12月10日(火)
今回、故人となったフリーアナウンサーの小倉智昭さんと、歌手と女優の二束の草鞋を履いた中山美穂さんの功績について書き上げた。二人の直接の死因は明かされていない。小倉さんが8年半前に発覚した膀胱癌、中山美穂さんの死の直接原因とされるヒートショックの予防法についても紹介する。
前回医療を取り上げた日記
・2024年11月15日付 第1章 高額療養費制度の見直し
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1988807423&owner_id=32437106
第1章 小倉智昭さんが亡くなる。2016年8月から膀胱癌を患う。
以下 日刊スポーツ 2024年12月10日午前6時43分記事より
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202412100000037.html?Page=2
初めに 人気アナウンサー、小倉智昭さんが、亡くなっていたことが、フジテレビの関係者によって、明かされた。享年77歳だった。死因は非公表。2021年3月まで平日の朝型、フジテレビで放送された「とくダネ!」のメインキャスターを務めていた。
写真=2018年 2018年9月17日の「とくダネ!放送5000回」の記念前に花束を受け取る小倉智昭さん 掲載元クランクイン!2018年9月15日付
https://www.crank-in.net/news/58990/1
同番組終了後、闘病中の身でありながら、キャスターを続けている。軽妙な語り口で、幅広い年代層から愛され、クイズ番組でも司会を務めていた。2016年5月13日に番組「とくダネ!」を放送中、初期の膀胱がんであることを公表していた。同年5月17日に緊急手術を行って、表面のがん細胞を摘出する。4日後の21日に無事退院し、2日後の23日には番組に復帰した。キャスターとして番組を留守にする期間を限りなく短くし、仕事に精を出した。手術後も検査を受ける中で、筋肉質までがん細胞が入り込んでいることが分かった。浸潤癌の治療において、膀胱の全摘により、再発のリスクを大きく減らせる。彼は、転移のリスクを承知のうえで、膀胱を温存し、免疫療法を続ける道を選んだ。医師も、小倉さんの意思を尊重した。小倉さんは後に日刊スポーツの取材陣の前で、全摘を選ばなかった理由について語った。真っ先に生活の質を保ちたかったからだと打ち明けた。人工肛門をつけた状態では、人前で温泉に入ることは出来なくなる。彼自身、ゴルフで汗を流した後、温泉に浸かるを楽しみにしていた。免疫療法を選び、経過観察を続けた。2018年夏に転機が訪れる。膀胱炎を患い、止血手術を行った。2018年11月5日の放送中、事態を説明したうえで、膀胱全摘手術を受けなければならないかもしれないと、胸の内を明かしていた。同月30日に、2年遅れで、膀胱を全て取り除いた。2019年1月7日に、キャスターとして舞台に戻り、2021年3月26日の最終回まで勤め上げたのである。
癌細胞が発覚すると、早期発見により、予後の経過も良くなる。膀胱癌の初期症状の代表例は、血尿だった。無痛性で、量が多い点が特徴的である。「背中や腰の痛み」、1日8回以上トイレに駆け込む「頻尿」も症状の一つである。最大の危険因子は、「タバコ」との研究結果も報告された。喫煙者は、非喫煙者に比べて、罹患率は3,7倍に達する。罹患者の80%は、膀胱の表面でとどまる「非筋層湿潤ガン」である。手術で摘出すれば、再発リスクも低く、予後も比較的良い。外的手術において、内視鏡を仕える場合もある。切開手術と比べて、傷も残りにくい。ただし初期の大腸がんと比べると、内視鏡切除手術でとどまった場合でも、追加治療の必要性が高い。BCG膀胱内注入療法を行わない場合、再発リスクは60%になる。予後の経過観察も必須である。
患者の残り2割は、筋層まで癌細胞が入り込む。リンパ腺に転移を起こしやすく、再発の危険をはらむ。小倉さんの場合は、残り2割の患者に見られる癌細胞が筋層に達していた。
詳細 せいてつLab 喫煙と膀胱癌について 治療法について
https://www.ns.yawata-mhp.or.jp/content/items/244
