本駒込付近を散策していました。
まず最初に向かったのは神明都電車庫跡公園です。
名前の通り都電の神明町車庫があった場所で、現在は公園と区の施設も併設した都営住宅になります。
ここには都電車両が2両保存されていて、1両は昭和の都電の代名詞的存在の6000形の6063号車になります。
都電6000形は戦後間もない頃に290両も製造されたので、保存車両も多いですが、ここのは屋根付きの場所できちんと保管され時々内部公開される程度に留まっているためか、内外装ともに保存車両の中ではトップクラスの状態の良さを誇ります。
なお、目の前の不忍通りを走っていた20系統(江戸川橋〜須田町)の方向板が設置されていて、神明町車庫配置車両の往年の走行ルートもきちんと再現されています。
もう1両の保存車は電動貨車の乙2号車で、バラスト輸送などに使われて神明町車庫廃止まで使われていたそうです。1941年(昭和16年)製ですが、旧型車の機器流用で製造されたものとのことなので、出自を辿ればさらに古いということになります。調べてみたら、1924年(大正13年)製の乙10号車の車体更新により製造されたものとのことなので、元の出自を辿れば100年以上前の車両ということになりますね。
なお、6000形は台車を前後に配置した現在も主流の形態であるボギー車ですが、乙2号は車体の真ん中に長い台車を置いた「単車」になります。
公園内にはこの他にも、都電車両を模した「こどもの駅」という遊具が設置されています。
また、公園内の都電関連以外の遊具で、おそらく小さい子供が乗ることを想定したと思われるシートベルト付きのブランコがあり、レーシングカーのシートみたいで格好いいので思わず座ってみたくなりましたが、周りに保育園の子供が多くいたりで視線が気になるし、不審者情報に載りたくないので断念しました。
また公園のそばの不忍通り沿いには、小さな稲荷神社がありました。
その後は動坂下の交差点の方へと歩いたら、田端駅前通り沿いに旧町名の看板を発見。ここは「駒込動坂町」だったとのことです。
なお、先程の神明町車庫周辺の町名は「駒込神明町」で、同様の看板が何ヶ所か立っていたのですが、何故かことごとく雑草や植栽などに覆われていて上手く撮れない状態でした。
その後は昼食にし、動坂下交差点そばの「動坂食堂」という店に入りました。
建物自体は新しめだけど昔ながらの大衆食堂といった雰囲気の店で、店内には壁に紙で書かれたメニューがずらりと貼られているような店です。
今回はメンチカツ定食を注文しました。場所柄もあって値段は決して安くはないのですが、メンチカツは大ぶりでなかなか美味しいしご飯の量も多めでした。
なお、現金払いのみのアナログな店で、そういうところも昔ながらです。
その後は田端駅の方へと歩き、赤紙仁王尊の東覚寺に寄りました。
赤紙仁王尊は、赤紙を仁王像の自分の体の悪いところと同じ場所に貼っていくという慣わしに基づくもので、完治した際にはお礼で草履を奉納します。
赤紙は定期的に剥がしてお焚き上げしているのか、ちょうど今は赤紙があまり貼られていない状態で、紙に覆われていない生の仁王像を見ることができました。
今回の日記、その他写真は、こちらにもアップしております。
https://silkroad-vx.doorblog.jp/archives/31080333.html
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