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2026年10月31日21:22

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阪急レールウェイフェスティバル in 嵐山 と キヤ141

先週は、久し振りの青森遠征で楽しんでいたのだが。
まなにゃーデックスさんは早くも「また恐山行きたい、今度は宿坊に泊まりたい」とか言っておられるのだが。
次に恐山に行くのはいつの日になるかは解らないが、個人的には弘前をリベンジしたいし、五能線の観光列車「リゾートしらかみ」にも乗りたいので多分また行くだろうと思う。
それにしても、新幹線で行っても青森は遠い。
弘前から特急と新幹線を乗り継いで6時間半も掛かったのだ。
新幹線が青森まで延びた今でもそう思うのだから、新幹線が無かった時代はどんなんだったか調べてみた。
東海道新幹線が開業する1カ月前、1964年(昭和39年)9月の時刻表があるので予定を立ててみた。
基本、今回立ち寄った場所全て網羅する形で予定を立ててある。

1日目
京都   11時04分発 急行「霧島」東京行き
東京   18時20分着
東京   山手線
上野   山手線
上野   19時10分発 急行「北斗」青森行き

2日目
尻内   07時24分着
尻内   08時06分発 普通久慈行き
鮫    08時31分着 種差海岸・蕪嶋神社観光
鮫    10時51分発 普通尻内行き
尻内   11時12分着
尻内   11時19分発 普通青森行き
野辺地  12時47分着
野辺地  12時52分発 普通大湊行き
下北   13時56分着
下北   13時59分発 普通大畑行き
田名部  14時05分着
田名部  14時20分発 下北バス恐山行き
恐山   15時10分着 恐山菩提寺参拝
恐山   18時45分発 下北バス田名部行き
田名部  19時35分着

3日目
田名部  07時24分発 普通大畑行き
大畑   07時47分着
大畑   08時00分発 下北バス佐井行き
佐井   10時15分着 仏ヶ浦観光
佐井   14時00分発 下北バス大畑行き
大畑   16時15分着
大畑   17時07分発 普通野辺地行き
野辺地  18時57分着
野辺地  19時02分発 普通青森行き
青森   20時15分着
青森   21時15分発 準急「しもきた」大鰐行き
大鰐   22時18分着

4日目
大鰐   09時02分発 弘南鉄道普通中央弘前行き
中央弘前 09時28分着 弘前観光
弘前   18時49分発 急行「津軽」上野行き

5日目
上野   09時29分着
上野   山手線
東京   山手線
東京   13時00分発 特別急行「はと」大阪行き
京都   18時59分着

なかなかの乗り継ぎプランになって仕舞った。
この当時は東京-大阪ですら本数が少なく今の新幹線みたいに5分置きに列車が出ている訳では無い。
なので、東京からの乗り継ぎも考えて時刻表とにらめっこしなければならない。
こう言う時は、目的地に何時に着きたいかを考えて、逆算して予定を立てて行く。
それで仕上がったのが上記のプランである。
では、当時の列車の解説を少々。

京都から乗車する急行「霧島」は東京-西鹿児島(現・鹿児島中央)を熊本経由で結ぶ列車。
東海道本線は昼行急行として走る為、2等寝台が1輛、1等指定席が1輛に1等自由席が1輛。
それに2等車と食堂車と言う編成。
10系軽量客車を中心に編成を組んでいたと思われる。
2等寝台は、ベッド幅が52cmの3段式の寝台車。
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今の基準ではかなり貧弱な装備だが、当時は「走るホテル」と謳われた20系客車でも52cmの3段式だった。
1等指定席は所謂「特ロ」と言われたリクライニングシートを装備した座席で、今のグリーン車の元祖的存在。
1等自由席は、「並ロ」と言われた、リクライニング機構の無いゆったりとしたボックスシート。
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或いは転換クロスシートを装備していた。
2等車は、ボックスシート。
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この様な座席になる。

