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2024年05月09日06:20

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歴史の疑問シリーズvol.231「歌川広重の不都合な真実-➁」

さて、一昨日のつづきです。
広重の「東海道五十三次」の絵について、Wikipediaでは「京都に近い宿場の図が東海道名所図会から採られていることが指摘されている」とあります。
しかしながら、これは、ほんの一面的な見方で、90パーセント以上、誤った浅い見解です。
まず第一に、広重「東海道五十三次」の絵は、東海道名所図会だけを真似たものではなく、日本洋画の先駆者・司馬江漢の「東海道五十三次」肉筆画帖をお手本としています。それも、ほぼ全面的に。
次に、東海道名所図会も参考にしていることは事実ですが、それは、「京都に近い宿場の図」だけではありません。
たとえば、関東の「平塚」では、構図や背景の松の木、道の曲がり具合は、司馬江漢の「東海道五十三次」と酷似していますが、一つだけ「東海道名所図会」を真似ている箇所があります。それは、道を歩く人物で、空カゴを担いで歩く男の姿が、まさに東海道名所図会に出てくる人物と酷似しているのです。
もっとも、この平塚の図には、一つだけ工夫というか、独自の筆意をのぞかせた箇所があります。それは、背景の山の間から、白い富士の姿がチラッと垣間見えるのです。
あまりパクリ過ぎもよくない、絵師としてちょっと抵抗があると考えたのでしょうね。その白い富士山が、なぜか恥ずかしそうに、ちんまりと顔を見せているのがご愛嬌で笑えます。
またもや拙文が長くなりました。つづきは次回とさせてください。
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