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『実用日本語文法研究会』コミュの連体詞について

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※このトピックは<★ちょっとした疑問・悩み・不満★>に出されたものを、関係者お二人の許可を得て、管理人がこちらに転記したものです:

[132]2011年12月21日 20:30 黒鐵の騎士
先日はありがとうございました。
もう一つ伺いたいことがあります。

それは「連体詞」についてであります。

古文を学習してきた者からすれば「その」は「指示代名詞」+「格助詞」
連体詞と言われるとたいへん気持ちが悪い。「その」を連体詞として認めたくない気持ちもある中、「紺の」([普通名詞]+[格助詞])を「連体詞」であるとするべきであるという人までいます。
「その」を連体詞として認めるとしても、
「あらぬ方向」という場合の「あらぬ」
「来たる...」についてまで、連体詞とするのは如何なのか。

どこまでが連体詞であるのか。その境界線に悩むのです。
「連語」や「本来は活用するもの」についてどう考えたらよいのか。

「活用のない自立語の中で連体修飾するもの」
これ以上踏み込んだ説明はできません。

橋本進吉博士もここまでは考えていなかったことだろうと思います。
外国人向けの日本語教育には影響の浅い部分かとは思いますが、
学校文法を学習してゆく中高生にとっては解決しておきたい部分であります。

実用的ではないのですが、よろしくお願いします。

コメント(7)

[133]2011年12月22日 03:16 killhiguchi
>[132]黒鐵の騎士さん

>古文を学習してきた者からすれば「その」は「指示代名詞」+「格助詞」

 ソを代名詞として習ったのですか?代名詞だとする根拠は習われたのですか?もしよろしければお教えください。

>「紺の」([普通名詞]+[格助詞])を「連体詞」であるとするべきであるという人

 「紺」は明らかな名詞ですから「紺の」を連体詞とするのは誤りだと思いますが、そのように唱えた方やその方の根拠をご存じでしたら具体的にお教え願えませんか?

>「連語」や「本来は活用するもの」についてどう考えたらよいのか。

 連語は語以上ですから品詞論で扱う必要はないと思います。連語と認められた段階で、連体詞に限らず、一つの品詞には入らないはずです。
 「本来は活用する」ということの念頭に置かれている具体例をお教え願えますでしょうか?「あらぬ」「来たる」でしょうか?
[134]2011年12月22日 16:25 黒鐵の騎士
>ソを代名詞として習ったのですか?代名詞だとする根拠は習われたのですか?もしよろしければお教えください。とのこと。
古語辞典で「その」の項目をご覧になれば解決できるかと存じます。まさに、そのままの形(代名詞+格助詞)で載っているかと存じます。

おっしゃるとおり、連語というのは二つ以上の単語が接続したもののことでございます。
[あらぬ]についても、国語辞典[三省堂]では連体詞と説明しています。
これについては、「連体詞」を「連体修飾する活用のない自立語」と定義すると、どうもあてはまるようには思えない。(私の感覚的には、動詞+助動詞なのですが。)

感覚による判断ではなく、文法的に説明をつけたいのです。
例えば、ラ変+助動詞で連体修飾の形を取るものは連体詞。というような明快な説明ができればよいな。と考えているのです。
[135]2011年12月22日 17:48 killhiguchi
 まず共時態での説明を目指す、という立場をはっきりとしておきたいと思います。学校文法のみならず、言語研究は共時態で記述説明されるものです。通時態の観点を混ぜるときは意識的にそうすべきであって、例えば現代語なら現代語の文法内で平安時代語ならば平安時代語の範囲内で記述説明を行うのが、言語学の普通の立場です。

