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2024年07月02日20:48

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UEFA EURO2024企画(7)ジョージアの歴史(2)13世紀から17世紀、王国の分裂。決勝トーナメント1回戦 ジョージア 対 スペイン戦レポート

今回は初出場ながら予選リーグを勝ち上がったジョージアの歴史、前回の第5章の続きから入る。東隣のイスラム教の脅威にさらされながら、11世紀のダヴィド4世、12世紀末から13世紀初めのタマル女王を含め、勇名を馳せた君主によって、正教を保護した。タマル女王の死後、モンゴル系の民族、中央アジアのティムール、イスラム教スンニ派のオスマン帝国とシーア派のサファビー朝の板ばさみにあい、グルジア王国は、分裂を始める。18世紀初旬までの歴史を紹介する。

 関連日記 UEFA EURO2024企画(6)ジョージアの歴史 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1987896229&owner_id=32437106


 第5章 モンゴルによる征服「タタールの頸木時代」続き

グルジア王国は、騎馬隊を率いるモンゴルとの戦いに備え、アルメニア軍と同盟を組んだ。西暦1220年にモンゴル系ホラズム帝国のムハンマド2世に対して、同盟軍はスブタイ将軍とジェベ将軍が戦った。戦力では明らかにモンゴルに分があり、グルジア王ジョージ4世は負傷した。当時はモンゴルのチンギス・ハンの命令に従い、偵察行動に過ぎずなかったのである。もちろん土地を荒らし、農民から搾取した。当時イワン1世ザカリアンが、ジョージアのアタベク、またアミールスパサールとして、モンゴルと抗戦した。勇猛果敢にモンゴルに立ち向かったことにより、大きな犠牲を追いながら、守り抜いたのである。グルジア王国内では、断片的に支配を受けた。西暦1226年に、ホラムズのシャー、ジャラール・アッディン・ミンブルヌは、トビリシを占領したのである。西暦1238年には、グルジアとアルメニアは、モンゴル二掌握された。

モンゴル帝国のグユク・カンは、グルジアの内政に干渉を続け、分割統治を命じた。西暦1247年、ギオルギ4世の子のダヴィド7世には東部のカルトリを、ルスダンの子のダヴィド6世には西部のイメレティを与え、共同君主として容認する。権力を分散させることにより、帝国内に属する各自治体の力を弱め、監視体制も行き届きやすい。行政を細分化する手法は、全く裏目に出た。1259年から1260年にかけて西部のイメレティの王ダヴィド6世に率いられたグルジア貴族たちがモンゴル勢力に叛旗を翻し、独立を勝ち取ったのである。ダヴィド7世が治める東部グルジアは、西部イメレティとの連絡網が途絶えているのか、ゴリ(西部の都市)付近の戦いで破れ、モンゴル軍の配下に収まったままだった。

 写真=13世紀のイスラム 世界の歴史まっぷ イル・ハン国より
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東部ダヴィド7世が治めるカルトリは、西暦1257年以降、遊牧国家であるモンゴルイルハン朝内において、改革が進む。税務行政上の首都と重要地点とを結ぶ駅逓制度が整備され、トビリシ市も「シャーフ・ラーフ(王の道)」と称する交通網の中心地として、物も人も行き交い、発展を遂げる。モンゴル支配下では貢納する代わり、宗教を保護され、自治権も与えられた。現に、イスラムやキリスト教ネストリウス派、グルジアの東方正教会が、それぞれ共存する。交易については、1260年以降、ジェノヴァ共和国と東ローマ皇帝ミカエル8世パレオロゴスとの条約によって、交通要所として栄える。黒海にジェノヴァ商船隊が乗り入れることにより、クリミア半島のフェオドシヤやアブハジアのスフィミは港湾として地中海沿岸の香辛料が手に入った。黒海沿岸には40ものジェノヴァ商館が設けられたとみられている。

