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2024年03月20日20:22

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窓際のトットちゃん

「窓際のトットちゃん」読みました。
2回目です。
最初は昨年、2023年の12月だったかな?と思います。
そしてすぐに、「えっ?こんなに面白いとは思わなかった」と夢中になって読んで、すぐに感想文を書こう、と思っていたのだけど、何やかやで忙しいし、もう一度読んでから書く方がいい、と思い、再度読んだりして、書くのが今になってしまいました。

1回目に読み始めた時、最初に思ったことは、「トットちゃんのママや、小林先生という人は、”ライ麦畑で捕まえて”なんだな・・・」ということでした。
サリンジャーの有名な小説だけど、読んでない人もいると思うのでざっと説明すると、こうです。
主人公の「僕」(名前は忘れた)は、「貴方は将来どういう人になるつもりなんだ?」などと人に聞かれると(だったっけ?)「僕は”ライ麦畑で捕まえて”になりたいんだ」と答えるのです。
彼のそういった言動はちょっと変わった子、として受け取られ、こんな言葉も、変なことを言う子だ、と大人たちに思われるのだけど。
彼はいつも夢想しているのです。
「ライ麦畑で多くの子供達が遊んでいる。
僕はちょっと離れたところからそれをじっと座って見ている。
子供達は自由に、好き勝手に遊ぶんだ。
僕はただ見ているだけで何もしない。
でもそのうちの一人が、遊びに夢中になるうちに、崖の近くに
やってきたら、そこへ駆け寄ってその子を抱き上げ、安全なところまで運んで、そっと下ろす。
それだけを一日中やるんだ」
と答えるのです。

トットちゃんのママは、ある意味天才なんだな・・・と、まずたまきは思ったのです。
どんな奇抜なことでも、突拍子もないことも、子供というのは言い、考え、行動しますね。
坂本龍一も言っていたけど、子供はみんな天才なんです、ある意味。
でもそれを理解し、あるがままに子供を育てられる大人は、あまりいないように思う。
危険なこと、人と変わっている、と他人に思われそうなことは、最初から禁止しておく方がずっと手がかからなくて楽だからです。
夢中になると、何をしでかすかわからない子供を、「あるがまま」にさせておくのは大変な手間と時間と努力が必要で、「あれも禁止、これも禁止、こうしなさい、ああしなさい」と枠に嵌めるのは省エネになって楽なのです。
子供がちょっと変わったことをしようものなら「貴方という子は!そんな変な子、お母さんは知りません。いい?人前で、絶対にそんな変なことするんじゃない(言うんじゃない)の。いい?じゃないと、学校でのけ者にされるわよ」
と多くの母親は言いそう(でもないですか?)。
かくいうわたくしも、子供はいないけど、そうなりそうです。
現代では特に、「人と違った、変わった子」というのは、親にとっては大問題、絶対に避けなければならない、ことなのだ、という感じがします。

ましてや、この、「我らがトットちゃん」は授業中にあろうことか、窓際に立って、チンドン屋さんが来るのを待ち構えている、そしてお待ちかねの彼がやって来ると、「チンドン屋さ〜〜〜ん」と大声で叫ぶ、というのだから、これはただごとではありません、親にとっては。
勿論、多くの子供達を教えている先生にとっても、明らかに「問題児」ですね。

それなのに、他にも授業の妨害と受け取られそうなあらゆることをしてついに学校を退学になっても、この「天才児(問題児?)」の母親は、決してそれ故に子を叱る、ということをしてないんです。
そんな親がいるの?とまず、たまきはそのことに驚いた。
でも、本当にこの子供が命に関わるほど危険なこと(つまり崖っぷちまで走ってきたりすると)をしでかしそうな時は、必ずどこからともなく現れて、さっと抱き上げ、安全圏まで運んでいく、ということを完璧にやってます。
まるで神の目を持つように、いつも完璧なタイミングで。
これはね、はっきり言って、誰にでもできることじゃない、と思います。
よほど才能のある人にしかできませんよね。

