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2024年05月20日23:07

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次はいつ?

 5月18日と19日の週末は、
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 3月以来の飛行機に乗ります。漠然とJALだから鶴丸のマークがあると思っていたので、
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 乗ってみて初めて、JALグループでもJALじゃない、かつての南西航空のJTAの飛行機に乗ったことに気づきます。機内誌もSKYWARDでありませんし、ドリンクサービスも綾鷹でなくさんぴん茶になっていました。ちょっと南国気分を味わいますが、今回行くのはそっちでなく
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 山頂に雪が残る北アルプスを見つつ、その先にあれは黒部ダムでしかありえないだろ、というような水面を見ていきます。今回は、新幹線よりも安く往復の飛行機とホテルが入ったダイナミックパッケージを利用して、新幹線が開業した北陸に向かいます。もう亡くなって30年以上経過しましたが、かつて田中角栄は整備新幹線計画で北陸新幹線を作ろうとした際、今のような長野から上越を通って糸魚川から富山県というようなまだるっこしいルートでなく、長野から一直線に富山を目指していたそうです。もしそうだったら黒部ダムに駅ができていたのかも、ということもありますが、まあまずそんなムリなことはしないだろうな、ということで今のようになっていました。今回は飛行機だから東京都の次は石川県だと思っていましたが、天気がよかったので神奈川県や山梨県や長野県や富山県を見て
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 始発便で小松空港に着きそこから路線バスに乗って、今年の3月から北陸新幹線の駅もできていた小松駅に行きます。以前からある東口は勧進帳がなくなっていましたが、新幹線のある西口は
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 小松市ということで、巨大なコマツの海外の鉱山などで使用されているトラックやショベルカーが展示されていました。コマツは今は東京の赤坂に本社がありますが、発祥の地はこの小松市でした。ここは9時からしか開いていないので、9時前に着いたので門の向こうにこうしてこまつの杜を見て
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 列車が来る時間までは、奇跡的なのかどうなのかとにかくJR西日本が捨てていた路線でも残っていた、加賀白山そばというそばのスタンドでテーブルに座って、和風天ぷらラーメンでも食べて朝食にしていきます。この日は、というかこの日も何か機会があったら食べていくことにして、まずはまだ乗ったことのない、3月に経営移管されたIRいしかわ鉄道に乗ることにします。
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 1月に来青春18きっぷで乗っていた北陸本線のときと同じような電車ですが、この電車は一足早くというかIRいしかわ鉄道でなく、この先のハピラインふくいの電車になっていました。そんな電車にちょっと乗って
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 こうして加賀温泉駅で降りていきます。新幹線の駅はどうにか間に合ったようですが、駅のその他の店舗などはまだ工事中で、中途半端な時期に加賀温泉駅に来たようでした。通路も駅だけなので、通り抜けようとすると入場券を買わないといけないようになっていました。加賀温泉駅は、別に加賀温泉という温泉のための駅ではなく、前後にあった動橋駅と大聖寺駅が山中温泉や片山津温泉の客を奪い合って特急を停車させようとしていたところ、国鉄がその中間の作見駅を加賀温泉郷の駅として加賀温泉駅としていました。新幹線の駅としてはこの辺は駅間が短くなってはいますが、やはり加賀温泉駅は関西からの客のことを考えれば欠かせないようですし、今後もJR西日本が潰れるまではこの駅も続いていくはずです。
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 加賀温泉駅は、2012年6月に、日曜日に石川県立球場でプロ野球公式戦があったときに来ていましたが、そのときはそういえばLady GagaにかけたのかLady Kagaというキャンペーンをやっていて、そんな人たちが改札の前に立っていました。今でもホームの自動販売機にはそんな様子が残っていましたが、あれから12年ほど経過すると、2024年には「レディ加賀」という映画が上映されるようになっていました。本数が少ないというか1時間に1本しかIRいしかわ鉄道は走っていないので、ホームで待つしかやることのないそんな駅で電車を待っていました。この駅は松任谷由実が北陸新幹線の駅の発車メロディを作曲していたようですが、新幹線も1時間に1本なのでそんな曲を聴くようなこともなく、IRいしかわ鉄道の電車に乗って大聖寺駅からはいよいよハピラインふくいになり、石川県と福井県の県境を越えていき