モンゴルのイルハン朝の下で、交易路は拡大したのである。独立への足がかりを築いたのは、ジョージ5世だった。現ジョージア西部サムツヘにある母方の祖父の宮廷で幼少期を過ごした。西暦1289年に父が処刑されたことを機会に、モンゴルに対してひそかに復讐する機会をうかがっていたといえる。後に「光輝王」と呼ばれたギオルギ5世により、モンゴル軍と相対し、はれて東西統一し、独立を勝ち取った。後世の歴史家がしばし用いるタタールの頸木から逃れ、貢税する義務からも開放され、国力発展に費やせる。計画は脆くも崩れ去った、西暦1336年にはトビリシでペスト(黒死病)が大流行し、労働力が失われたのである。再統一後もグルジアは、単独の王国としては、磐石ではなかった。同じくイルハン国から解放されたイランとイラクに跨るジャライル朝(1336年―1342年)とチョバン朝(1340年―1357年)の庇護下にあり、タタールの頸木後には、台頭する遊牧民の勢力から防衛協力を担ったのである。

 第6章 ティムール帝国の下で

1380年、西チャガタイハン国から自立したティムールが中央アジア周辺諸国へ侵攻する。1386年にトビリシを占領して、バクラト5世を捕らえ、イスラム教への改宗を迫った。1403年にかけて17年間で、計8度におよぶ猛襲により、経済的にも文化・生活の面でも厳しい状況に陥った。バクラト5世率いるグルジア王国は、民族自決と共に正教保護の観点から、1枚岩で立ち向かった。モンゴルに倣い、一人で長大なイスラム教による王国を治める野望を抱いたティムールは、現地人に歩み寄れず、頑なに抵抗されることにより、計画は頓挫した。ティムール自身も、イスラム教へ強制することを止めたのである。1404年にティムールの死去により、ようやくグルジア王国の人々は開放されるものの、再建は遠かったのである。最後の王はアレクサンドレ1世(在位期間1412年–1442年)だった。再び中央集権型の正教国家を目指して、戦いに没頭する。真っ先に取り組んだのは、異民族の排除である。黒羊朝のテュルク系民族が占領していた辺境ロリ地方を巡る戦いに発展する。黒羊朝は、第3代目カラ・ユースフ(在位期間:西暦1378年から1388年)が、勢力圏を拡大した。ティムールの死後、権力の空白期間に台頭し、黒海周辺地域の征服を目指した。王朝としては、西暦1408年に当時アゼルバイジャンだったタブリーズを、1411年にはジャイラル朝の残党を倒して、バクダードを手に入れた。王朝のライバルは、ティムール朝3代目のシャー・ルフ(ティムールの4男)だった。カラ・ユースフの遺児カラ・イスカンダルが、黒羊朝を再統一し、失地回復を目指すティムール朝と激しい戦いを繰り広げた。カラ・イスカンダルは白羊朝のカラ・オスマンを倒して、東アナトリアで勢力を張った。ティムールの血を受け継ぐシャー・ルフとの戦いでは、苦戦した。シャー・ルフに忠実な兄弟のジャハーン・シャーに王位を奪われた。ジャハーン・シャーはシャー・ルフによってタブリーズの知事に任ぜられ、ティムール朝の宗主権を認める代償に黒羊朝はアゼルバイジャンの支配権を手に入れた。