自分の欲しいと思った切符を回収している駅の改札のおじさんを見て、ママに「私、大きくなったら切符を集める人になろうと思うんだ」とトットちゃんが言うと、「でもあなた、スパイになるって言ってたのはどうするの?」と平然と答える母親なんて、他にいないんじゃない?
たまきは考え込んでしまいました。
もし自分がこんなこと言う子の母親なら?って。
思わず立ち止まって子供の顔をしげしげと覗き込んで、「そんな変なこと、絶対に人には言わないのよ、いい?
スパイになるなんて突拍子もないことを言ったり、今度は・・・あのね、”切符を集める”なんて職業はないのよ。
それはただ、職務の一環として・・・ああ、もういいわ」といった挙句、「貴方は変人扱いされて、誰にも相手にされなくなるわ。だから退学になったのよ。変わってい過ぎるもの」とまで、言っちゃいそうです・・・ま、極端な場合ですが。
これらの言葉によって、この「天才トットちゃん」はこの世から消えるのです、胸に杭を打たれて。
永遠に。後には、「自分の本音を隠して周囲と同じように振舞おうとする、”おどおどしたつまらない子”」が残るだけ。

それで、たまきはこれを読んでいて、こういう、「大人になっても”天才トットちゃん”のまま成長した人を育てたのは、”子育ての天才”ママだったのだ、と知ったのでした。

なんとこのママは、彼女が20歳になるまで、それまで通っていた小学校を退学になったこと、だから他に行くところがなくて巴学園に入学願いを出すところなのだ、ということを言わないでいたのです。
我が子に、変なコンプレックスを持たせないように、人と少し変わったところはあっても、この子は人並み外れた好奇心をもって、それに向かって真っすぐに飛び込んでいく子なんだから、それを伸ばしてあげないといけない、とわかっていたのですね。
よく、子育ては誰にでもできる、という意見もありますが、一方では、子育ての才能のある人はごく少数なのだ、という意見もあります。
たまきも実は、後者の意見に賛成です。
そして、人の才能を伸ばすのは、真に才能を持った親、特に母親なのだ、と思っているのです。

そして何と言っても小林先生ですよね。
もうこの人は、まぎれもない天才です。
どんな人でも、「ああ!子供の頃、こんな人が先生だったらどんなに幸せだったろう?」と思うでしょう。
たまきなんか図々しく、「この巴学園に入ってこんな教育を受けていたら、きっと今頃有名作家になれていただろう」なんて思いましたよ。
あんまり悔しいから、「自分は今、この巴学園の生徒で、先生はいないから自分がそこの先生で、生徒も自分。なんでも好きなものを研究して、好きなだけ、興味のあることだけ勉強して、いくらでもそれに時間をかけて、思い切り想像のつばさを広げて、好き放題やるぞ」と思ったことでした。

でも、現在の日本の(まあ、どこの国もそうでしょうけど)状況を考えて、こんな理想的な教育環境というものを実現するのはほぼ、不可能に近いかな?
第一、生徒の数が一クラス10人程度だなんて、贅沢過ぎて無理だし、(彼の考えではマックスで30人?までが理想)小林先生のような才能あふれる教師なんて、そもそも見つけるのが大変、というかほぼ、皆無に近い。
それより、たまきはもっと怖い話を聞いたことがあります。
小6の子に、教材を売る仕事をしていた時のことです。
そこの社長が言いました。
「今学校じゃ、クラスで何かが流行ると、みんなそれをやらないと、仲間外れにされる。学校で仲間外れにされることは、死を意味する」
そしてもう一つ。
「先生に標的にされやすい生徒というのがいて、そいつを徹底的にしごく。他の生徒に対する見せしめのためのいじめだよ。
そうすることで、他の生徒に恐怖心を植え付けて、コントロールするんだ。先生が生徒になめられないようにね」
心が索漠とする話でしょ?
信じたくはないけど、確かにそんな一面もあるんだろうな・・・と、たまきは索漠とした気持ちで考えた。

