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2024年05月02日17:18

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もうすぐこどもの日。(子供の頃の思い出)

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物心ついたときにはお寺にいました。
私の周りには仏様がたくさんいました。
妖怪ののっぺらぼうやサガリや人面鬼やらもいました。
そして、よく熱を出しました。
あるときは一生懸命天井にへばりついていたり、箪笥の上なんかを見下ろしていたりしました。
あまり長く天井にいると帰れなくなると不安になるので念じて戻りました。
熱が引くと、高熱のためにベロンと剥けた足の裏の厚い皮と手のひらの皮を、おばあちゃんがラシャバサミで切ってくれたのを覚えています。
身体中にたくさんの発疹もでき、ジワジワ臭い汁も出ました。
病弱は今でもかわりません。
小さい頃の夢は“ミクロドクター”になることでした。
羽がもげたトンボや、引き裂かれたトンボや蝶、爆竹でやられた蛙を治してあげたいと思いました。
しかしそんな仕事などあるわけはなく、漢方医になりたくても親からは頭が悪くてはムリだと言われ、絵が好きでも、“女は絵なんか描くもんじゃない。”“新聞なんか読むもんじゃない。”と、破かれ、洋服のデザイン、装飾のデザインの仕事につくことは渋々納得。それでも何故か病気になり、肺炎をこじらせ死の手前。
死ぬギリギリはなんと世の中が光輝いていることか、木々が草ぐさがなんと生き生きと生命に満ち満ちていることか。
半年の入院生活はたくさんの学びを得ました。
10年の都会生活で親が具合悪くなったため、田舎に戻り、家にいるなら1週間だけバイトして欲しいと、病院レストランに勤める従兄弟から言われ病院勤務へ。
のちに療養型病棟の立ち上げスタッフとして介護腹肢脂の資格を取るよう命令され…
この頃も、結構不思議なものを見ました。鬼門の倉庫に入っていくストッキングの足とか、ちびまる子ちゃんのお母さんのような髪型の、薄いブルーと紫の花柄のパジャマを着た女の人、天井と頭上に笑う女性の声…
その後も個室のお婆ちゃんが亡くなった後の点滴台の汽笛のような音、挨拶に来たお爺さん。
定年退職になり、やっとおばあちゃんと同じ仏道を歩むこととなりました。
しかし、私の望みは
お釈迦様の空を知るより、霊魂の供養がしたかったです。
禅宗は霊魂をあまり肯定しませんね。
天台や日蓮宗は違いますね。
「曹洞宗は霊魂の存在を積極的に認めないのか?」
または
「「霊魂は存在するか否か」という質問状に対する日本の伝統仏教の回答」
で検索すると各宗派の霊魂感が出てきます。
おばあちゃんが天台であり、日蓮宗も信仰していたのがせめてもの救いです。
それでも、助けることの出来なかった命の供養は出来ます。

何だかんだと巡りめぐって生き物との関わりは続いています。

話はだいぶそれました。
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