5/9(土)彩の国さいたま芸術劇場大ホールへ行ってきました。
過去にも何度か「リア王」は見てますし、今年も、あちこちで「リア王」が上演されますよね。なんですかねぇ〜数年前も、「ハムレット」があちこちでやってた気がしますが…
シェイクスピア作品って、何かの関係で、同じ作品が同じ年にやりがちなんでしょうか?
まぁ、シェイクスピア作品は、どこかでいつも上演されているものなんでしょうけど…
ちなみに、今年、もう1本「リア王」見る予定ですが…
主要キャストは、この方々。
吉田鋼太郎 石原さとみ 松岡依都美 矢崎広 吉田美月喜 山内圭哉 山西惇 藤原竜也
今回、演出は長塚圭史さんだったので、どんな感じかなぁ〜と思ってました。
舞台装置が、ちょっと表現が変ですが、遠目から見ると、大きな土俵のような感じに見え、そこへ左右前後から、俳優さんがあがってくるような感じ。
そうそう、今回私、1階後方席にある3列の真ん中の列で、見やすいだろうと思っていたのですが、前列の男性が座高が高いのか、頭が大きいのか、舞台中央に役者さんがいたり、身をかがめたりされると、見えなかった

前列と結構段差もあると思ったんだけどなぁ。まぁ、左右で演じるシーンも多めだったのが、せめてもの救いですが…
たとえていうなら、スクリーンの半分上しか見えない感じで、3時間は非常に苦痛だった
吉田さん演じるリア王は、昔気質で、子供、あるいは娘はこうあるべきという観念が強く、自分が尊敬されていると思い込み、現実が見えてなくて、臣下の助言も耳に入らない。結果、痛い目を見て、初めて現実を知るという哀れな要素満載な上に、最終的には子供たちが自分より先に亡くなり(まぁ、2人は自業自得なんですが…)、最終的に末娘の真意を知り、和解できたのもつかの間、死を見せつけられて、自らも亡くなるという不幸の極み。現実を受け入れられない、正気を保っていられなくなったら、自分の心を守るために、妄想の世界へと逃げ出してしまうのは、致し方ないと思うし、時折訪れる正気の時に、王であった自分の人生をどう振り返るのか…王としても、父親としても、その人生も、幸せとは無縁で終わったようにも思えるし…
山西さん演じる父と、実の息子藤原さんは、紆余曲折を経て、分かり合えるのは良かったけれど、その場面自体は、なかったような気がするんだけど…セリフで説明されただけのような気がします。去年見た「リア王」ではありましたが…
山西さんは、私生児の息子に騙されて、リア王にとっての忠臣であり、最後までそうあり続けたのに、むごい扱いをうけて、見てられないけれど、実の息子とわかりあえたのが、せめてもの救い。あの時代とはいえ、実の息子であることに変わりないのに、扱われ方の違いを考えるとねぇ

まぁ、戦国時代の日本でも、そうだったしねぇ。
恵まれた境遇で育ち、人を疑うことを知らない長男を演じる藤原さんが、人生のどん底を味わいながら、最後に起死回生の大逆転を迎えるから、報われるけれど…
吉田さんのリア王の狂気に負けてない、藤原さんの姿には、ビックリでしたが、あの役はあるシーンまで、あのいでたちになりますよね。
今回、最も楽しみにしていたのは、いい人を演じてる印象がある矢崎さんのエドマンド。
いや〜本当に憎たらしくて、嫌な奴でしたね。女性二人をてなづける様子も、周りを上手く騙すその口ぶりも、常に人の顔色を窺って、うまく立ち回らないと居場所がない私生児の処世術を駆使しているようにも見えて、ある意味哀れでした。
石原さんのゴネリルは、やっぱり見た目の印象なのか、それほど意地悪さが強くなかった気がしました。なんだろう…男性陣のアクの強さが際立っているせいか、薄くなってるような…あえて、そういう演出だったのかなぁ〜
そうそう、シェイクスピア作品に山内さんが出演されるのも、意外でした。
そして、忠臣役というのも、私には新鮮でした。ひっそりと寄り添うような印象の忠臣ケントが、そこにいたって感じでした。
シェイクスピア作品って、毎度の事ですが、見終わるとどっと疲れます。
見ているだけで疲れるのですから、演じる役者さんたちは、さそかし疲労困憊でしょうね。それにしても、リア王の悲劇は、何をどうすれば、避けられたのか…遺産分割したのが間違いか、自分の分のを残しておくべきだったのか…王でなくとも、現代でも、あちこちで、起きているだろう事なんでしょうが…
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