<ZARDの坂井泉水が育った丹沢山麓秦野市を中心に旅する 第13回から第17回 7月から11月上旬 テーマ曲 来年の夏も >
目次
・テーマ曲 「来年の夏も」の紹介
第1章 ヤマユリめぐり Aメロの歌詞 7月6日(日)秦野市
第2章 夏の大輪の花ヒマワリとサルスベリ 8月23日、9月7日{日}8月29日(金)
第3章 秦野市 彼岸花とコスモス鑑賞 Bメロの歌詞 9月29日(日)
第4章 冬支度へ キクの花 11月3日(月・祝)秦野市民の日 Cメロの歌詞
テーマ曲 「来年の夏も」の紹介
ZARDの坂井泉水の故郷秦野市を中心とした旅、夏から秋へと跨り、移り変わる景色を描写した。季節を感じられるのは、毎年決まった時期に咲く花である。7月上旬、アジサイと入れ替わるように、すっかり緑が濃くなった里山に、白い花弁に黄色い筋が入ったヤマユリが彩った。本格的な夏を迎えると、ピンク色のサルスベリや真黄色のヒマワリの季節となる。厳しい夏を越えて、涼しくなると、愛
コスモスとヒガンバナが咲き出した。植物の中ではコキアが最も早く変色をする。秋が深まるにつれて、我々人が育てたキクの花が見頃を迎えた。
テーマ曲は、ZARDの「来年の夏も」、1994年6月4日にリリースされた5thアルバム「OH!MY LOVE」の9TRACK目に収録された。
写真=「来年の夏も」のMV 掲載元 Amebro My Pleasure Time!! 2021年6月21日付
https://ameblo.jp/mufallera181/entry-12680030031.html
歌詞出展先:U-ta Net
https://www.uta-net.com/song/11291/
最新作2025年2月10日にリリースされた「ZARD Best Request 〜35th Anniversary〜」の収録に向けたファン投票では、20位にランクインされている。同曲は、AメロからBメロへと実にテンポが上がっていく。ボサノバ調で始まりながらもBメロでロック調へと昇華するテンポの妙、そして坂井泉水ならではの透き通る歌声。特にアウトロのピアノ演奏は、フランツ・リストの『ラ・カンパネラ』を彷彿とさせる流麗な旋律で、聴く者に強いインパクトを与える。特筆すべきは「アウトロ」のピアノ演奏である。フランツ・リストの「ラ・カンパネラ」を彷彿とさせる、高い音から低い音の方へと流れるように鍵盤が奏でられる。ギターソロのように、インパクトが強い仕上がりになっている。里山を彩るヤマユリを鑑賞した7月6日、夏の季語になるヒマワリが一面咲く立川昭和記念公園を訪問した8月9日、サルスベリの花を観賞しながら芸術家とも出会った8月24日(日)と9月7日(日)の旅模様を描写する。両日の間には、8月29日(金)に撮影した海老名市高座クリーンセンター12階展望台からの夜景写真を挟む。
第1章 ヤマユリめぐり Aメロの歌詞
