mixiユーザー(id:9270648)

2025年09月28日23:34

13 view

【Laboratory】同12話「名札の束」

 名札の束を、今日も無意識に指でなぞっていた。
 ストラップの先には、かつての勤務先や展示会で使った関係者証が重なっている。
 本革の手提げバッグの中で、マルチビタミンやB2・B6のサプリと一緒に、いつも居座っている。

「癖なんだな」

 カフェの窓際で自分に呟く。
 まるで数珠を撫でるみたいに、僕はこの名札を指で回す。


    *

 面接では必ず聞かれる。
「これまでどんな仕事を?」
「具体的に成果を挙げた経験は?」

 僕は答える。
バナナの輸入を中心に、各国との調整、物流、契約書のやり取り。
でも、彼らが本当に知りたいのはそこじゃない。

「日本のやり方にどれだけ合わせられるか」
その一点だ。


    *

「なれ合いが必要ですか?」と一度、面接官に問い返したことがある。
 沈黙の後、面接官は笑いを含んだ声でこう言った。
「いや、協調性ですね」

 同じことだろう。
 ゴマすりも、空気読むも、僕には同じだ。
 僕にとっては、あってもなくてもいいもの。
 でも、ここでは“なくてはならないもの”になっている。


    *

 カフェの隅に、先日の顔ぶれが見えた気がした。
 ヨリコ、ケンイチ、ミホ。
 封筒を抱えて話していた時間。
「途上」という言葉。

 あのときの会話を思い出しながら、僕は一人で笑ってしまう。
「途上」か。
 僕の場合は、「どこにも属せない途上」なんだろう。
UAEにもなじめず、華僑の輪からも弾かれ、不条理に立たされている。


    *

 ソフトドリンクの氷が音を立てた。
 窓の外を、小学生の列が歩いていく。
 彼らの笑い声に、ほんの少し救われる。

 僕は名札の束をバッグにしまい、背筋を伸ばす。
 まだ、この封筒を手放す日は来ていない。
 でも、“今の位置”を示す目印がある限り、歩ける気がした。


(続く)
4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2025年09月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930