1)学校文法での連体詞の定義
 ア)一語である。それ以上、語としては分割できない。(形態素に分解できるものも含める。)
 イ)文節の頭に立つ自立語である。付属語(助詞・助動詞)ではない。
 ウ)名詞を修飾する。用言を修飾する副詞ではない。
 エ)活用しない。形容詞の連体形ではない。
この全てを満たすものが、現代語の連体詞である、と考えます。
2)ソノ
 平安時代を中心とする学校古文ではソのみで代名詞とすることがあります。それは、ソノ・ソヲ・ソハなどのように格助詞・副助詞・係助詞が後接し、名詞的性質を持っているからです。
 それに対して、現代語ではソノは分解できません。ノを分離したソは助詞を伴うことはできません。したがって、ノも分離されるべきではなく、ア)より、ソノ全体で一語と見なすべきです。
 そして、ソノはイ)ウ)を満たすのは自明です。
 さらにソノは「特別の・特別な・特別に・特別だ」などのような形態変化も見せません(「特別」の品詞分類については留保しておきいます。)。エ)を満たします。
 よって、現代語のソノは連体詞です。
 しかし、実は、平安時代語でもソが代名詞であったかどうかは怪しいと現在では考えられています。一人称ア・ワ、二人称ナ、不定人称タと同様、コ・ソ・カ(・ア)は助詞なしでは使えません。平安時代語は名詞に格助詞がなくても文中で使えました。現代語の「太郎、きのう、次郎、なぐったよ」の中の名詞と同じようにです。しかし、上記の一音節形態は、必ず助詞を伴います。
 ここから、これらは、語としての自立性が低く、語未満の存在ではないかと考えられます。しかし、後接する助詞は語ですし、助詞に接頭辞がつくことはありえませんから、接辞という形態素レベルの存在よりは語に近いとも思えます。このような単位を言語学では接語cliticと言います。
 そして平安時代語では、自立して使えない接語の系列に対応した語の系列がそろってシステムをつくっていました。
接語:ア・ワ・ナ・タ・コ・ソ・カ
語:アレ・ワレ・ナレ・タレ・コレ・ソレ・カレ
 ここから先は、自立語を作る形態素として、平安時代には接尾辞レを認定することもできます。
 現代でもソノ・ソレ・ソコ・ソッチ・ソーのように、ソの部分を形態素(接頭辞)と見て、ノ・レ・コ・ッチ・長音を形態素(接尾辞)と見ることもできます。これらはコノ・コレ・ココ・コッチ・コーのように、他の形態素コにも接続しますが、あまり生産的ではありません。平安時代以前であれば、レもコもチも生産的で意味も透明でしたので形態素と認める意義がありましたが、現代語ではあまりないように思います。
3)「あらぬ」「来たる」
 平安時代語では「あらぬ」は動詞アリの未然形に助動詞ズの連体形が接続したものです。
 しかし、現代語では「あらぬ」は活用しません。アラズ・アラネ等の形を持ちません。これらの形は平安時代語にはありましたが現代語にはありません。エ)に該当します。
 問題は、ヌを分析・分離することができるかどうかです。東京方言でヌを使うことはほぼないと思います。確かに、固定的な言い方で「知らぬ存ぜぬ」「まだ見ぬ人」などは存在します。
 そこで、意味の面に注目します。「あらぬ」は連体修飾に限られウ)を満たしますが、その意味は、動詞アルの意味に加えて、仮に仮定した語ヌの意味がくっついたものとは言えません。「あらぬ」=「ない」ならいいのですが、「あらぬ方を眺めた」などでは「ない方を眺めた」という意味ではありません。したがって、「あらぬ」の中では、アルもヌも透明ではなく分析可能ではないと言えます。
 平安時代には語として分析でき生きていたヌは、現代語では使われない言葉です。したがって、ヌは語未満であり「あらぬ」で一語と考えるべきでしょう。そうするとア)イ)を満たします。
 「来たる」もタリが生きていないことと「来たる」=「来ている・来た」ではないことをもって、同様に言えると思います。
[136]2011年12月22日 23:01 黒鐵の騎士
>まず共時態での説明を目指す。
この一言で十分でしたのに。
ご丁寧な説明をありがとうございました。
以上が★ちょっとした悩み…からの転記分です。なお、[137]-[139]は、転記許可のやりとりですので省略します。

