がするのに、
北千住なのかな?」と不思議に思っていました。

そういえば土手とこんなに近い線路があるなんて言うのも、
東武線ならではですね。
>>[625]

鐘ヶ淵のカーブより
浅草駅そのものが北に向いてない・・なんで隅田川沿いを北上しなかったんでしょうね

もうひとつ、もっと謎なのは常磐線。
なんで上野からまっすぐ北上しないで、日暮里まで行ってから180度曲がって南千住に向かうんでしょうね
>>[630]

常磐線は、(明治時代に全部同じ「日本鉄道株式会社」でしたが↓)
先に現在の山手線や東北本線の部分が開通し、
(まだまだ上野〜東京がつながっていなかったため)
東海道から貨物列車が向きを変えずに済むよう田端経由で北千住方面へ向かっていた(今も主要貨物線として使われている)のが最大の理由です。

あとから今の日暮里の急カーブでつなぎました。

写真左下に常磐線の「0」キロポスト。
↑ 「写真右下隅に」の誤りでした。
>>[631]
ありがとうございます
ということはえーと赤羽から田端経由して北千住に行けたんでしょうか?
西日暮里の駅前、あまりに線路だらけで整理したくなっちゃいます・・
>>[633]

現在でも、
赤羽→
または
池袋→貨物線駒込→上中里付近スイッチバック→
田端操車場→まっすぐ三河島→
北千住(または隅田川貨物駅【写真、南千住駅前にて、去年】)
は貨物列車が走っています。

昭和37年の国鉄「三河島事故」(約160人死亡)は、
田端から隅田川へ向かう貨物列車が常磐線の旅客電車と当時平面交差だったために衝突したそうです。
↑補足:

・上記のルートで、鎌倉〜新宿〜池袋〜(上中里付近)〜(田端操車場)〜常磐線土浦方面の臨時電車に乗ったことがあります。

・田端操車場〜三河島と、尾久〜上野の本線(複々線)とは、立体交差です。
>>[630]
浅草から北に向かないのは歴史的経緯かと思われます。
北千住から曵舟〜亀戸とか、曵舟〜吾妻橋(後に業平橋現スカイツリータウン)までは明治時代にできていましたが、
隅田川を渡って浅草に入ってきたのは昭和になってから。
だから浅草から隅田川沿い…というのは選択肢に無かったということでしょう。
今みたいな形になったのはハナから松屋の浅草店が駅ビルになるように設計したのでらしいです。
 あと山手線の池袋〜田端も、元々は新宿方面〜池袋〜(今の埼京線)〜赤羽に対する支線として
後から作られたものです。当初は分岐地点を目白にする予定だったが、地形が複雑な為、当時何も
なかった僻地の池袋に設定したとか。

 これに限らず鉄道の分岐駅で本線がカーブし、支線が真っ直ぐだったら、元々支線が最初に作られた
というケースがほとんどです。

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