日本は全国津々浦々で行政サービスを享受出来る国だ。
都会と村とでサービスの格差が小さい方の国である。
発展途上国に行くと都会と村とでは全く異質の社会が構成されていることに気がつく。
極端な場合都会から村へ行くと21世紀から19世紀の世界に逆戻りしたような錯覚を覚える。
私は東南アジアの田舎で滞在することが多かったので村の生活とはいかなるものかを見た。
インターネットに接続することが出来れば村で数週間滞在することは出来るだろうが
それが出来ない場合、かなり大きなストレスを感じる。
情報がない環境がいかにストレスを与えるか実感するのである。
情報というものなしでは人間は生きていけない生き物なのだ。
では何故情報なしで生きていけないのか?
それは人間が社会の中でしか生きていけないからだ。
誰もが皆で共有する情報が欲しいのである。
自分ひとり情報を持っていないということが
人間に大きなストレスを与える。
私はベトナムで暮らしていた頃にミクシィーを始めた。
所用で田舎に行かなければならないことがしばしばあり
田舎に行くとネットに接続できないため大きなストレスを感じたものだ。
自分ひとりだけミクシィーの情報を入手できないことだけで
何故か自分ひとりだけ取り残されたような気がした。
まるでバスに乗り遅れてしまったかのようだった。
皆はバスに乗って行き先に向かっているのに
自分ひとりだけただそれを呆然と眺めているような錯覚を覚えた。
そして強い焦燥感を感じた。
反対に情報を人よりも早く入手すると何故か優越感を感じるものだ。
34歳の詐欺女の事件が起きた時誰がその女の顔写真を一番先に見るのかを競った。
だから東スポを一番早く見た者は優越感に浸ることができた。
そして情報をいち早く掴んだ者はそれを人と共有したいと考える。
情報の発信者は「俄かヒーロー」になれるのだ。
しかし本当の情報長者は情報を流さない。
情報を管理できる者が情報長者になれるのである。
中日落合監督は情報を垂れ流ししない。
彼を非難する者は情報は共有するためにあると思っているが
情報を管理できない者は決して情報の意義について知ることはないだろう。
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