前回、人生の目的が「理解力」にあることを述べた。
ただ、正しく理解しているかの判定が難しい。
分かりやすいのは「他人からの評価」だ。
「自分は優しい人間だ」と自己認識していても、
周りは「自己中心だ」と評価しているかもしれない。
以前、述べた「独善」がこれに当たる。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1987185112&owner_id=42601474
D・カーネギーの名著「人を動かす」に、
「二丁拳銃のクローレー」という人が出てくる。
この人は、職務質問に来た警官を撃ち殺すという残忍な人間であるが、
関係者各位に宛てた手紙には「自分は優しい人間だ」と書いていたそうだ。
自分では「優しい人間だ」と思っていても、
客観的には「極悪非道」ということもある。
これは極端な例だが、自己の客観的理解ができていない人は少なくない。
当然ながら、マイナスの評価を下されると、否定し、時には怒り、逆恨みする。
ここまでくると、もはやサイコパスだ。
やはり、他人の批判は感謝で受け止め、謙虚に反省せねばならない。
地獄に堕ちた人で「自分が悪かった」と反省できる人はいないらしい。
また、地獄行きが決まった時、「まさか自分が」と思う人も多いそうだ。
「何一つ犯罪は犯していない」と反発する人もいる。
しかし、仏教で言うところの三毒、
貪(貪欲)、瞋(怒り)、痴(真理への不理解)が過ぎれば罪となる。
日本人のガンの罹患率は50%を超えた。
もはや、誰がガンになってもおかしくない時代だ。
しかし、癌を宣告された人の多くは「まさか自分が」と思うそうだ。
現代の日本人が死後、地獄に堕ちる率は、癌をはるかに上回る70パーセント以上とも言われる。
他人からの批評は、「自己改善の機会」と感謝したいものだ。
自分を変えないことより、自分を変えてゆくことが幸福への道である。
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