7月6日(日)アジサイの季節がすっかり終わった。梅雨が明けきらぬ7月上旬、秦野の里山は、緑の深まりと共にヤマユリの白い花を咲かせ始めていた。その姿は、過ぎ去った季節の終わりと、新たな夏の始まりを静かに告げているようだった。最初に座間丘陵の一角、谷戸山公園を訪れた。2週間前、オオタカの雛鳥は、一羽枝伝いに移動していた。対象的に他の一羽は白い産毛が残り、巣に留まっていた。
他の観察者の会話を聞いたところ、周囲のカラスに襲われることなく、無事に巣立ったようである。葉っぱによって日差しが遮られる中、一羽のみ確認できた。園路には、所々ヤマユリが育っている。ペアのように見える2株のうち、一株は蕾の状態であるものの、もう一株は花を広げている。赤色の実をつけたマムシグサが、舞台の主役のようにひときわ目にとまる。下草が生い茂る環境の中で、甘い恋を連想させた。
「来年の夏も」は、一夏の若者の物語を描いている。アコスティックギターのアルペジオから始まり、ゆったりとしたテンポにあわせて、坂井泉水は、言葉をつむぐように歌う。
全詞掲載
「同じ血液型同士って うまくいかないと 言うけど」
類は友を呼ぶ、と言われるように、似た者同士は惹かれ合う。一方で、互いの嫌なところが自分自身と重なって見えてしまうため、うまくいかない、との意見もある。人間誰しも完璧ではないからこそ、互いの欠点を補い合うことで、より協力関係が築ける。
座間市谷戸山公園から秦野市へと向った。目的は里山に咲くヤマユリの鑑賞である。市内に入り真っ先に向った葛葉緑地内で、一株咲いていた。沢沿いで甘酸っぱい桑の実を見つけ、ささやかな幸せを感じられた。
「私たち例外ね 今も 2年前の気もちと変わらない」
若いうちは感情的になり、些細なことで喧嘩になる。互いに素直になることで打ち解けあえる
人は、時に頼り頼られたい。自己実現する人ほど「行動力」を伴う。経済学のアダム・スミスの分業論に基づけば、ある一つの家庭において、苦手なことは人に頼り、得意なことに専念することにより、生産性が高まる。古くからの家庭像において、妻が家事や育児を担った。夫は勤めに専念することにより、給料を貰い、家のローンや教育費に当てられた。今は夫も育児に参加し、妻も仕事をする時代に変わった。共働きが多くなるにつれて、子供たちの面倒を見る「保育士」の存在が脚光を浴びた。
「恋の予感は、土曜日の映画館 勇気を出して良かった」
週末の映画館は、カップルや子連れの家族が多く通う。隣の席に腰掛けて、スクリーンを見つめるうちに、ぐっと距離が縮まる。
秦野市内では、戸川公園内の野球場付近の草むらでもヤマユリが自生していた。陽があたらない薮の中でひっそり咲く様子から、表舞台に出ようとする若者の姿とも重なった。
秦野駅から距離にして南南東の方角に位置する立野緑地は、ヤマユリの群生地と化す。常緑樹に覆われ、日差しが遮られる中、草地から突き出すように花を開く。周囲は、人の気配がない。静寂に包まれた中、ヤマユリたちは命を吹き込まれたかのように躍動する。3兄弟のように、手のひらのように花を大きく広げる株は、健在ぶりをアピールしていた。近接する二株の中には、共に下を向いていたりする。我々人のように花も個性が豊かだった。

