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2025年03月08日00:23

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106.関心領域

https://m.youtube.com/watch?v=oFaqgVl-TQ0&pp=ygUT6Zai5b-D6aCY5Z-fIOS6iOWRig%3D%3D

※アマプラで見た映画は基本的に短文で感想をまとめていたのですが、今回は色々食らっており、食らいたてのフレッシュな感想を残しておきたかったので長文枠として切り出しました。


感想を言語化するのがとても難しいのだけれど、敢えて言葉にするなら「すごく見たかった映画だけど出来れば見たくなかった、でも見て良かった」といったところでしょうか。

少なくともこの映画で描かれる「家族」には大したドラマは起こらない。
せいぜい起きることといえば


転勤しなきゃいけないかも。
やっぱ転勤しないで済んだ。
やったー。
オェー(嘔吐)!


…という話。
「やったー」と「(嘔吐)」は本来横並びにならない組み合わせなのだけれど、この映画では後者によって重罪人であっても罪の意識があるという、微かな人間性を表現しているのかと感じました。
一方で「こいつは罪の重さを自覚していた、だから『命令に従ってただけなんです』なんて言わせねぇ!」という容赦の無さの表れなのかも知れません。

…見てない人には何のことやら、といったことをつらつら書いたのですが、この映画に関しては一個人が描写のディテールを紹介してもあまり意味が無いと思うのでその辺は省略します。
解説動画を漁って見て下さい。
とにかく自分で感じて、想像することが肝だと思います。

最低限の歴史さえ知っていれば「のどかな生活」の裏で繰り広げられていることの凄惨さは想像に難くありません。
画面には映らない数100メートル先、数え切れないほどの「別の家族」には同じ瞬間に何が起きているのか。
それを想起させるための物騒な物音や悲鳴が常に垂れ流されており、時折挟まれる不穏な音楽が見る者に改めて異常性を突きつけてきます。
その意味では親切(心折?)設計と言えるでしょうか。


出来れば見たくなかったというのは、見れば否が応でも自分に跳ね返ってくるのが目に見えていたからです。
自分はナチス党員でもないしあの時のアウシュビッツに住んでいるわけでもない。
時間も空間も遠く離れている。
それでも、規模や歴史的な背景は違えど「見て見ぬふりしてるのは自分も同じ」と思わされてしまう。
しかも押し付けがましさがなく、静かに種を植え付けられて、次第に内側から罪の芽が生えてくるような感覚でした。
自分自身からは逃げられない。

誰だって自分の関心領域を作り上げてしまう。
その領域の外のことならば、どんなに悲劇的で残酷なことでも余裕で見なかったことに出来てしまう。
ただ、それ自体の是非を自罰的に突き詰めても仕方がない。
誰だってスーパーマンではないのだし、そもそもスーパーマンだって全ての問題に対処出来るわけではない。
ましてや一人の人間に出来ることなんてたかが知れている。
それならばせめて、自分の手の届く範囲・目に見える範囲の事柄からは意識を逸らさず、そして線引きされた関心領域の少し先にまで意識を広げるよう努めることしか出来ないのではないか。
それが「過去」を知った「今」を生きる者に残された唯一の手段なのではないか。
なんてことを考えました。








…って感じで、それらしく終わられたら良かったのだけれど、多分そうじゃない。
きっとここで終わらせたら
「だから、なに?」
って、言われると思うのですよ、この映画に。


ここから少しだけ自分のことを綴ります。
くれぐれも勘違いしないでほしいのですが、人類史上に残る最悪の出来事と自分の境遇を重ねようなどとは微塵も思ってはおりません。
全く別種の事柄です。
そこだけはご理解いただきたい。




仕事のことだけで言ってもここ1年くらいずっとシビアな状況が続いています。
気付けば職場に残っているのは自分だけ、最終退出者として守衛室の名簿に名前を綴るのが日常で、それなのに一向に仕事が片付きません。
心身ともに擦り減っていることを日々実感するし、喜びを感じる領域がどんどん閉じられていくようで毎日が恐ろしくて仕方がありません。
どうやったらこの罰ゲームは終わるのか、そもそも本当にいつか終わるのか、こうなったら自分で終わらせるしかないのか?
そこまで考えて振り出しに戻る、が延々と繰り返されているのが現状。
ふと周りを見渡すと、習い事があるから定時で帰る人、多分習い事なんて無いのだろうけど毎日定時で帰る人、有給と連休を繋げて旅行に出掛ける人、単純作業「なら」手伝いますからいつでも言って下さいと言って帰って行く人、色んな人がいます。
そして気付きました。
自分はこの人たちの関心領域に入っていない。



繰り返しますが、比較ではありません。
関心領域から外れる機会が日常には転がっているということを実例として挙げただけですので悪しからず。

この映画を見て自分が強く思った本音は以下の通りです。


この映画で描かれた現実のあの人たちは間違いなく「今」を生きていたのであり、その「今」は自分たちの今と本質は変わらないのだから「過去」として切り離して考えるべきではなかった。
翻って「お前はスーパーマンではなくルドルフ・フェルディナント・ヘスであり、壁の向こうの人々だ」と突きつけられたようで、凄く嫌な思いをしました。
嫌な映画です。
だから全人類がこれを見て、一人残らず嫌な気分になればいい、と思いました。

それでも、この映画を自分の関心領域に収めることが出来た、その事実は良きことだと思いたいです。

以上、「関心領域」に食らった人間の心の叫びでした。


…なんで真横に豪邸構えたんだろう。
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