愛( 斥力 = 解放 ) / 情( 引力 = 執着 )
・・・要は、「 愛 」は剥離剤で「 情 」は接着剤だ
『 スピすぴ族 』は、上記構造を理解しない__反転させて捉えている。
” 愛だ、手放しだ ”__と言いながら、「他人中」に生きてしまう
神や仏や高次元存在を__例外なく、自己の外側で捉えてしまう・・・愚を犯す。
< 自己中 >・・・・これをセンタリングと言う
・・・・・自己が自己を愛し解放していく
・・・・・自己の中心から思いを発し、自己の中心で情報を受け取る
・・・・・自己が自己を手放し、どこまでも_の、__拡大を図っていく
” 他人(神でも思想でも外の何か・・)を中心 ” に備えてしまえば、
途端に収縮方向へとイノチが向かい__『 地獄 』が始まり出す。
※ 人が人を”利用”する時には、すでにソコには「 怨嗟 」が働いている
他者へのクライテリオン = この< 他人軸 >で不用意に生きてしまえば、
いずれ、自己の中にオリのような『 忿怒の塊 』ができてしまう。
これは親子関係・恋人関係あるいは借金関係の中で、よく観られる・・。
・・・いずれ、遠からず____必ず、 爆発 する
________________________________________________________
生命原理からは、
解放・拡大・手放し・独立・自由__方向にしか、
真の喜びを感じる次元など___無いのです。
桎梏・粘着・依存・囲い込み___方向は、
” 忖度・斟酌 ” などという世事ごとを産みながら、
やがて地獄が始まり出すのです
ログインしてコメントを確認・投稿する