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2024年04月29日08:07

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つるばみ色のなぎ子たち制作報告会へいく。

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京都で行われるアニメ映画「つるばみ色のなぎこたち」製作過程報告。

 なぎこてのは清少納言の本名と思われる名。清少納言とその時代を描いた元ファンタジー映画。

気がくるってる。
つるばみ色とは喪服の色。
ともかく同時代の家系図1000軒分を調べ、平安京の地図に当てはめてみるとほとんどどこかで葬式してる。
なんでそんなに死人が多いかというと当時地球が温暖で、元湿地帯である京都にはマラリア蚊が蔓延していたから。後半は寒冷化するも今度は天然痘。だから生涯の半分は喪服を着ていたはず。(友人に行ったら「じゃあ喪に服していないんじゃないんですか?」といわれた。それはそれで「平安貴族は迷信深く物忌みとか方がたえとかしてた」という定説常識をぶっ壊す新説である。)

 今回は3時間延々「清少納言の出生年のなぞ」である。
 ウィキに書かれているそれに疑問を向ける。まず生年。
 女子の生年はわからない。だが夫や子は官人だから一応わかる。それによると夫は長男を17でもうけている。そしてなぎこ夫婦は「お兄ちゃん・妹ちゃん」とあだ名されている。よもや姉様女房ではなかろう。よって16以下で出産。では下限は…。なぎこの父ちゃん菅原氏は周防に受領として赴いている。そしてなぎこは都に戻った13歳ころに「聖人」儀式をしている。よって下限。これはアニメ映画として主人公が25歳か15歳かで絵が全く違う。結婚てのも「妻問い婚」であっても3回くらい通ってから夫は父親に話して儀式をする。
 その後、なぎこは二回就職(貴人の女房)していて、職を辞して1年くらいほっとしてる頃に子供を産んでいる。そして今度は孫がいくつのとき…で何歳が没年か。
 これもはっきりしていなくウィキには「この時分の人だから50代でしょ」てことで描かれている。だが、60過ぎに、「この辺りに清少納言が隠居していると聞いて文を出したが返書が来ない」という日記がある。つまり当時彼女は生きていると思われていたということ。
 その人柄も紫式部がいうところの「男勝りで才走ったいやな奴」という評。ただ、本人は就職直後に上司の前に出られない、ということが描かれている。相重ねると、内気な彼女も就職して出世もすると本来の性格を押して前に出なくてはならず、そのような評判を得てしまった。というところ。
 そもそも清少納言という名前。父の清原氏も、夫の橘氏も少納言なし。ただの「あだ名」という見方に異論。(東アジアでは妻も生涯父の性だが、日本も「妻問い」の公家はそうなわけね。鎌倉武士の風習で。)そも中宮は公的な身分であり、それに使える彼女は天皇に合うわけで、「女蔵人」として官位が授けられる。なにしろ蔵人が倒れたので天皇にご飯持っていく人がいなくなってしまうのだ(てか蔵人ってそういう仕事もするのか)。かなり公的な仕事でありなぎこも正六位上以上・少納言をもらっているのではないか。そして同僚に源氏の少納言がいたので清原氏の少納言。
 しかも中宮の秘書的な仕事も多い。定子が日宋貿易で横領している官人を問い詰める手紙なんてのがあり、清少納言のそのころの地位を見るとこの手紙の執筆を命じられた可能性もある、とのこと。女房てのはただのサロンではない。(ここ、定子が貿易品に関与している理由を質問したかったが時間切れ、わしは個人的な買い物なのか、奉書船貿易のように中宮の立場で貿易を取り仕切っていたのかを知りたかったのだが。)

以上、アニメの制作報告である。

そりゃあ客の半分以上がハゲか白髪のはずだわ。

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