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 ここも新幹線にしては駅間が短い芦原温泉駅で降りていきます。福井県は、秋田新幹線と山形新幹線を新幹線として数えたり走っていても駅のない茨城県を含めると、日本で35番目に新幹線が開通した都道府県となります。ただ、残りの12県はもう新幹線開業のメドは一切経ってなく、次に新幹線が新規開業する県はどこなのか、まあたぶんないだろうな、ということになっていました。この駅は加賀温泉駅とは違い、芦原温泉の国鉄の最寄り駅だから芦原温泉駅となっていました。山形県の上ノ山駅は、山形新幹線開業時にかみのやま温泉駅と改称されていたので、ここもあわら市になっていたしひらがなになるかと思いましたが、芦原温泉が変わったわけではないので、漢字のままになっていました。
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 加賀温泉駅はまだ工事中でしたが、芦原温泉駅はおみやげ屋やフードコートのような場所も開業していました。そこで昼から飲めるような、¥700の刺身セットと¥400の地酒で一杯やって、やはり日本海の甘えびは美味しいな、と改めて思います。5月15日にジャイアンツは富山と福井の北陸新幹線開業記念の遠征を行いましたが、全国各地で高級ホテルに泊まりまくっている阿部監督をはじめとしたジャイアンツの面々が、たまげたとか今まででナンバーワンとか宿泊した芦原温泉のグランディア芳泉を絶賛しまくっていましたが、そんなことを思い出します。
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 芦原温泉駅西口にはにぎわい施設のアフレアがあり、この日と翌日の日曜日はストリートダンスコンテストをやっていました。まだ開業したばかりなので断言はできませんが、確かに賑わいのあった芦原温泉駅からまた福井県内を南下して
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 すっかりJR西日本の色がなくなった福井駅に着きます。ここは1月に降りたときに昼食を食べたので、今回は降りるだけにします。ハピラインふくいの駅名標の向こうにIRいしかわ鉄道の電車を見て、
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 今年の4月から9月までは、サザエさんはオープニングで福井県を回っていますが、その最初の「サザエでございまーす」と言っているのはこの福井駅の新幹線ホームでした。そんな福井駅の東口には、こうしてトリケラトプスの親子が鎮座しています。
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 福井駅はこうして在来線と新幹線も高架になっていますが、そのついでにもうすぐ廃止かもというようなえちぜん鉄道も高架になっていました。飛び出し坊やも恐竜になっているそんな福井駅ですが、新幹線の駅としては、全国に103駅ある駅の中でも最小の駅になっているそうです。
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 福井から先は30分に1本電車があるので、武生駅で途中下車してみることにします。 武生駅は特急が停車してはいましたが、北陸新幹線の駅はできませんでした。隣の鯖江駅も特急が停車していたので、どっちか一方に駅を作ると揉める元になるから、この後行ってみる越前たけふ駅ができたのかもしれません。そんな武生駅からは1時間に1本になるハピラインふくいの電車に乗って、私鉄や第三セクターの路線としては最長のトンネルになる北陸トンネルを抜けて、まだ乗っていなかったIRいしかわ鉄道やハピラインふくいの全線に乗って
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 まずはこうして新しくできた敦賀駅やまなみ口で降りていきます。ここは新幹線の駅は近いですが、それだけで、在来線の駅に行くには長い通路を延々と歩いていきます。こんなにムダな施設を作らなくてももうちょっと乗り換えしやすくしたほうがいいのに、と思いつつ新幹線開業前はこっちだけだったという西口に行くと
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 北陸新幹線の駅が階段に表示されていますが、敦賀から直通列車はあっても、群馬県には一切行くような場所もないということなのか、大宮の次が軽井沢となっている案内表示があります。一応北陸新幹線の起点は東京や大宮でなく、高崎なんだけど、と思うけれど、まあそんなところだろ、ということで敦賀まで来たんだしということで、サザエさんは今回のオープニングで見ていない敦賀市内をちょっと見てみます。
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 かつては敦賀港まで線路がつながっていただけでなく、東京から敦賀を経由してシベリア鉄道でヨーロッパまで行けるようにそんな乗車券も販売されていたことを展示している敦賀港駅の駅舎をそのまま保存している敦賀鉄道資料館をちょっと見たら