立野緑地から尾根に沿って、震生湖の方角へ歩き、ヤマユリの里へと向った。すでに時刻は午後6時30分前、日没は迫っていたものの、フェンス越しにヤマユリを鑑賞する。中腰になって、見上げること、形がよくわかる。柱頭部分が直立の姿勢をとり、その廻りを赤色の勺が取り巻く。それもそのはず柱頭は花粉を受ける役割を果たしているからである。運搬役の昆虫の目をひきつけるべく、勺の部分がより、色鮮やかな赤に変わった。温暖化が進み、地球の気候は様変わりする中、植物はいつも決まった時期に咲いていた。
日暮れ時、秦野駅の帰り道に立ち寄る渋沢丘陵の麓、白笹稲荷神社では、境内が提灯の淡い光に染まっていた。藍色の空の下、境内へ続く階段は真っ青に染まった。日暮れ時、人々を誘惑するかのように、提灯の灯りが続く境内へと引き込む。出迎えてくれたのは、茅の輪くぐりだった。夏の風習の一つで、心身を清めて災厄を祓い、無病息災を願う。提灯の淡い光の先の鳥居は、真っ赤に染まった。見上げると、青い空を遮り、影絵のように木々が浮かぶ。夜の神社は不思議な力が宿っていた。

サビの歌詞では、素直に恋人への思いを綴っている。
「来年の夏も 隣にいるのが どうかあなたで、ありますように」
豊作を祈願するお稲荷様の前で、幸せを祈った。
第2章 夏の大輪の花ヒマワリとサルスベリ
日中35度を超える暑さにより、気象庁から熱中症対策が呼びかけられた。涼しくなる夕方、人々は外へ繰り出す。東京都立川市にある昭和記念公園は、夕涼みの一環として、初めて夏のライトアップイベントを開催する。舞台は、原っぱ広場の中心に聳えるケヤキの木と北側のヒマワリ畑である。
午後6時前、陽が傾く中、西の空には入道雲がわきあがっていた。ヒマワリ畑はやや陰になり、暑さでへたばったかのように、俯き加減に傾いている。日暮れ時、ライトに当たると、一気に力強さを増す。背後に聳えるケヤキの木による陰影効果により、手前のヒマワリの黄色い花びらが、反射板のようにライトを照り返す。健気で実にりりしい姿だった。

一方ケヤキの木は、赤色、ピンク色、青色など、色彩が変わる。闇夜に浮かぶ神木に、畏敬の念を抱いた。我々人が作り出した光のショーは、昼間と異なる景色を作り出す。まさに芸術の領域だった。

8月24日(日)と9月7日(日)は、夏真っ盛りの秦野市へ足を向けた。両日途中で立ち寄ったのは、海老名市の旧海老名村役場の建物を利用した温故館、両日共、元高校教員の職員から、古墳について解説いただいた。聞けば早稲田大学の考古学を専考していたという。人間誰しも古い遺跡が出れば、どんな秘宝が隠れているか、興味を持つ。博物学の観点から、人の手が入るということは、破壊行為につながる。市内の秋葉山古墳群からは一部土器が発掘され、展示されていた。現在日本は火葬が主流だが、古くは地中に埋葬していた。当時の人々の暮らしを、遺跡から検証することが出来た。
秦野市内では、駅から北東へおよそ800mの大用寺と、駅南口のとおり沿いに、百日紅が咲いていた。

駅南口では、青空の下、ピンクの花びらが、一段と鮮やかさを増す。その足元には、湧き水が流れる。実に涼しげな情景だった。9月7日、午後3時代から4時過ぎまで、厚木市や隣の愛川町在住の芸術家による個展に足を運んだ。出展者の一人の男性とは、8月24日に自宅の美術館を伺ったことをきっかけに顔見知りになった。男性が個展の会場に向う前、再び私は自宅の美術館にお邪魔していた。開館時間の午前9時、慌てて服を着て、私をもてなしてくれた。その芸術家は、飯山に伝わる伝説をモチーフにした紙芝居を読み聞かせてくれたのである。一般に公開された一室には、木彫りの彫刻品や風景画が展示されていた。玄関前には、飯山観音寺の裏手に位置する白山から採取した石灰岩も保管されている。地元の文化を、芸術の世界に融合して、人々の前に披露していた。
本厚木駅南口の程近くの建物の一室で開催された個展をうかがった際、愛川町在住の似顔絵師とも会話した。一人3,000円で受け付けているという。室内には、その似顔絵師が作成した狐のお面が飾っていた。一体一体色合いが微妙に異なるとはいえ、獲物を狙うハンターの目そのものだった。それぞれ出展した作者は、独自の世界を追及していた。互いに情報を共有することにより、磨きをかけていた。観覧する立場としても、作家から直接説明いただき、奥行きのある世界に触れることが出来る。実にユニークな体験だった。
8月24日と29日(金)には、夕暮れ時、海老名市にある高座クリーンセンター12階の期間限定夜間公開する展望台から撮影した。麓を走るのは東海道新幹線、ガラス越しに光が反射しないように気を配りながら撮影したところ、光跡がきざまれた。24日は西の空に雲が発達し、視界もかすみがちだった。29日は一転して、夕焼け空に染まり、見通しも良くなり、富士の頂も顔を出してくれた。暗くなっていく空とは対照的に、麓からやさしく町明かりが浮かび上がる。時の移ろいを感じる瞬間だった。

9月7日の夜景の舞台は、秦野市弘法山公園内の弘法山公園である。2024年12月末に、南西に開けた展望台が設けられた。真っ暗闇に包まれ、物音一つ聞こえない。深呼吸して、心を落ち着け、月明かりに照らされた町を俯瞰する。残暑が厳しくても、季節は確実に秋へと向っていた。涼しい風が吹き込む中、心が研ぎ澄まされ、不安も吹き飛んでしまった。町の灯は、我々人が活動している証を示してくれた。

