名札の束を、今日も無意識に指でなぞっていた。
ストラップの先には、かつての勤務先や展示会で使った関係者証が重なっている。
本革の手提げバッグの中で、マルチビタミンやB2・B6のサプリと一緒に、いつも居座っている。
「癖なんだな」
カフェの窓際で自分に呟く。
まるで数珠を撫でるみたいに、僕はこの名札を指で回す。
*
面接では必ず聞かれる。
「これまでどんな仕事を?」
「具体的に成果を挙げた経験は?」
僕は答える。
バナナの輸入を中心に、各国との調整、物流、契約書のやり取り。
でも、彼らが本当に知りたいのはそこじゃない。
「日本のやり方にどれだけ合わせられるか」
その一点だ。
*
「なれ合いが必要ですか?」と一度、面接官に問い返したことがある。
沈黙の後、面接官は笑いを含んだ声でこう言った。
「いや、協調性ですね」
同じことだろう。
ゴマすりも、空気読むも、僕には同じだ。
僕にとっては、あってもなくてもいいもの。
でも、ここでは“なくてはならないもの”になっている。
*
カフェの隅に、先日の顔ぶれが見えた気がした。
ヨリコ、ケンイチ、ミホ。
封筒を抱えて話していた時間。
「途上」という言葉。
あのときの会話を思い出しながら、僕は一人で笑ってしまう。
「途上」か。
僕の場合は、「どこにも属せない途上」なんだろう。
UAEにもなじめず、華僑の輪からも弾かれ、不条理に立たされている。
*
ソフトドリンクの氷が音を立てた。
窓の外を、小学生の列が歩いていく。
彼らの笑い声に、ほんの少し救われる。
僕は名札の束をバッグにしまい、背筋を伸ばす。
まだ、この封筒を手放す日は来ていない。
でも、“今の位置”を示す目印がある限り、歩ける気がした。
(続く)
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