アゼルバイジャンへの領土拡大を目論むジャハーン・シャーは、グルジア王国内の一つの町ロリから前線部隊に補給することにより、南部一帯を嵐回っていた。1416年にはアハルツィヘを略奪する。1434年から1435年にかけて、アレクサンドレはアルメニアのベシケン2世オルベリアニに対し、黒羊朝のシュニク地方領を攻撃するよう働き掛ける。ベシケン2世が勝利すると、臣下の身分とともにロリ地方を与え、軍事同盟を結ぶ。
1440年、アレクサンドレは、強力な味方を手に入れ、黒羊朝のジャハーン・シャーに対する朝貢を拒否して、来るべき戦争に備える。戦力差は歴然としていた。同年3月、ジャハーン・シャーは2万人の軍隊を率いてグルジアを急襲し、サムシヴィルデを発端に、首都トビリシを配下に収めた。ジャハーン・シャーは何千人ものキリスト教徒を虐殺したのである。報復を終えると、タブリーズ(イラン北西部の都市)に帰還する。アレクサンドレは黒羊朝に加担している貴族により、戦いに負けたと判断した。息子のヴァフタング、ディミトリ、ギオルギを使い、それぞれカヘティ、イメレティ、カルトリの共同領主に据えた。1442年にアレクサンドレは生前退位し、修道院に閉じこもった。後世の歴史家は、アレクサンドレの息子への分割統治が、一つのグルジア王国崩壊の引き金だったとみている。歴史を詳しく知ると、黒羊朝との戦いには、国の平定のためだったことが分かる。その前のティムール時代に、国土が荒れたことにより、事実上分裂状態だった。一つに束ねるには、アルメニア以外の正教国家の助けが必要だったのである。1460年代にはカヘティ王国(英語版)が独立、分権化が進行して1466年、グルジア王国はついに崩壊、一種の無政府状態に陥った。なおグルジア王国を崩壊に追い込んだジャハン・シャーは、1467年に配下に置いていた白羊朝のウズン・ハサンが、謀反を企てているとの情報を掴み、西へ軍を進めた。野営中にウズン・ハサンが放った偵察部隊に襲撃を受けて、ジャハン・シャーは落命する。白羊朝に軍配が上がり、忠誠を誓った黒羊朝の残党を吸収した。新たに黒海沿岸の覇権を拡大した。


第7章 分裂した王国 その後の行方

写真=1490年におけるグルジアの3王国5公国
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グルジア王国は東部のカルトリ王国とカヘティ王国、西部のイメレティ王国というバグラティオニ家の王統を戴く3つの王国に分裂した。1490年、この3王国が相互に承認しあうことでようやく無政府状態を脱することができた。3王国のほかには、13世紀以来の西南グルジアの有力豪族ジャケリ家(英語版)が公式に支配したアタバク領サムツヘ国(英語版)があり、さらに黒海沿岸にグリア公国(英語版)、サメグレロ公国、アブハジア公国(英語版)、内陸部にスヴァネティ公国(英語版)が独立した君公国としてふるまい、事実上5つの公国が分立した[53]。
16世紀初頭から18世紀前半にかけてのグルジアは、イラン高原に建国された東のサファヴィー朝、アナトリア半島や新首都イスタンブールを本拠として周囲に勢力を拡大する西のオスマン帝国の係争地となる。後述のとおり、東部のカルトリ王国とカヘティ王国はサファヴィー朝、西部のイメレティ王国はオスマン帝国の影響下にあった。イメレティは、1651年にアレクサンドル三世が、ロシアのロマノフ家2代目アレクセイ皇帝に保護を求めた。当時ロシアは強大な国家とはいえなかった。属国としての取り込みには失敗し、イメレティは同じ正教ながら、オスマンへと奪われることになる。
サファビー朝はイスラム教シーア派、対してオスマン帝国は、国民の大多数がイスラム教スンニ派である。イスラム教勢力に侵食されながら、人々の間で正教を受け継いだ。東方で孤塁を守りえたのは、タマル女王をはじめとする中世グルジア王国の栄華を人々が誇りにしていたからである。グルジア東部地域では、度重なる戦乱と住民の強制移住によって、文化の存続へ危機的な状況にも陥っていた。トルコとイランの抗争は、イスラームにおけるスンニ派とシーア派による異なる宗派対決の側面を持つ。グルジア南西部のアジャリアなどではイスラーム化が著しく進行している。
1510年、オスマン帝国はグルジア西部のイメレティ王国へ進軍し、首都クタイシを攻略した。一方サファヴィー教団出身で王朝の始祖となったペルシアのイスマーイール1世は、カルトリ王国を侵攻し、オスマンとにらみ合った。1540年から1553年にかけては、サファヴィー朝第2代シャータフマースブ1世が配下に置いたのである。同じ正教では、モスクワ・ツァーリー国のイヴァン4世(雷帝)が、グルジア内部の状況を探っていた。かつてのグルジア王国が、イスラム教の宗派争いの舞台になる中、正教保護を口実に、進軍する機会をうかがっていた。当時のイヴァン4世は、バルト海沿岸地域獲得に向けて、邁進していた。グルジアは、イスラム教徒に囲まれ、正教内でも孤立した存在になった。