第3章 9月29日(日)秦野市 彼岸花鑑賞 Bメロの歌詞
この日は、年に一度の「はだのたばこ祭」の開催日だった。初めに訪れたのは、彼岸花の里、標高1200mの大山の麓に位置する伊勢原市の日向薬師、傾斜地の棚田に、真っ赤な彼岸花がもてなしてくれる。
やや下りの洗足方面においては、休耕田を中心に、彼岸花が直立の姿勢をとっていた。猛暑が収まり、涼しい秋を知らせてくれた。
伊勢原市から離れ、西隣の秦野市内では、最初に秦野戸川公園に足を運んだ。湿気がとれて、暖かく感じる昼下がり、少しずつ植物も変化していた。園内の一角に育てられたコキアは、夏間の緑から微妙に朱色に変わりつつある。
写真左=9月7日(日)のコキア
写真右=11月3日(月・祝)のコキア

河津桜の木は、緑から黄緑へ変色していた。寒い冬の真っ只中の開花にあわせて、間もなく落葉し、しばしの間眠りに付く。

植生豊かな公園から、西方向へ歩き、四十八瀬川沿いを散策する。谷間を流れる川沿いで真っ赤な彼岸花が等間隔で林立していた。その脇には笠懸した稲穂が並ぶ。人里から離れ、ほっと落ち着いた気分になる。
主人公と向き合う彼女の心境は、Bメロの歌詞のとおりだった。
歌詞:「知り合う前の私は‘‘強い女’’ の看板背負っていた。」
若い頃は、特に自分をよく見せたがる。恋する相手同士は互いに意識しあう。
川の水量は少なく、涼しい秋の風が吹き込んだ。真っ赤な花びらに思いを寄せるうちに心も落ち着いてくる。
歌詞:「ラベンダーの匂いに心ときめく 昨日より もっと愛しい」
四十八瀬川沿いをめぐる旅を終えて、渋沢駅を経由し、隣の秦野駅で降りる。向うのは北へ3,3km田原ふるさと公園である。丹沢のふもとに打ち開けた田園地帯に、子供たちが製作した案山子が展示されていた。カラスや有害な鳥から稲を守る役割を果たしながら、芸術品としても人々にインパクトを与える。黄金色に染まる稲穂は、秋の風物詩であった。

サビの歌詞:「来年の夏も となりにいるのが どうかあなたで ありますように」
薄着で開放的になる夏は、確かに汗対策により、水辺を求めたくなる。川や海のレジャーはひときわ賑やかになる。同じ目的の若者が出会い、そして恋に落ちていく。出会いの夏は誰しもあこがれる青春だった。
その日の終わりに足を運んだのは、秦野駅から南へおよそ2km、震生湖につなが渋沢丘陵・今泉町の高台である。オレンジのコスモスに調度車のヘッドライトが当たると、明るいピンクに染まった。背後の秦野盆地の町明かりもおぼろげに浮かぶ。心が温かくなる瞬間だった。
第4章 冬支度へ 11月3日(月・祝)秦野市民の日 Cメロの歌詞
長くて暑い夏が過ぎると、あっという間に冬支度へと移行する。10月は例年になく、雨が多く、外出の足止めにもなった。植物は既に装いを変えていた。ナナカマドは赤い実をつけ、ヒヨドリを呼び込む。ヒヨドリは、植生が乏しい冬に向けて、秋に栄養を蓄える。モミジの葉っぱも濃い緑から次第に薄くなる。朝一番に訪れたのは、厚木市飯山の白山森林公園の麓、地元の自治体によって、菊の花が育てられていた。8月24日と9月7日に対面した芸術家の方とも再会する。聞けば一日中客の案内をするという。想像力を養ううえで、花を育てながら、人々との交流を深めていた。柿木の根元に咲く小さな花は、紫や黄色、青などそれぞれ異なる色を出す。太陽光が照ると、一枚一枚の境目がくっきりと表れた。丁寧に刈り込むことにより、丸い房状になる。今や菊の展示は、芸術的な価値を見出されている。

