ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

キリストの幕屋研究会コミュの「キリストの幕屋」には感動する

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 始めまして。 「キリストの幕屋」の信者ではありませんが、大阪幕屋の聖日礼拝には時々行って神藤さんのお話にはいつも感動させられています。 先日行った時の感動的お話しを近々この私の通信に書かせていただくつもりです。

私が全国に発信しています「いのち」について考える「いのちの風」?342から「キリストの幕屋」についての部分の抜粋しました。


 『ところでイスラム教を開いたマホメットは景教の影響で新しい宗教を創ったという。 ユダヤ教の教えでは人間は神には絶対なりえない。 しかしカトリックは三位一体の神学でイエスを神とした。マホメットはそのような、人間を神と崇め、イエス神像を作って祭る行為を偶像崇拝として非難して、新宗教を創設した。

 景教ネストリウス派もユダヤ人使徒・教父の伝統的神学から、イエスを神とはしなかった。 生まれながらの神ではなく、主の天使がマリアに、聖霊によって身ごもったと告げたときから、圧倒的な聖霊の力によって聖なる人になった、と考えた。 

 有名な神学者ポール・ティリッヒは「自分はネストリウス派だ」と言っている。(これらの話は「聖書と日本」という日本の伝統と文化を大切に考える教派が主催したシンポジウムでの、専門家の話のテープから仕入れたものです) 景教はイエスの真の教えを受け継ぐもの。

 その偶像否定の考えがユダヤ系物部氏により日本神道に受け継がれ古神道では神像崇拝はない。 その神道を奉じる物部氏が偶像・仏像崇拝の蘇我氏に敗れた。 しかし仏教が日本に広まってもその神道精神は日本精神として残っていった。

 【「いのちの風」?三三九の続】 奈良時代に大仏を建てた聖武天皇の后光明皇后も、聖徳太子のように悲田院や施薬院を作り、千人の病人の体を看護婦のようにかしずいて、自らの手で浄められたと伝えられている。    

 后は子供を亡くした悲しみから仏教に深く帰依されたといわれるが、本当は人々の救済を願う景教を信仰されていた。 皇后の名「光明」は景教の別名といわれる。 

 当時の仏教は鎮護国家が目的で世の救済という使命感はなかった。 カトリックも同じく鎮護国家宗教としてローマ帝国や中世を支配した。 イエス・神の代理人の名を使った方が支配には便利だった。 誰でも聖霊によって聖なる人になるという考えは教会の権威を失う恐れがあったからだ。    

 人々への心の救済として福音を述べ伝えた本来のイエスや弟子たちの思想がねじ曲げられた。 イエスの真の教えを求めてプロテスタントが後世生まれたが、ネストリウス派は復権しなかった。 異端とみなされるのを恐れたのだろう。

 大乗仏教も同じ。 小乗仏教では人間であった釈迦が、大乗仏教では世界を支配する神に変貌した。 これはキリスト教の影響といわれている。

 (もっともイエスは仏教の影響を受けてユダヤ教仏教派を興して、異端として旧勢力の反発を招いたと言われているが) 釈迦は世界を支配する神となり、その代理人としての僧侶が大寺院・大伽藍で仏教の外面を飾り、人々を支配する宗教となった。 

 鎌倉時代になって初めて心の救済を求める新仏教(日蓮・法然・親鸞・道元など)が生まれたと言われる。 これもキリスト教に似る。

 以前書きましたが終戦の頃、東京の下町、廃品回収業者のバタヤ部落「アリの町」に咲いた一輪の花。 「アリの町のマリア」北原怜子さん。 小学校でこの映画をみて泣いた思い出があります。    

 アリの町で彼女は献身的な奉仕活動をして短い生涯を終えた。 その彼女の一生を描いたのがこの部落の村長、松居桃婁さん。 奇遇にも私の大学の先輩だった。 彼の著書「アリの町のマリア」の中にも光明皇后のことが書かれています。

 松居さんとは「死に勝つまでの三十日」という本でめぐり会いました。 次男を亡くして死の問題の周りをめぐっていた時でした。 その松居さんの著書「消えたイスラエル十部族―法華経、古事記の源をさがすの巻」(ともに柏樹社) ここにも秦氏、広隆寺、景教が書かれている。

 このことは以前FAXに書きましたが、またここに戻ってきました。 松居氏、炊き出し、日本、「幕屋」、景教、古代史とよくこれほど縁がつながるな、と思うほどシンクロニシティーの連続です。 

 「キリストの幕屋」は不思議な教派です。普通のキリスト教は反日的ですが、ここは日本の伝統と文化を尊ぶ。 日曜集会の会場は畳敷きで壁には日の丸が掲げられ、教育勅語が張られている。

 ユダヤ教の七枝の燭台(メノラーという。物部氏の宝物遺品の中にも「七枝の太刀(剣)」なるものがある。 これはメノラーの象徴か?)が備えられ、ユダヤ教の本来の聖書「旧約聖書」を読まれることが多い。 またイスラエルと親交が深く、イスラエルへの巡礼団もたびたび組織される。 

 一方、「天孫民族日本人のこころのふるさとへ行こう」と、伊勢神宮、出雲大社、吉野神宮、靖国神社、そして神武天皇ゆかりの宮崎県日向の地へも大挙して参詣する。 また神社で集会が持たれる支部もある。 

 昨夏、初めて大阪護国神社(戦没者の英霊を祭る)に行ったとき、社務所に幕屋月刊誌「生命の光」が置いてあり驚いた。

 (保守派の宗教だった「生長の家」(集会では日の丸が掲げられ、初めて行った時にびっくりした)が谷口雅春氏の孫の代になって左傾化していると聞いている。 日本の伝統と文化について書かれたここの出版物がどんどん絶版にされていっているらしい) 保守良識派の大動員部隊として「幕屋」はこれからも大活躍するだろう。

 「幕屋」創始者の故、手島郁郎氏が「生命の光」で述べられている言葉からも、西洋キリスト教に日本の光を照らし、日本人のキリスト教を作りたいという思いがひしひしと伝わって来る。

 そして集会では「天のお父様! 聖霊よ、降りて来てください!」と身を震わせて祈る姿が、ネストリウス派の聖霊信仰に思い至らさせる。 私も皆の祈りの波動を受けて合掌の手が震え出してしまう。 

 このような現象は太古の昔からシャーマンや「いたこ」などの霊能者が行い、いまも日蓮系の新興宗教ではよく見られる人類の遺産だ』

コメント(1)

先月も呉市であったキリストの幕屋の家庭集会に参加し、感銘を受けましたが、もう、最初に参加してから3年経過しました。が、広島をはじめ、呉市や府中町のどの家庭集会に参加
しても新会員はほとんどなく、いつも同じ顔ぶれです。
大圓さんの仰るように、幕屋の大活躍で一人でも多くの信者が増えるのを祈るばかりですが、なかなかはかばかしくないようです。
他のキリスト教の信者のように、布教のため各家庭を訪問するようなことはなく、専ら、友人や知人に月刊誌の『生命の光』を配ったり、バス停などでビニールの箱に置いていったり、また、護国神社などでの「国民会議」や「教育会議」「歴史を見直しす会」などの研修会の折に配っている程度で、もっと何か別の布教活動はないものかと思ってしまいます。
私自身は、毎月、『生命の光』を郵送してもらっており、愛読していますが、素晴らしい教えを盛り込んだ『生命の光』の普及が、日本人の真の宗教の目覚めにつながるものだと確信しています。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

キリストの幕屋研究会 更新情報

キリストの幕屋研究会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング