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カーネルの主張コミュの●関西人考察 〜がめつく発展する関西〜

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<説明(背景等)>
カーネルが22歳の時(平成6年)茨城県日立市の社内学校であった「私の主張」という発表会で発表したもの。

学校の生徒は123人中、関西人は2人。ちなみに当時のカーネルのあだ名は「関西」である。

当時は駐車違反摘発の商業化等誰も考えていなかっただけに特許を取っておかなかったことが悔やまれる(笑)

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平成6年6月16日
キK20 カーネルサンダース(本人)

<私の主張(第2回)>
「関西人考察」〜がめつく発展する関西〜

関西支社のカーネルです。
「関西人考察」と題し、私の主張を発表致します。

一般に関西の人はがめつい、こせこせしている、せこい、等と言われています。実際そうなのですが、何故なのでしょうか?
この事について関西人の性格、現状、歴史から考察したいと思います。
まず、関西人は自分が得をする事に貪欲である。と思います。
例えば、関西名物違法駐車。4車線の道路なのに辛うじて1台だけ通れる。という道路がざらにあります。道路交通法の改正で、東京の駐車違反は3割も減ったのに、大阪は2割にも満たない。これは関西人が法律や警察を恐れる気持ちが少ないことを証明しています。

こういう有様を市民もひどくは苦情を言わないように思います。問屋街等で、違法駐車に文句を言うのは、自分の店や得意先の車が止められなくからです。わが店の前は自分の道のように思っているのです。警察が取り締まりをすると、その束の間だけ違法駐車はなくなります。しかし、取締りが終わったと見えた瞬間、たちまち空間が車で埋まる。「これはええとこへ来た。えらい得した。」と、すべり込む。警察も商売への理解があり、違法駐車への取締りも関西は寛大だと思われます。

不法駐車追放の声が上がると「駐車場があらへん」と言い立てます。しかし、実際は有料駐車場はガラガラで、周りの道路に違法駐車があふれている。という風景をよく見かけます。たまに引っかかって罰金を取られるのと、何十回も駐車場料金を払うのと、どちらが得かを計算しているのです。
法規を守るかどうかの善悪の問題ではなくて、損得の問題なのです。

これに対し、大阪府が見るに見かねて月に1度の「ノーマイカーデー」を提唱し、毎月20日を「ノーマイカーデー」と定めました。しかし、効果はほとんどないように見えます。
「今日はノーマイカーデーやから空いてるで!」と、かえって車で出かけるのが関西人の性根なのです。

そこで私に一つの提案があります。関西では違法駐車の摘発を商業化するより他に手がない。レッカー車の会社をたくさん作って、摘発の競争をさせる。レッカーされた車を受け取りに来たオーナーから罰金を取って、それが会社の収入になる。つまり、摘発そのものを商売にする。という案です。(実際は規制なので難しいかも知れませんが)
しかし、実現の可能性はほとんどないと思われます。なるほど、町は綺麗になっても、商人達の「絶対反対!」の大合唱が起こることが間違いないからです。


次に、関西の人はこせこせしています。つまりあせっている。何でも早くしないと気がすまないのです。この様子を関西弁で「いらち」と言います。(覚えておいて下さい。)

関西人のこの「いらち」な行動は随所に見られます。
横断歩道のフライングは世界一であるし、エスカレーターでは必ず歩く。エレベーターでは乗るとすぐに「閉じる」のボタンを連打します。「閉じる」のボタンが無ければ行き先の階のボタンを連打します。

私が街中の店でアルバイトをしていた時の話ですが、よく道を尋ねる人がやって来ました。関西弁丸出しの特に中年の男女は「にぃちゃん、銀行へはどうやっていくねん」と突然大声で尋ねられる。教えていると最後まで聞かずに礼も言わずにさっさと行ってしまう。遠くから来たと見える標準語の人は「すいません」と言いながら入ってきて、こちらの答えを最後まで聞いて、「ありがとう」と言っていく。関西人の特徴はとにかく時間がないのかひどくあせっている。話しかけかたは、いきなり顔見知りのようである。