写真=クタイシの位置 掲載元 ジョージア コーディネーター
https://georgia.journey-coordinator.com/kutaishi/
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オスマン帝国下のイメレティ王国は、王位継承を巡って、混乱期が続いていた。一方、かつてのグルジア王国を形成する3王国5公国のひとつであるサメグレロ公国のダディアニ家は、17世紀のレヴァン2世(英語版)のときに最盛期を迎えた。17世紀後半に公国支配者の血統が交替すると、勢力を失う。公国の後を継いだサムツヘのジャケリ家は、グルジア王家との婚姻関係を結び、同盟関係を築いて、生き残りを目指した。最盛期を過ぎたとはいえ、イスラム教に囲まれたかつてのグルジア王国は、同じ正教からの援軍も期待できない。オスマン帝国の直接支配下に入り、イスラム教へ改宗することにより、パシャの称号を得た。カヘティ王国では、16世紀前半に英明な君主レヴァンにより、絹の交易などで富を築いた。一方のカルトリ王国では16世紀中葉にシモン1世らがペルシアに対して抵抗して以降は、サファヴィー朝の宗主権を認めた。時期をみて、サファビー朝とオスマン帝国の間でゆれた18世紀以降の歴史を紹介する。


     <ベスト16 第4試合 日本時間7月1日午前4時 スペイン(B組1位 勝ち点9) 対 ジョージア(F組3位 勝ち点4)戦が、ケルン行われる。両者、本戦の出場権をかけた予選でも顔を合わせていた。スペインは、ホームで7対1、アウェーでも3対1で2戦2勝している。右エンドにスペイン、左エンドにジョージアが付いた。場内でのカウントダウンコールが響く中、スペインボールで始まった。

 開始4分、スペインは右サイドバックのカルバハルがゴール前にグラウダーのクロスを送った。ジョージアの3バック(右クヴェレシアニ、中央カシア、左トヴァリ)の間に入った中盤の右のペドリがスライディングでシュートを打った。球の勢いがなく、右に体を倒したママンダシェヴィリがボールをキャッチした。ママンダシェヴィリは、予選リーグ3試合で、合計20本の枠内シュートをセーブし、失点を3つに抑えた。3節目のポルトガル戦においては、相手のシュートタイミングに合わせるように飛び、幾度もピンチを防いだ。9分、スペインは左サイドからのコーナーキックをニコ・ウィリアムズが蹴ると、カーブかかったボールがゴール前に入る。ニアサイドのカルバハルが、ヘディングで角度を変えた。即座に重心を左に倒したマンダシェヴィリが、両手にボールを当てる。リバウンドをフォローした3バックの中央カシアの膝にボールが跳ね返った。相手のモラタをカヴァーし、右足の甲でボールを蹴って、外に出した。もう一度左サイドからのコーナーキックである。

写真=カシアのクリアシーン 掲載元  iROZHLAS
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 ジョージアの指揮をとるフランス人のサニョル監督は、ベンチから戦況を見つめている。スペインにボールを支配されることは予想していた。瞬時にボールに飛びつくママンダシェヴィリの反応の良さから、安心できたようである。一方スペインのルイス・デ・ラ・フェンテ監督は、テクニカルエリアから指示を送った。

 耐える時間が長かったジョージアは17分、狙い通りのカウンターを仕掛けた。2トップの左のクワラツヘリアが、ハーフウェー・ラインの若干手前から、センターサークルの横のコンビを組むミカウターゼにパスを出す。ミカウターゼは、右アウトサイドのカカパーゼにロングパスを送った。オープンサイドを走ったカカパーゼは、右足でボールをとめて、クロスを出した。ターゲットのクワラツヘリアをカヴァーしたル・ノルマンの胸にボールが当たって、右ネットに飛び込む。GKシモンは全く動けなかった。1対0.