上野発の急行「北斗」は全車輛寝台車で座席車を連結していない列車で、1等寝台B室2輛、2等寝台9輛に食堂車と言う編成。
ただ、時刻表ではビュフェ(軽食堂車)のマークが着いているから、簡易営業の食堂車でカレーなどの簡単な料理を供する列車だったと思われる。
此方も車輛は10系軽量客車だったと思われる。
寝台車では1等寝台B席が連結されているが、これは開放式のプルマン形寝台車で、JRのA寝台になる。
2等寝台は「霧島」と同じ。
もし、この時代にまなにゃーデックスさんと乗るなら、3段式の寝台車は絶対に嫌がるだろう。

尻内(現・八戸)からの久慈線は列車番号にDが着いているから気動車。
恐らくキハ10シリーズが走っていただろう。
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車内は、かなり貧弱なクロスシート。
幅が狭く窮屈だったと思われる。
尻内から野辺地への普通列車は客車。
戦前のオハ33などの旧型客車で、2等車のみの編成だっただろう。
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この様なボックスシートだっただろう。
あるいは、戦後に誕生したスハ43形だったら、こんな感じ。
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流石に板張りの座席は無かったと思われる。
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野辺地からの大湊線・大畑線も列車番号にDが着いているから気動車。
恐らく当時はまた最新鋭とも言えるキハ52が活躍していたと思われる。
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此方のキハ52形は下北交通に移管された後、キハ85と名を変えて活躍した姿であるが、車内はクロスシートだがキハ10.シリーズより格段に乗り心地は上昇していた。
下北バスがどの様なバスを走らせていたのかは全く資料が無く解らないのだが。
場所柄から恐らくボンネットバスで、まともに舗装もされて無い山道だろうから、大変な苦行であった事だろう。

野辺地から青森までは戦前形の旧型客車。
東北差にの尻内からの客車と大差は無いだろう。
青森からの準急「しもきた」はキハ55が充てられていたと思われる。
キハ55は日本で初めて優等列車(準急)用に誕生した気動車で、気動車として初めて客車に負けない車内サービスを提供した車輛。
車内は10系客車にも劣らないボックスシートが並んでいた。

弘南鉄道だが、大正時代に秩父鉄道が導入した木造電車を譲り受けたモハ100形などが1970年代まで活躍していたから、これらの車輛に乗車したと思われる。
弘前からの急行「津軽」は、津軽地方の人々の出稼ぎや集団就職の人々により用いられ、東京で一旗揚げた人などは「津軽」の一等寝台車で帰郷するのがステイタスとなり「出世列車」とも呼ばれた伝統の列車。
そう言う列車であるから、1等寝台B室が1輛、1等指定席が1輛に1等自由席が1輛。
2等寝台が2輛、2等座席車が5輛とバラエティに富んでいる。
ただ、食堂車は連結されていなかった。
2等座席車にはスハ43形が充当されていた。
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勿論、まなにゃーデックスさんがこんな座席の夜行で満足する訳は無いので、プルマン式寝台である1等寝台B室に乗らねばならなかっただろう。