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 この日は北陸まで来てもここだけしか海を見るところのないそんな敦賀港を眺めます。もう戦後は、戦後の冷戦構造の中、ソ連まで船で行くなんてことはできなくなっていました。
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 レストランなどもあるけれど行く時間もなかった敦賀赤レンガ倉庫に入ると
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 中には他の鉄道博物館的なところと比較しても決してヒケを取らない出来のジオラマ館もあります。このジオラマは敦賀の歴史も再現して、杉原千畝やユダヤ難民も登場します。イスラエル人とかもっと来てもよさそうですが、敦賀はあまりインバウンド関連の人はいませんでした。こうして敦賀気比高校のその由来にもなった越前国一之宮の気比大社の鳥居も再現されています。
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 順番が逆かもしれませんが、こうして実際に気比大社の鳥居を見ると、色が同じだったな、ということになります。以前敦賀に来たときは気比大社の鳥居は改修工事中でした。
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 そんな感じで敦賀駅前に戻り、新幹線開業時にできたにぎわい施設のような店が、15時から17時まで限定でハッピーアワーなのか¥1500でビールと枝豆とだし巻き卵と刺身とカブト煮のセットが味わえるので、まだ昼食もそういえば食べていないのに順番を前後させて飲んでいってから
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 この3月に開業した、北陸新幹線の新規開業区間に乗っていくことにしますが、敦賀駅は何も乗客のこととか考えていないのでは、というような感じのただ広いだけの駅になっていました。2004年に九州新幹線が、先に新八代から鹿児島中央まで開通したときは、博多駅には鹿児島中央という行先を表示させたリレーつばめ号が発着して、新八代駅では在来線と新幹線が同じホームになって3分の乗換時間で乗り換えられるようになっていました。既に2011年には全線開通することが決まっていた中でも乗りやすくしていたのに、北陸新幹線はそういう姿勢は一切ないどころか、この先の開業時期どころか、ルートすら決まっていません。これも国鉄がアホだったし、その後の交通行政もアホだったということになりそうで、ここも遺跡みたいになっていくのでは、というような敦賀駅で
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 こうして北陸新幹線に乗ります。今も関東の駅には、福井や加賀が一直線という広告が出てはいますが、逆にこれまで一直線だった関西や名古屋から北陸のルートは分断が固定化されて、高速バスでも乗ったほうが早くて安くて便利ということになりそうです。こうして2024年に開業はしましたが、次はいつこのような新幹線の新規開業区間に乗ることができるのか、というような北陸新幹線に乗り
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 進行方向左側を見ると敦賀駅を出てすぐの防音壁の向こうに、日本海が見えます。この先は、新北陸トンネルに入りますし、北陸新幹線を北上して北陸三県を越えて糸魚川まで行かないと、日本海が見えることはありません。
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 このまままだ乗ったことのない金沢まで行ってもよさそうですが、新北陸トンネルのその先には、新しい越前たけふ駅があるので、降りたことがないので降りてみます。この駅へ来てみれば、日本の新幹線が発着する駅で行ったことがない駅がなくなるわけですが、この越前たけふ駅の次のそんな駅も、先日北海道新幹線が2030年の開通が未定になるということになっていたので、次はいつになるかわからなくなりました。ここともう一つ北陸新幹線の単独駅になる安中榛名駅は新幹線なのに秘境駅扱いされていて、駅の中のおぎのや以外何もなくコンビニすら潰れるほどですが、
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 この越前たけふ駅は道の駅と併設になっているので、そんなこともなく、魚介類も買えますし、アルコールはなくてもこうして喫茶店のような店があり、レモンスカッシュとともに、北陸名物の羽二重餅入りどら焼きも食べられます。1時間に1本しかなくて、時間を持て余すのでは、と最初は思いましたが、そんなこともなく、
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 次に乗った車内で、ようやく福井駅で昼食用に買った、北陸新幹線開業記念ということで福井駅でかにめしを売っている番匠と、崎陽軒のシウマイがコラボした弁当をちょっとづつつまみながら
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 新規開業した区間を行き、狭い福井駅のホームを見ていつの間にか県境を越えて、加賀温泉駅のユーミン作曲の発車メロディを聞いたり、こうして白山らしき山を見ていき金沢に着きます。金沢駅も、1月に来て以来でしたが、そのときは時間がなくすぐに折り返しましたが
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 今回は金沢に泊まるため時間があったので、2022年に金沢に来て北陸新幹線の最終列車で帰ったときには、行列が凄くてとても太刀打ちできなかった金沢駅の高架下の店に入って、トラフグやノドグロや甘えびといった寿司を食べることにします。この日はもう夕食が終われば金沢は東京以上に夜が早いからおしまいかと思ったらそうでもなかったので
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 こうして1月には見られなかった、金沢のシンボルになっていた鼓門を見てみます。金沢になったらいきなり外国人観光客が増えていた気もしますが、実際そうだというか、金沢駅は日本の駅で唯一、世界で最も美しい駅14選に選ばれているそうです。鼓門は北陸新幹線開業のその前にできていて、こんな感じの夜の鼓門を見てから、北陸フリーきっぷでも乗れた寝台特急北陸のB個室寝台に乗って東京に帰っていたものだ、とかそんなことも思い出します。
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 その当時はサンシャイン60にもあったような、こうして水で文字を表示する設備は、今はこの金沢駅前でしか見かけなくなりました。そんな設備の歓迎を受けたので、一週間のうちに土曜日の夜しかやっていないようなところに向かいます。
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 兼六園のその手前の金沢城公園は、土曜日の夜だけ21時までライトアップされるようになっていました。やはり金沢も、夜が早いし、何かできることはないかということがあったのかもしれません。
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 21時までこうして玉泉院丸庭園ライトアップを見てから、ホント何年ぶりになるんだろうか、というような感じで金沢市内に泊まり、長かった5月18日は終わります。 
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 翌日は、石川県のほとんど行ったこともないようなところに行くために、スマホチケットを買って石川県内を移動して、最終便で東京に帰ることにします。ホテルで料金に含まれている朝食を食べてから出かけようとしたら、ちょうどその日は金沢で高校相撲大会があり、その選手たちが朝食会場を占領してとても食べられませんでした。そこでまずは列車の本数がここまではそれなりにある、IRいしかわ鉄道とJR西日本七尾線が分岐合流する津端駅で降りてみました。津幡駅は、もうほとんどの人が忘れているような2021年の東京オリンピックの金メダリストのゆかりの地にあるゴールドポストがあるように、女子レスリングで金メダルを獲得した川合姉妹の出身地だそうです。それだけでなく、津幡町は石川県出身有名人ランキング1位の浜辺美波の出身地でもあるそうです。そんな津幡町から、JR西日本が捨てたくても捨てられずに唯一石川県内の在来線として残った七尾線に乗ります。
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 車内で、朝食として金沢駅の駅弁を食べます。まだ新幹線が開業する前に、金沢駅の高架下の店で夜行列車に乗る前に加賀料理の店でカウンター越しに話しかけていた板前さんに、富山駅のぶりかまめしが美味しかったとか言ったら、強烈な対抗意識を示していたのをふと思い出します。
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 七尾線のこの辺は、というかこの辺だけでなくすっかり能登半島は高速道路がメインになっているような中、どうして能登高松でなく高松という四国の中心を松山と争っているところと同じ駅名にしていたんだという駅だけでなく、UFOのまちとなっている、羽咋の咋の字は他にどんなときに使うんだ?、というような駅もあります。この辺はクルマだと、千里浜なぎさドライブウェイがあり、固く締まった砂浜の上を走れるところもありますが、七尾線は一切海とは関係ありません。そんな感じで七尾線に七尾まで乗り、
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 七尾で1月1日の能登半島地震から4月6日に運転再開したのと鉄道に乗ります。