 写真=先制シーン(左ル・ノルマン 右クワラツヘリア)掲載元フットボール・イタリアン 2024年6月30日付
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写真=先制シーン 別角度 掲載元 Click orland.com 2024年6月30日Update
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ル・ノルマンは、戻って守備をすることにより、ボールコントロールが利かず、クロスボールを自陣のゴールの方向へ弾いてしまったのである。19分、オウンゴールのミスを反省するかのように、センターサークル付近のクワラツヘリアのドリブルに対して、ル・ノルマンはスライディングでボールをカットした。

 カウンターで失点したスペインは21分、エリアすぐ外中央やや右からファビアン・ルイスが左足でシュートを打った。ピッチにやや弾んでいくボールを、左に体を倒したママンダシェヴィリが、リバウンドを出さずに、しっかりキャッチした。

 スペインは引き続きボールを支配する。27分、中盤の左ファビアン・ルイスが、ニコ・ウィリアムズを狙って、スルーパスを送った。3バックの右に入るクヴァレシアニが、右足を伸ばして、カットした。

 ジョージアもカウンターで応戦する。32分、クワラツヘリアが、左サイドから切れ込み、ル・ノルマンを交わす。戻ってきたカルバハルが、右足でボールに触わると、ゴールラインに向う。コーナーキックを逃れるべく、GKシモンがボールを蹴りだした。ラインズマンはコーナーキックを告げた。

 34分、スペインは左サイドバックのククレジャが、ミドルレンジからシュートを打った。低い弾道のボールは、右ネットを正確に捉えた。態勢を左に傾けたママンダシェヴィリが、反対サイドにはじき出した。球の速度が遅かった分、ママンダシェヴィリは、しっかりと周囲の状況を確認し、サイドへ押し出したのである。

 スペインは37分、中央のロドリが、エリア内の左に構えたニコ・ウィリアムズにボールを出す。ニコ・ウィリアムズは、ロドリに戻す。ロドリは、右足でボールをとめて、左足を振りぬいた。オフサイドポジションのモラタは、スルーした。勢いのあるボールに、さすがのGKママンダシェヴィリの左手も届かず、ネット隅を揺らした。1対1.ジョージアDFが中を意識することにより、ロドリの前にスペースが開いた。アシストしたニコ・ウィリアムズは、ボックス内をブロックする敵の出方を見て、ロドリにボールを戻す選択をしたのである。彼の的確な判断が、同点ゴールに繋がった。

 前半は、ボール支配率が73%のスペインに対して、ジョージアはカウンターで応戦する、予想通りの展開だった。スコアは1対1のイーブンで後半を迎える。

 2トップのミカウターゼはポストプレーヤー、コンビを組むクワラツヘリアはドリブラーとしての能力を発揮し、前半17分の先取点に繋がった。スペインは、両サイドバック(右カルヴァハル、左ククレジャ)も上がりっぱなしで、中央からサイドまでダイナミックに攻め立てた。エンドが代わり後半2分、ジョージアは、自陣のエリアの外で、ペドリに入ったボールを、代わって入ったボランチのアルトゥナシュヴィリがカットした。コチョラシュヴィリが、こぼれたボールをフォローし、クワラツヘリアに繋ぐ。クワラツヘリアは、ハーフウェー・ライン上から、大きく前に出るGKシモンの位置を見て、左足でシュートを打った。微妙にカーブがかかって内側へ巻いていくボールは、GKシモンを越えていく。ボールはわずかにゴールポストの外だった。態勢を崩したクワラツヘリアを、コショラシュヴィリが両手を差し出して、起こした。

 スペインは5分、エリアすぐ外中央からFKを得た。キッカーのヤマルが助走をつけながら左足を振りぬいた。左ネットに飛び込むボールを、横飛びしたママンダシェヴィリが、両手で反対サイドにはじき出した。スペインはFKの流れから、ボールを繋ぎ、右サイドからヤマルが、ゴール前にクロスを送った。オフサイドラインを破ったファビアン・ルイスが、ジャンプすると、ヘディングでボールを叩き付けた。右に重心を倒したGKママンダシェヴィリは、落差のあるボールを触ったものの、しっかりと抑えきれず、ゴールラインを超えて、ネットを揺らした。2対1.スペインが逆転した。アシストしたヤマルの蹴ったボールは、キーパーとディフェンスの間に丁度入った。一失点目と同じくジョージアディフェンスは、モラタを警戒している分、ボールウォッチャーになっていた。

 写真=チーム2点目となったファビアン・ルイスのゴールシーン(AP通信より)
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 逆転に成功したスペインは、センターバック(ル・ノルマン、ラ・ポルト)の2枚をセンターサークル付近に上げ、横パスとバックパス程よく織り交ぜながら、ボールをコントロールする。