一夜明けて、東京から乗車する特別急行「はと」は日本初の特急形電車である151系。
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流麗なボンネットスタイルで国鉄の新しい顔を作り上げた車輛である。
実はもっと早い時間に「霧島」などの急行があったのだが、当時の私なら軽く東京見学して151系の特別急行列車に乗るに違いない。
当時は東京ですら、そう簡単に行ける様な所では無かったのだ。
特別急行「はと」は1等展望車パーラーカー、1等座席車、食堂車、ビュフェ(軽食堂車)、2等座席車で構成された列車。
特にパーラーカーと呼ばれたクロ151形の座席は1人掛けのリクライニングシートが2列並び、定員は僅か18名。
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今で言う東北・北陸新幹線の「グランクラス」にも匹敵する国鉄最高級の車輛であった。
1等座席車は今のグリーン車の元祖的存在。
そして2等座席車は、2人掛けの回転クロスシート。
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リクライニングはしない座席ではあるが、国鉄の特急用普通車の座席の元祖で、JRになっても一部の特急列車に使われていた。
151系の後に、東北本線の特急「はつかり」用に誕生したキハ81系気動車の普通車も、基本は同じだった。
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先週、青森までの往復は新幹線及び特急「つがる」は普通車指定席。
新幹線開業前なら2等車に当たるがリクライニングシートの座席で、この当時の座席とは比べ物にならない。
普通列車も同じで、同じクロスシートでも快適さでは比べ物にもならない。
しかも時間も倍ほど違う。
恐らく、まなにゃーデックスさんなどは耐えられないと思う。
私は乗り鉄撮り鉄なので無茶苦茶、行ってみたいプランなのだが。
更に、乗車券は周遊券があり東北だと大阪発18日間有効で2等5200円、1等10000円。
急行の自由席は乗り放題なのでかなり格安。
ただ、1964年(昭和39年)の大卒初任給は平均21,200円。
初乗りは2等10円、1等20円の時代ではあるのだが。
私1人なら、18日間可能な限り乗りまくっていただろう。
今と違い夜行列車も多数走っていたから。

食堂車も急行列車でも、朝は和定食、洋定食。
昼、夜はビーフステーキ定食600円、シチュー定食350円、コールミート定食350円、幕の内200円、ランチ300円。
カレーライス100円、チキンライス100円、うな重200円、スパゲッティ150円、ハムサンドイッチ120円などなど。
そして、急行列車が止まる駅なら間違いなく駅弁や駅蕎麦のサービスもあった。
ただ、今みたいな凝った駅弁ではなく、殆どが幕の内弁当ではあったが。
タイムマシンがあれば昭和30年代の鉄道を、思う様に乗りまくり撮りまくりたい。


今日は午前中、病院へ。
そして昼から、「阪急レールウェイフェスティバル in 嵐山」に行ってみた。
会場は阪急嵐山駅の臨時ホーム。
そこに8300系を停車させ会場としていた。
イベントなので行き先方向幕が凄い事に。
嵐山発多摩動物公園行きの普通列車。
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臨時急行府中競馬正門前行き。
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通勤急行新宿行き。
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区間急行新線新宿行き。
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京王線は2007年に熊谷で仕事していた際に、本社が相模原だったから月に一度は乗車していた。

車内には京王のブースもある。 
鉄道写真の展示の他、何故か猫さんの写真まで。
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更に小田急のブース。
惜別6300系。
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これは阪急の花形車輛だけあって力が入っていた。
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車内電話のレプリカ。
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ヘッドマーク。
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琴電のブース。
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ことちゃんが、阪急8300系の車内に吊り下げられていた。
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阪急電車と記念写真撮影会。
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堺筋急行動物園前行きが復活したりしていた。
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そして銚子電鉄。
なめ猫とのコラボ。
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更に広電。
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そして、JR和歌山市駅。
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快速急行海南行きの方向幕まで用意されていた。
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軌間幅が違うのに。
和歌山市駅。
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和歌山市駅のキャラ、ぴほりちゃん。
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紀州路快速嵐山行き。
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直通特急嵐山行き。
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JRきのくに線のスタンプラリーをやったりとか、なかなか楽しいイベントであった。
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嵐山を後に、サントリーカーブへ。
山崎駅のホームに1人撮り鉄。
そして、サントリーカーブにはギャルっぽい撮り鉄が1人現れた。
15時32分、キヤ141が通過。
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撮り鉄は撤退したが、私は残る。
16時19分、大阪行きの681系「サンダーバード」
16時27分、敦賀行きの681系「サンダーバード」が通過。

夜は実家へ。
トンカツと蒸し野菜。
先週、佐井で購入した「下北しぐれ」を届ける。
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餡状になったマロングラッセをパイ皮で包んだ上品な御菓子。
東京や大阪でも類似の菓子は見た事がない。
「下北しぐれ」を買いに、また青森・下北半島に行きたくなって来た。
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