国立がん研究センターが作成した2024年5月の資料に基づくと、人口10万人辺りの罹患者数では、45歳未満は男女共限りなく低い。男女共40代後半で出始め、60歳を超えると男性の罹患者数を示すグラフの傾きが大きくなる。女性は男性と比べて、比較的低い傾向にある。
写真 掲載元 がんを生きる 膀胱ガンとは
https://www.msdoncology.jp/bladder/about/
後に小倉さんは、日刊スポーツの取材にて、膀胱の摘出手術を2年半先延ばしした選択を間違いだった、と振り返った。ただし、再発リスクは覚悟の上でのことだった。2016年5月13日に初期の膀胱癌を公表した際、「寿命は選ぶことができない。だから充実した生き方をしたい」と述べていた。
2023年9月に大量に血尿が出たことで、直ちに病院に駆け込み、精密検査を受けた。新たに、癌細胞が腎臓に転移していることが発覚する。同年11月に左の腎臓の全摘手術を受けた。後に、全身に転移している状態から、ステージ4の腎盂(じんう)癌であることが判明する。2024年1月に「余命は1年半。3年生きる可能性は8%ない」と宣告を受けたことを明かしていた。
死を意識する中、2024年2月26日付で更新されためざましmediaの取材にて、奇妙な体験をしたと語っている。
リンク
https://mezamashi.media/article/15177523
癌細胞の転移により、外科手術を受けるため、キャスターとしての仕事を半年間休養した際、亡き父と出会ったという。三途の川を挟み、亡き父から「もうそろそろ行くか?」と声をかけられた。彼は、「俺はまだいかない」ときっぱり断ったと明かした。インタビュー中「父と一緒に行っていたら、俺はこの場にいない」と引き続きアナウンサーを務める決意を表明していた。
初期の膀胱がん判明から8年6ヶ月、アナウンサーの立場から闘病生活を発信することにより、われわれ一般人は予防の意識が高まる。血尿を含めて、異変があった際、検査の重要性についても説明していた。最後の役割として膀胱癌の理解への普及に努め、77年約6ヶ月の生涯を終えた。
<第2章 中山美穂さんについて�◆‘�浴中の注意点を解説 共演者WANDSのヴォーカルを務めた上杉昇の追悼コメント 名曲「世界中の誰よりきっと」の歌詞>
前回中山美穂関連日記 2024年12月6日付
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1988940853&owner_id=32437106&org_id=1988960619
12月6日に、自宅の浴室にて死亡が伝えられた歌手兼女優の中山美穂さんの所属事務所は、今後の対応について、一つファンに伝えた。12月6日(金)ビルボードライブ大阪公演に続き、12月10日(火)のビルボードライブ横浜、12月15日(日)のビルボードライブ東京、3つの公演を中止と発表した。チケットの購入者には、手数料を含めて、払い戻しを受付する。
前日8日(日)に所属事務所は、死因について「不慮の事故」と明かした。遺族の意向から、詳しい状態については、伏せられた。
近親者のみで葬儀を済ませ、後日一般向けにお別れ会を開くという。
有名人の突然の死去によって、一般市民も少なからず影響を受ける。詳しい原因について非公表だとはいえ、外の気温と湯船の中の気温差による、「ヒートショック」との説が強い。テレビでもヒートショックの危険性について、専門家の解説を交えながら、大々的に報じられた。浴槽での死亡件数は、交通事故よりも3,7倍多く、年間推計2万件に達する。リスク因子として、寝不足、喫煙、飲酒、肥満の4つの要素を挙げている。例え20代の若者でも、糖尿病を患っていれば、その危険性は増す。
政府広報オンラインでは、入浴中の事故を防ぐために以下のことをあげている。
◆入浴前に浴室暖房などで脱衣所や浴室を暖めて急激な血圧の変動を防ぐ
◆湯の温度は41℃以下にして、浸かる時間は10分までを目安に
◆浴槽から急に立ち上がらない
◆食後すぐの入浴や、飲酒後・医薬品服用後の入浴は避ける
◆お風呂に入る前に同居する家族に一言かける
