人間は客観的に物事を見たり考えたりすることは出来ない。
自分を外から見ることが出来る人というのは幽体離脱が出来る人で
現実の社会にそんな人は存在しない。
自分の目で見て自分の脳で考えるのだから人間には主観しかない。
自分と他人を全く同列に考えることが出来たら、
それは人間ではない。
神と呼んでもいい。
本来人間は誰もが好き勝手なことをするものだが
それでは社会秩序を保つことが出来ない。
だが人間には想像力があり自分を他人の立場に置き換えて想像してみることが出来る。
想像力が働く人は他人は自分をどう見ているのかがおおよそ分かるし、
自分と他人が同じ失敗をすれば何故他人が失敗したのか分かる。
だが立場が違うと責任も大きさも違う。
責任のある立場の人間と責任のない立場の人間では事情が違うのは当然といえる。
もし責任のある立場の人間が失敗したら法的責任を取るのは当然である。
特に政治家は結果が全てであり失敗したら
責任を追及されるのは当たり前のことだ。
政治家は納税者に雇われたサービス業者である。
国民は税金を払っている以上政治家の失敗について
責任追及する義務と権利がある。
また政治家の失敗は国民に大きな損害を与える。
政治家は政治家をやめるだけで済むが
民間企業の社長なら失敗は損害賠償の対象になる。
政治家というのは意外とお気楽な商売なのである。
日本人には平等意識が根付いているためほとんどの日本人の立場は同じである。
だから他人の置かれている状況について想像しやすい。
自分勝手なことをする人は少ないし競争しなくても生きていける。
他人が自分と同じ失敗をしたら同情することが出来る。
日本人は平等意識が強く誰もが同じ立場である、と錯覚してしまう。
だから政治家についても自分と同じ立場で考えてしまうのである。
「○○さん、泥酔した後の記者会見でもまだ酔いが醒めてなかったけど、まあ、誰だって酔っ払う事あるよね」
といった自分の立場と政治家の立場を混同した意見が生まれるのだ。
政治家の立場と自分の立場を置き換えて考える平等主義者の日本人は独特であるといえる。
日本の秩序が保たれているのは国民の豊かな想像力に依存しているからである。
「他人の立場になって考えてみる」という思想によって
日本には安定した社会が構築されているだ。
つまり、誰が政治家になっても変わらない国なのである。
■高市首相、簗氏進退に言及=「違法性あれば即断」―野党、自発的辞任要求
(時事通信社 - 10月13日 15:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=8986373
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