ちなみに、↑の文の「ちょっとした」も当然、連体詞ですよね。
連体詞認定の理論は、また時間があるときに発展させることといたしまして、とりあえず、私の手元にある『事典』に記述されていることの骨子をご紹介しておきます。

★日本語教育学会編1982『日本語教育事典』大修館書店※p.140(森田良行)
【定義】
単独で連体修飾語となり、その他の用法をいっさい持たない語。当然、活用しない。
【例】
「いわゆる/あらゆる/ある/さる/かかる/こんな…どんな/わが/この…かの・どの/くだんの/当の/無二の/明くる/来たる/去る/たった/とんだ」など。
◆認定が学説によって分かれるもの:
「いろんな/大きな/同じ」(形容詞の活用機能の喪失または語幹)
「各(選手)/某(記者)/当(事務所)/本(議案)…」(漢語熟語の構成要素)
なお、「曲がった/しゃれた/ありふれた/ふとった/似た」などは連体法しか持たなくとも、連体詞としないのが普通。


★日本語教育学会編2005『新版 日本語教育事典』大修館書店※p.89(森山卓郎)
【定義】
活用しないで、名詞のみを修飾する語。活用しないという消極的性格による品詞であるために、起源的にさまざまなものがある。
【例】
(活用語系)「おおきな/いろんな」など
(指示語系)「この/その/あの」「こんな/そんな/あんな」「かの」など
(動詞系)「ある/いわゆる/あらゆる/明くる/来たる/来たるべき」など
◆認定の難しいところのあるもの:
「ちょっとした/あきれた」(これはたぶん認められる)
(ただし「ありふれた」は不認定→「ありふれている」)
「たかだか/わずか」(後続名詞が数量のみが問題)
「同じ」(不規則形容動詞?)
「〜さめやらぬ/のっぴきならぬ/言い知れぬ」(動詞出自の連語)
「歴戦の/当面の」など(「〜の」以外の用法が考えにくいもの)
「さしたる/たかが」(述語との呼応を要求するもの)
<連体詞>の研究史概略です。

★松村明編(1983)『日本文法大辞典』明治書院※p.917(鈴木一)
【定義】
単独で文節(または句)を構成し、もっぱら連体修飾語として用いられ、文の成分として、主語・述語・被修飾語あるいは独立語となりえないもの。副体詞・連詞・添詞ともいう。
【例】
一般に連体詞とされているもの:
「あらゆる/いわゆる」「かかる/さる/ある」「この/その/あの/どの/かの/わが」「こんな/そんな/あんな/どんな/いろんな」「件の/無二の/当の」「明くる/来る/去る」「たった」
【研究史】
・宮脇郁1905『論理的日本文典大意』:
 「この」「ある」「所謂」などを<添詞>の一部としている。
・文部省1916『口語法』:
 「とんだ」「ある」「あらゆる」「いわゆる」の四語を<形容詞>の中の一類としている。
・鶴田常吉1924『日本口語法』:
 <連体詞>という用語を初めて用いたといわれている。
・三矢重松1932『文法論と国語学』:
 <連体詞>の項に、「いわゆる/あらゆる/ある/さる」などの語をあげている。
・松下大三郎1928『改撰標準日本文法』:
 <副体詞>(二類・五種)「明くる/各/諸々の/此の/某/ある/件の/例の/当/本」としている。
・橋本進吉1934『国語法要説』:
 「この/その/あの/かの/どの/ある/いわゆる/あらゆる」などについて、「今、松下氏の説によって、之を副体詞と名づけよう」といって副詞・接続詞とともに副用言の一種とする。
・時枝誠記1950『日本文法口語編』:
 1.「本/該」など漢語に属するもの。2.「とんだ/いわゆる/おおきな/去る/曲がった」。3.イ.「こんな/あんな」。ロ.「この/その」などが例示されている。
【補説】
連体詞という品詞は、比較的新しく設定された品詞で、学説によって、その定義もまちまちであり、所属する語にも出入りがある。副詞と同じく、日本語の品詞としては、問題のあるものの一つである。(以下省略)

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