 29分、自陣のエリアのやや外で、ファビアン・ルイスが、クワラツヘリアに入るボールをカバーし、左サイドのオープンスペースを走るニコ・ウィリアムズを狙って、左足でボールを蹴り上げた。浮いたボールは、ハーフウェー・ラインを超えて走るニコ・ウィリアムズの前で落ちる。ニコ・ウィリアムズは、フェイントをかけて、クヴェレシアニを左に交わして
ボックス内へボールを持ち出した。GKママンダシェヴィリの至近距離から、右足でシュートを打った。ライナー性のボールは、GKママンダシェヴィリの両手を弾き飛ばすように、ネットに突き刺さった。3対1.コースは若干甘かったものの、ボールの勢いがついた分、コースを読んだママンダシェヴィリからゴールを奪った。

 写真=3点目のニコ・ウィリアムズのゴールシーン 掲載元 Adom online
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 4点目を狙うスペインは、右サイドから切れ込んでいくヤマルが、ダニ・オルモ(ペドリに代わって出場)にボールを預ける。ダニ・オルモが、右足でボールを落とすと、エリアに入ったヤマルは再度受ける。GKママンダシェヴィリは、ヤマルへ詰めていく。ヤマルの左足でのシュートを、ママンダシェヴィリは、体を投げ出してセーブした。ヤマルは、ドリブラーとして、独特の間合いがあり、リズムよくパスからシュートまで持っていく。
 一方、ダニ・オルモはポストプレーヤーとして定評がある。37分、エリアの外側でジョージアの3バックの左に入るトヴァリの蹴ったボールが、ダニ・オルモに当たって、真後ろへ落ちていく。スペインのミケル・メリーノが、前傾姿勢を保ちながらヘッドで
エリアすぐ外中央やや左のオヤルサバルにボールを送る。オヤルサバルは膝で受けて、エリアすぐ外中央のダニ・オルモにパスする。ダニ・オルモは、浮いたボールを、右足でタッチして、シュートに備えたトヴェリを交わし、左足を振りぬいた。GKママンダシェヴィリは、全く動けず、左ネット隅に入った。4対1.ダニ・オルモは、右足でタッチした瞬間、キーパーの動きを正確に確認し、左足でシュートした。GKママンダシェヴィリは、急いでカバーに入る3バックの真ん中カシアに視界を塞がれた分、タイミングをつかめず、呆然と立ち尽くしていた。

写真=ダニ・オルモのゴールシーン 掲載元 LIE https://www.rte.ie/video/id/12393/
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写真=別角度{出展先:Getty Images} football
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ジョージアのサニョル監督は座り込んだまま動かなかった。ルイス・デ・ラ・フェンテ監督は、スタッフ達と抱擁を交わした。

 試合はスペインが、ジョージアに4対1で快勝した。スペインは、本日の先発メンバーが、前節のアルバニア戦を休んだ影響により、リズムを掴むまでやや時間を要した。前半のうちに同点に追いつくと、後半は個々のテクニックと、スピードを発揮し、躍動感のあるサッカーを展開する。細かくパスを繋いでボールポジェッションを高めながら、時にカウンターでしとめる力を持つ。しり上がりに調子を上げたチームは、準々決勝へ弾みのつく勝利だった。

 ジョージアは、前半17分に幸先よく先制点を上げ、ポルトガル戦のとおり、3バックと両アウトサイドを含め、5バックで守備を固める。前半のうち同点を許すと、後半は中盤の距離間が開いた影響により、速攻に出た際、逆襲をくらいやすくなった。GKママンダシェヴィリは、結果的に4点を失ったものの、9本のシュートストップを記録した。瞬時にボールへ飛びつく反応、キャッチングの安定感から、絶大の信頼を寄せられた。ドリブラーのクワラツヘリア、ポジショニングの良さとポストプレーヤーにもなるマカウターゼを含む個性豊かな選手をそろえたジョージアは、成長著しいチームだった。

 写真=試合終了後挨拶するメンバーたち 掲載元 Channels 2024年7月1日付
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