◆家族は入浴中の高齢者の動向に注意する
写真 掲載元 済生会
https://www.saiseikai.or.jp/medical/column/heatshock/
我々は無意識のうちに、事故に繋がる行動をしている場合がある。冬場は、外気温が低い分、お湯の温度を上げたくなる。確かに40度前後のお湯の中に浸かると、健康にも良い影響を及ぼす。皮膚の毛細血管が広がってっていくことにより、リラックスできるという。一方40度代後半の熱いお湯の場合、交感神経が興奮することで血管が収縮する方向へ働く。寒い外の世界から、温かい湯船に浸かると、体の負担がかかる。血圧が急低下して、脳梗塞や失神を起こす可能性がある。
来年デビュー40周年を控えていた中山美穂、歌手と女優の二束の草鞋を履き、昭和の末期から平成初期に一誠を風靡した。作詞家としても高い能力を発揮した。
自身の最大のヒット曲、1992年10月28日にリリースしたWANDSとのコラボ曲「世界中の誰よりきっと」は、今なお平成の名曲として、カラオケでも歌い継がれている。同曲は、当時WANDSのヴォーカルを務めた上杉昇との共作だった。中山美穂自身が主役を務めたドラマ「誰かが彼女を愛してる」の主題歌にも抜擢された。
同曲は、未来のある若者の恋物語を描いている。
冒頭の歌詞:「まぶしい季節が 黄金色に街を染めて 君の横顔 そっと包んでた」
街並みが黄金に輝くように、恋する男女が互いに肩を寄せ合い、歩いていく様子が写る。
Cメロのサビの歌詞の一節:「世界中の誰よりきっと 胸に響く鼓動を ずっと抱きしめていたい 季節を越えて いつでも」
惹かれあう二人は、世界中の誰よりもきっと、熱い思いを感じていた。春、夏、秋、冬と移り変わる景色を共に見て、将来を誓った。
物語は、付き合っていた二人が、デートを重ね、ゴールインをした。
リリース時の1992年は、バブルが弾けていたとはいえ、一般の人々は実感が持てていなかった。景気は確かに下火になっていたとはいえ、一時期的に過ぎないと、楽観視していた。
同曲の歌詞からも明るい未来を描いて突き進む若者の魂が感じられる。実に戦後右肩上がりの経済成長を遂げた日本社会を反映していた。
写真=世界中の誰よりきっとの熱唱シーン 掲載元 Xユーザー ばぶりっくぷれっしゃー 2021年5月24日付
https://x.com/Maps415lapsM/status/1396796831024115714
共演を果たした上杉昇は、自身が所属するレーベルの公式X(旧ツィッター)にて、追悼コメントを出した。
掲載文 日刊スポーツより
https://www.nikkansports.com/entertainment/photonews/photonews_nsInc_202412060001586-1.html
「中山美穂さん。私にとって人生の恩人の1人であります。急な悲報に触れ、ただただ驚き愕(がく)然とするばかりです。一緒に歌ってくださったこと、ありがとうございました」と気持ちを表した。
自身の心境についても語った。「そして表現者としての数えきれない日々を、本当にお疲れ様でした。今はただ、心より御冥福をお祈りいたします」
写真=上杉昇 2023年時 掲載元 VOCAL WEB
https://vocalmagazine.jp/interview/release/231221_show-wesugi/
WANDSのブレイクのきっかけは、中山美穂との競演だった。主役の中山美穂のバックで歌う3人組のロックバンド「WANDS」も人々の目に留まり、ブレイクを果たしたのである。上杉昇は、1997年初頭に正式にグループから脱退し、自身のやりたい音楽を追求した。彼の人生の岐路は、中山美穂とのコラボにあった。自身が所属したWANDSは、5期体制として再始動発表から5年が立つ。彼は、「応援している」と素直に気持ちを打ち明けた。
中山美穂の思いは、着実に人々の心の中で生きつづけている。
小倉智昭さん、膀胱がんのため死去 享年77 事務所が正式発表【コメント全文】
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=8127071
ログインしてコメントを確認・投稿する