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開催終了開館20周年記念収蔵コレクション展Part.2「田淵行男 安曇野回想」

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2011年03月29日 08:31 更新

田淵行男(1905〜1989)は、「美しく豊かな自然と壮麗この上ない山岳美をあわせ揃えた」安曇野の地をこよなく愛した写真家です。終戦の年の1945(昭和20) 年7月、田淵が40歳の時、安曇野に一家で疎開して以来83歳でこの世を去るまで、安曇野で生活し、安曇野を題材とした数多くの写真集を発表し続けました。
1961(昭和36)年、その安曇野で田淵を落胆させる出来事が起きました。ヘリコプターによる農薬(マラソン剤)の散布です。当時田淵はアシナガバチの生態研究を手がけて7年、ようやく結末に辿りつこうとしていた矢先、この空中散布によって観察地が深刻な打撃を受けたのです。田淵は「その日の光景を永久に忘れることはできないであろう。山国の自然が、おそい春のスタートを一斉に切ったばかりの明るく美しく和やかな筈の陽春の山野が、私の目には光を失い、虚ろで荒涼とした暗黒の世界に写った。れんげ田の上には一匹の蝶も舞わず、大気の中には翅音さえ聞こえなかった。何という悪日、虫共の上に文字通り死の灰が降りそそいだのである。(中略) その連鎖反応は農作物の上にもいろいろな形で現われてくるであろう。」と記しています。それは、アメリカの生物学者レイチェル・カーソン(1907〜1964)が、農薬類の問題を告発した書、『沈黙の春』を出版する前の年の出来事でした。
野道は次々にアスファルトで舗装され、田や畑の分厚い野草の畦も徐々に狭められ、路傍や畦に養われた野草や蝶などの昆虫、小動物は次第に姿を消して行く、こうした高度成長期の安曇野の変貌ぶりに、田淵は心痛めながらも一人シャッターを押し続けました。
同展では、田淵の安曇野への想いが込められた晩年の大著『安曇野』と『山の紋章・雪形』の所載作品を中心に紹介します。
休館日 月曜日、祝日の翌日(4月29日〜5月5日のゴールデンウイーク期間中は開館)、3月8日(火)は展示替え作業のため休館
展示構成 写真作品等約30点、その他愛用の品等多数展示
入館料 高校生以上300円
会場 田淵行男記念館 1階展示室

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  • 2011年07月03日 (日)
  • 長野県
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