次に移動するのは秦野市、文化の日を市民の日と位置づけ、行政サービスを行う。祭典が開催されるカルチャーパーク(秦野運動公園)は、秦野駅方面と渋沢駅方面にかけて無料のシャトルバスが走る。
シャトルバスの対象外区域の戸川公園では、祭の賑やかさとは無縁とはいえ、登山の拠点としてハイカーが集う。園内では、コキアはすっかり朱色に変わり、菊は咲き始めていた。

モミジやクヌギやコナラを含め落葉広葉樹により、秋らしい装いに変わっていた。麓の水無川沿いでは、ニシキギの木が赤と緑のコントラストを成す。背景には、重厚な佇まいの風の吊り橋が控える。長さ265m、高さ35mに及ぶ橋脚を擁する吊り橋には、丹沢の山々からの乾いた風が吹き降ろす。石造りの橋脚は、水無し川を挟み、対岸を行き来する人々の支えにもなる。自然と人々の暮らしの調和を象徴する存在だった。
写真=カキの葉?の紅葉 写真=手前ニシキギ

水無川を下ること、カルチャーパークでは、テントがぎっしりと並んでいた。親子連れが出入りし、食事をしながら、ゲームを楽しんでいた。人の出入りが激しい園内の一角に、秋バラが傾きつつある陽光により、淡い色に染まっていた。ピンク色の品種ウララは、房の内側が影になる一方、外側は光を吸収する。重なって見える花びらを観察すると、心の底からこみ上げてくるものがある。新たに刺激を受けて、リラックス効果が働いた。

来年の夏ものCメロの歌詞は、結末へ向けて、若者の決意を示している。
歌詞:時間旅行しているみたいに 景色が変わっていく。
四季が豊かな日本列島は、植生が入れ替わり、季節の進み具合を教えてくれる。動かずに悶々としていれば、あっという間に時が過ぎていく。2025年は10月の長雨の影響で、秋が短いと感じられた。
サビへ
歌詞:来年の夏の二人の記念日 出会った場所でお祝いしましょう。
若者程、夏は開放的になり、出会いに恵まれる。ただその運命を物にするか否か、自分しだいだった。
日暮れ時撮影地は、震生湖へ繋がる標高190mの今泉の高台。澄み切った空気により、盆地の背後に聳える丹沢の峰々が影絵のように浮かび上がる。藍色の空の下、町から明かりが灯るトワイライトタイムに、ススキの穂がなびく。季節感が漂う夜景スポットは、自然と人々の暮らしが程よく溶け込んでいることを示してくれた。
歌詞:これからもずっと 隣にいるのが どうか あなたで ありますように
曲の方は、ピアノソロが際立つ。作曲家フリンツ・リストのラ・カンパネラを彷彿とさせる、鍵盤を激しく叩きながら、滑らかな指使いで弾きこなす。ギターで弾くような激しい曲調で締めくくった。
<歌詞終わり>
暑い夏が過ぎ、駆け足で冬へと向った。子供時代、長い休みに入る夏を皆楽しみにしていた。歌詞「来年の夏も」は、一夏を過ごした青年が、旅を通して、心を入れ替えている様子が伝わる。曲が発表された1992年は、今よりも夏は涼しく、長い休みを利用して、普段行くことのできない観光地へと赴いていた。令和時代はより温暖化が深刻で、室内にこもる傾向にある。秦野市内は、植物を育てることにより、市民の温かい心をはぐくむことを目指している。四季移り変わる景色の中で、作詞者坂井泉水の思いは脈脈と受け継がれていく。
写真=1994年頃の坂井泉水 2021年のデビュー30周年記念のカレンダーより 掲載元 Amebro 未来はいつも子供達の中にある。2021年8月1日付
https://ameblo.jp/starting-point-12/entry-12689198244.html
以下 関連日記
前回 2025年第9回から第12回 5月から6月 テーマ曲「見つめていたいね」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1990263194&owner_id=32437106
前年同期 2024年第9回から第11回 テーマ曲「こんなにそばに居るのに」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1988764977&owner_id=32437106
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