また、食堂等でよく見かける光景があります。先の人の食事が終わると、まだテーブルの上が散らかっていてもおかまいなしに次の人が一目散に席に着く。そして自分たちで皿やコップを隅に片付けて、使用後のおしぼりでテーブルの上を拭き、ウエイトレスを待ち構えます。来ないと大声で呼ぶ。関東では入り口に列を作り、テーブルがちゃんと片付いていないと座らない。ウエイトレスも片付けないと客を席に座らせません。

また、関西人は無作法である。と言われます。
駅のプラットホームで乗客が電車を待っているとしましょう。
足元に3列の表示があったとしても、関西で整然と3列を作っている光景は珍しく、実にいい加減な列です。3人並ぶところに2人であったり、1人であったり、前の人との間に間隔があったり、横にはみだしたりして、最初から乱れている。まずはそういうルーズさがあります。
そこへ電車が入ってくる。すると、とにもかくにも作っていた列が必ず崩れてしまう。そして、ドアを取り巻くように半円形になる。列は事実上、意味を成しませんでした。乗車する客はドアの両側に分かれ、降車が終わらないうちに両端から乗り込もうとします。それぞれの先頭の人に性格によって勝敗が決まります。強引に押し込んだほうは、次々に入ってしまいます。一方で「まず、降りる人が優先」という常識ルールを思ってためらうと、その後ろにつく人はなかなか入れません。つまり、強気が勝ち、弱気が負ける。その道徳正しい先頭の人は。後ろの人からの非難の目を向けられてしまうのです。
ということは、関西では「公共の規律というものがない」、あるいは「それが希薄である。」ということになります。

さて、関西が何故そうなったのでしょうか?

現代の関西は豊臣秀吉の政策に始まります。秀吉は日本全国の米を始め、主な商品の市場を大坂(大阪)に置きました。若い頃に針を売り歩いた彼は商業の重要さを知っていたのでしょう。大坂の商業は特権を与えられ、日本の経済の中心になりました。徳川幕府はこれを引き継ぐ。但し、政治と経済を切り離して、政治は江戸、経済は大坂、と分けました。

この事が、関西の風土、関西人の性格に反映しているのであろうと思われます。
つまり、関東は武士の世界、関西は商人の世界ということです。

封建社会での武士は、その秩序を保つことによって存在しています。代々のキチンと決まった古いままを守る事で平穏に生きられる。むしろ前例に無い事をしたら、危険である。変わったことを何もしないほうが良いという役人気質に、それが今にも伝わっていると思います。ところが商人は自分の才覚でどんどん変わった事を、他人より先にしなければ生きて行けません。たえず競争している。商売がうまくて、がめついと言われるのが当然である。
武士の社会は建前が何よりも大事である。しかし、商人の世界では本音を晒さなければならない。そこにも大きな違いが生まれてきます。
近世の関西の繁栄は、川や堀の開発のおかげでした。水の都である。これにたくさんの橋を架けた。続に八百八橋と呼ばれるが実際は180くらい。この内役所が架けて管理した橋はたった「12」にす過ぎない。他はその町内が作り、修理もしていた。勿論道の修繕も町の負担でやっていた。新地を開拓したのも大商人だった。
町人達は橋や道を自分のものと認識していたのです。

そして、そんな社会が300年続きました。近代になってその独占的な地位はなくなったが、日本の商業の中心であることに変わりはなかった。しかも中小企業が多く、特に競争が厳しい。それが「お上を恐れず、規制に従わない」「概念よりも実際を、善悪よりも損得を大事にする」関西の風潮を作り上げたのです。
ある時、NHKのアナウンサーが「不法駐車を始め、交通の不作法さや乱雑さを直すのに、どのくらい歳月がかかると思いますか?」とえらい先生に質問したところ、「こうなるのに300年かかったのだから、治すのにもそのくらいかかるでしょう。」と答えたといいます。

しかし、私は関西は関西のもつ関西らしさを持ったまま、つまり、人臭く、貪欲に、せわしなく、無秩序に発展していくものであると思うし、また、そうあって欲しいと思います。

「競争こそ発展の大原則である。」と私は思います。
関西は私のような考え方の人によって、これからもがめつく発展していくものと思われます。
以上、私の主張、発表を終わります。御清聴ありがとう御座いました。

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