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J・P サルトルコミュのえ=と、実存主義

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 実存主義という言葉はいつでもどこでも先走ってますが、本当のところ、自分でどんな風な意味だと捉えていますか?
 僕は、型破りのクリエイターというか作家というか創造者というかそういうことだと思ってます。日常的には「こりゃ、この人、頭ちょっと変かも…。」ぐらいの感じがちょうど実存している…という風に理解してます。
 そういう意味でサルトルが好きです。皆様は如何ですか?

コメント(27)

辞書的な意味ですと現実存在ですよね。
人間存在の彼岸などを仮定せずに
捉えていく捉えかたですよね。
私自身の捕らえ方・・・
うーん、本質に先立っているんだったら
大変だ。ストレスたまるわぁって感じですかね?
非常に厳しい価値観だと思います。
自己の選択がそんなに自己責任で
考えられうるのか?構造主義ではないけど
人間の主体性って絶対的なものなの?
と思ってしまえるのも致し方がないかと。
元気なときはサルトルを
落ち込んでいるときはロジャースを
って感じかも(笑)
>よういちさん
元気なときはサルトルを
落ち込んでいるときはロジャースを

って、僕もそうかも。あっ、今思ったのだけど、もしかして二人とも同じものを違う側面から捉えているという感じがする!

>磯崎さん
 実は僕もサルトルについて何かを考えると、結果的に語尾に「…汗」なんですよ。特別気張ることもないんでしょうけど、とにかく「…汗」。。。。
 でも、しかし、その他者っていう人々がホモだの貧乏人だのゲイだの資本家だの学者だの作家だの色仕掛けの女だの兵隊だのナチスだの…、で、「ああ、他者は必要だけど、やっぱり消えてほしい人っているよなぁ。。厳しいよな。。。」って思いませんか?ここらの矛盾をどうやって解いていったか?という経緯をサルトルの本全体で考えると、『他者にどっぷり漬かって…、どうにでもなってしまいなさい!』みたいなことになってますよねぇ?

 厳しいっす。(汗)
人間においてのみ実存が本質に先立つ、と。
私は哲学専門で、サルトルの例の本講義で発表したんですが、ウツにならなすぎました。それもまたいいですね

実存主義とはヒューマニズムである
実存が本質に先立っていることに怒り、「生きる」ことではないでしょうか。
ちょっと何いいたいのか詳しく聞きたいですね〜☆
あ、ありがとうございます。
それ分かります、あたしもその意味で 人間においてのみ〜 と書いたんで◎はいはい☆

実存が本質に先立っていることに怒り、「生きる」ことではないでしょうか       
 怒り、生きる について聞きたいです!!

 ぜひ!!!
 はじめまして。
 「実存主義」がどんなものか、私もよく理解していないのですが、半年くらい前に『嘔吐』を読んでいました。
 さて、tomomoさんが書かれていることは、私が『嘔吐』で感じたことと近いですね。

 >確かに本質を持たない存在である事に、『嘔吐』のロカン
 >タンに表されているように、初めは違和感や恐怖を覚えま
 >すが、次第に自由な存在であることを享受しようとするよ
 >うになる・・・

 特に、この部分については全く同感です。『嘔吐』に関して言えば、「受身」の印象が強く残っています。
 ブログに10回シリーズでノートを残していますので、お暇な方はご覧ください。最終回のアドレスを貼り付けておきます。
 http://plaza.rakuten.co.jp/koikeland/diary/200506180000/
 ありがとうございました。
>人間においてのみ実存が本質に先立つ、と。

>実存主義とはヒューマニズムである

まさに!
シンプルにそう考えています。
そのように生きるための、アンガージュマン。
必然的に現実に参加していく。
無関心とは反対に。
政治参加。参加意識。今ここを生きる。
簡単に言えば、例えばナイフがナイフとしての役割、使命をあらかじめ背負って作り出されるのと異なり、

人間はその本質というものを自ら構築していくかなくてはならないということですね。それが所謂「投企」ということなのでしょう。

なんとも人間中心的な考え方ですが、それがヒューマニズムというやつですね。
はじめましてー^^
今日からコミュに参加させていただきました〜w

まゆと申します 
よろしゅうw

実存主義・・・
主体的に自らを生きる「投企」なのでしょうね
投企って、もともとハイデガーの言葉だけど
自己の可能性に向かって開かれている現存在(人間)固有の存在の仕方を理解するっていったところかな?

ごめんなさいwサルトルにはあんまり詳しくありませんwww

幸恵さんの政治参加。参加意識。今ここを生きる。
なぜかヨーゼフボイスを思い起こしてしまったw
可能なものの領域を汲みつくすこと。永久革命永久反抗。

運命を支配すること。自己とはあらゆる社会関数により出来ており、その関数を認知することで自己の操作を知る。だがその関数全てを認識することは不可能に近い。宗教では社会関数の認識は自己と相対的事象を多く持つことで、苦しみの源泉であるとする(キルケゴールの場合、神の存在は認識の限定という人の傲慢が、人間自らの可能性を決め付け運命論に陥る危険性があるとし、神は、その抑止として必要であるとする)が、実存者は、敢然と認識に立ち向かうもの。人間の認識という有限性の中で何処までも可能性を追求する姿勢、永久に運命の関数と戦い続ける、実存者とはそういうものなのではないでしょうか。(カミュの言う不条理は認識しきれない事象つまり関数ではないかと私は考えます)

『かりに神が存在するにしたところで別にどうということはない』パリ、クラブ・マントナの通俗公演でサルトルが述べた言葉です。不条理を神や運命と呼ばない実存者には、神などいてもいなくても問題はない、そして決して神の不在を証明しようとはしない。神とは汲みつくすべき現実ではないのだから。

私はこのように考えます。
はじめまして。
実存主義=実際に在るということの証明、認識かな?
     んで、自己と他者の差異。
 ガブリエル・マルセルは有神論的な実存主義でしたね。
低脳キモオタの自分は
『世界が嫌なら自分を変えろ』
『原因を自分以外に求めるのはクソ』
が実存主義だと思ってます
ついつい上辺の保身と惰性だけで生きるように流されがちな私たちの日常のあり方に自ら異を唱え、反逆して、自己と世界との関係を深い思索を通して定立し直した上で、根本的に生き方を変えてゆこうとする不断の姿勢だと受けとめています。
自分の中の実存的部分すなわち、浮わついた日常的なあり方の一段下で、生きることに苦悩し、人と接することに悩んでいる意識の層に真摯な配慮の目を向けて、しかもそれが自分ばかりでなく、広くさまざまな人たちもまた同じように意識のその帯域では苦しみや悲しみを抱えているのだと認識し共感して、自分を気づかうように彼ら彼女らのことも深く気づかって生き方を選択してゆく・・・
それが僕にとっての実存主義です。

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