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 正確にはこの和倉温泉までが、JR西日本七尾線になっていました。この辺は、能登半島地震の被害が大きく、和倉温泉の旅館はまだ再開していませんでした。実際のところ、七尾線は輪島まで走っていましたが、石川県が第三セクターののと鉄道を作った際、ここから輪島までを引き取っていました。そうしたら、赤字になっていたので、2001年に穴水から先はさっさと廃止になっていて、輪島の人にしてみれば何をやっているんだ、というようなことになっていました。でも、そんな石川県の判断は正しかったのか、北陸新幹線が開業すると、日本で唯一全市町村に鉄道がある富山県の観光客を奪うことに成功していました。輪島の人にしてみても、別に北陸鉄道のバスがあればそれでいい、というようなことになっていそうです。
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 のと鉄道は、和倉温泉の先こうして七尾湾や能登島を見ていくことができます。もうそういう田植えの時期か、というそんなこの時期だけの、淡水と海水がごくごく狭い間で分けられている光景を見て
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 かつてはもっと先の輪島や、珠洲市の蛸島まで通じていたのと鉄道は今はこの穴水までになっていました。駅の向かいには穴水町出身の大相撲の遠藤関の記念館がありますが、そっちまで見ている時間もないので、穴水駅と併設されている道の駅あなみずで、能登地震復興支援として少し多めにグッズを買ったりします。そんな感じで折り返しの列車に乗って
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 国鉄時代は駅弁もあったのかもというような中、道の駅で販売されていた¥700の寿司を買って、海を見ながら食べていきます。そんなのと鉄道の能登中島駅には
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 日本で残っているのはもうほとんどない、という郵便車が展示されていて、能登地震の影響で今はやっていませんが、実際に見学もできたそうです。かつては郵政省が全額お金を出して、車内で郵便番号の仕分けをしたりするような郵便車が走っていましたが、国鉄がストばっかりやって使いものにならないので、今は郵便は一切鉄道を使わずトラックや飛行機になりました。まだ冷房が一般的でなかった時代に、郵政省は職員のことを考えて客車には冷房がなくても郵便車には冷房があったそうですが、これも国鉄がアホだった証拠みたいなものになっていくのかもしれません。そんな感じでまたもう次はいつになるかわからない、のと鉄道から七尾線に乗って金沢に戻り
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 昼食として、これももう次はいつになるかわからない、加賀料理の治部煮と鶏くずうちのれんこん蒸しや、とろろ御飯を食べて
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 その後はもう次は金沢どころか石川県だっていつ来るかわからないしということでこうして近江町市場や
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 神門のある尾山神社を通って
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 前日の夜見ていた金沢城公園を見てから
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 前日の夜はやっていなかった兼六園に行き、これもこのことじ灯篭以外に使うことがあるのか、という、兼六園のシンボルの2本脚の徽軫灯籠を見ていったりして
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 その後、これもいつ以来食べるのかというような、普通のソフトクリームが¥400の中、¥650の金粉ソフトクリームを食べてみます。今はもう外国人観光客のマインドとしては安い安過ぎる、インスタ映えだけが正義な日本では金粉で留まらず、¥1000の金箔ソフトクリームや¥1800の金銀箔ソフトクリームが主流になっていました。
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 そんな感じで金沢市内を観光して、三度目の金沢駅の中の店でおでんとともに刺身盛り合わせで飲んでいき、金沢を離れて、まだ乗っていなかったIRいしかわ鉄道の金沢と小松の間に乗り
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 もしかしたら荒井由実が松任谷姓になったのはこの辺が関係しているのかという、今は白山市になった旧松任市の松任駅とか通って
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 小松駅にはあったのになくなっていた歌舞伎の勧進帳の像がまだ残っている小松空港に行って
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 送迎デッキに行くと、福岡に行くANAの飛行機だけでなく、自分が乗るJALの折り返しの最終便も着陸したところでした。石川県はもう行くようなこともなさそうですが、どうなるかはわかりません。
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