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2024年03月26日01:11

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庚申の夜の儀式とスズ子、燃え尽きて引退を羽鳥先生に

大河で庚申の夜の儀式という耳慣れない言葉が出てきました。

中国の道教を起源とし、仏教と神道の影響を受けた民間信仰で60 日を一周期とする中国の干支の 57 日目で庚申の当夜、眠りにつくと、人間の体内にいる三尸(さんし)が逃げ出して、眠っている宿主の悪事を天の王宮へ報告し、その内容によっては宿主の寿命が短くなると信じられていて、そのため、虫たちが逃げ出さないよう一晩中起きていました。

秘教である天台宗の僧が 8〜9 世紀に日本にもたらしたと考えられ、平安時代(794〜1185)に朝廷内で普及し、その後 1400 年代に大きく広まった。60 日ごとに寝ずの番を行い、それを 3 年で計 18 回行いました。

庚申信仰では、人の体内には「三尸(さんし)」という3匹の虫が潜んでいると考えられていました。 三尸とは、「上尸」(頭の中に潜み、首から上の病気を引き起こす虫)、「中尸」(腹の中に潜み、臓器の病気を引き起こす虫)、「下尸」(脚の中に潜み、腰から上の病気を引き起こす虫)とされていました。

庚申信仰は 60 日ごとだけでなく、60 年ごとにも適用され60 年を一巡とする中国の干支では、57 年目である庚申の年に大災害に見舞われると考えられているため、庚申講員はその年に大きな碑を建てて「庚申」とだけ刻まれている碑は後のほうに建てられたもので、病気を退治する神・青面金剛の像が彫られている碑は、それよりもさらに古いものと考えられている。19 世紀末に道端の神社が禁じられて道が拡張された際に、多くの石碑は破壊されてしまったが、地域の人々がすべて 1 か所に集めることで破壊を免れようとする様になります。

庚申待と言って庚申の日の夜に社寺や庚申堂に集まり、 祭事を行った後、一晩中飲み食いをして過ごした習俗で、江戸時代に全盛を極めましたが、 明治期の神仏分離や迷信として排撃されたため、今ではなくなっています。

宮中では庚申の夜に清涼殿に集まり、天皇の前で歌合せなどが行われたそうで盛んなのは「歌合せ」で、左右に分かれ題を出して、それぞれ一首ずつ歌を読み、 判者が優劣を判定して、勝負すると云うもので安倍清明の時代の清少納言もよく参加していました。

今朝もブギウギを

男女オールスター歌合戦を全力で歌いきったスズ子の評判は最高潮に達し水城アユミはスズ子の楽屋を訪れ、スズ子の歌に感激し、自身ももっと勉強しなければと言う程だった。でもスズ子は燃え尽きて引退を考え羽鳥先生に

実はスズ子モデルの笠置シズ子が歌手引退を決意した理由は、歌唱力や体力の衰えだけでなく、体型の変化も大きい。全盛期の様な動きに疲労を覚え、実際は1956年の有楽町の日劇「爆笑ミュージカル」の主題歌「たよりにしてまっせ」と「ジャジャムボ」はマンボのリズムが強く昭和32年(1957)5月、新宿コマ・スタジアムで「クルクルパレード」が最後の歌のステージで服部良一先生にロックを用意されたのを歌い終えてだった。

でもドラマの羽鳥先生は引退に反対で舞台や映画をすることは一向にかまわない、でも歌手をやめることは、歌を葬りさることだけは絶対に許さない本当に歌手を辞めるなら、僕は君と絶縁しますとか現実を考えたら鬼畜そのものだが

日記はもうとじよう
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