こんな環境に、個性的な、世の中を変えてしまうくらいの偉大な仕事を成し遂げる人材は決して育たないだろう、と思います。
今の教育は、良くも悪くも、「個性を殺す方向」に向かっているのじゃないか?とよく考えます。
ニュースで、「人の気持ちを感知するアプリ(?よく覚えてませんが)」を学校に導入しよう、という案まである、と聞きました。
生徒が今受けている授業に関心を持っているか、退屈しているか?を感知するツールらしい。
たまきは血の気が下がるほどの恐怖心を感じたぞ、それ聞いて。
「人間の画一化」が恐ろしい勢いで進んでる、と思って。
生徒は「周囲に適合できない変わり種」に分類されるのを恐れて、常にびくびくと、周囲と同じ考え、同じ反応をしよう、と戦々恐々としてしまうだろう、と想像しました。
何しろ、「クラスで流行ってることを自分もやらないと仲間外れにされ、仲間外れは死を意味するほど恐ろしいことだ」という風潮になってるらしいんだから。

そんなこと言ってたら、いつも授業中にフラスコをぶくぶくさせながら科学の実験に夢中になっていた泰ちゃんなんか、偉大な科学者には育たなかったでしょう。

*「 フェルミ 国立 加速 研究 所」という、アメリカ 中 の 五十 三 の 大学 から 頭 の いい 人 が 集まっ て 作っ た 研究所 で、 物理 学者 が 百 四十 五人、 技術者 スタッフ 千 四 百人 という 巨大 な 研究所 です。 ここ の 副 所長 で、 しかも 物理 部長 も 兼ね て いる

という人ですよ。
巴学園では、1時間目は何の授業なんて決まってなくて、座る席も決まってなくて、どこの席に座ってもいいし、自分の好きな教科を勉強していいのです。
そしてわからない所がある時だけ、先生にわかるまで説明してもらえる、という、夢のような教育方針。
何しろ、この学校の方針は「子供の個性を育てること」という、今の教育と逆のことだったのですから。

そしてこの巴でトットちゃんと一緒に学んだ生徒たちは、皆素晴らしい大人に成長しているんです。
中には小児麻痺で子供のうちに死んでしまった子も(康明ちゃん)いるけど。
でもその子の葬式にも学校中の生徒が出席できるなんて、なんていい学校なんだろう?とほんとにうらやましかった。
一クラス50人の学校、そして一学年8クラスくらいの学校で全体をひとまとめにした教育を受けながら、たまきたちは多くの、大切な、学んでおくべき、経験しておきべきことを背後に置いて、それに気づきもせずに通り過ぎてきてしまったのだ、と思い残念な気持ちでいっぱいでした。

勿論、あんな、生徒一人一人に気を配り、コンプレックスを持つ生徒を一人も作らないように、特に小学生の体格のまま、背が伸びない病気の高橋君には感動的なほど工夫を凝らして自分に誇りを持つように育てる、なんて贅沢な教育は無理だ、というのはわかります。
でもせめて、この本を読むことで、たまきのように、今頃になって「自分たちが背後に置き忘れてきた価値あるもの”を思い胸がうずくなんてことにならないよう、この本を読んだ人が皆、「今自分は巴学園の生徒なんだ」と想像して、好きなことに夢中になったり研究したりするといいな、と思います。
「自分にしかない個性」を見つけて、「私大きくなったら○○になる!」と堂々と周囲に言えるようになったらいいな、と思います。
この本は、第二次世界大戦が始まったところで終わっているけど、最近、「大きくなったトットちゃん」はその続きを書いたらしいから、それもそのうち、なんとか時間を見つけて読みたいし、オリジナル本の英語版も出ているらしいから、それも読みたいと思う。
いつになるかわからないけど。
何しろたまきも興味のあること、やりたいことが多すぎて、いつも時間がないのです。
お金もないし。
でも手に入れたものは本でも映画でも何回も観て、読んで楽しむことならできるので、そうしてます。
ではまたね、トットちゃん。

追)たまきは昔、級友に、「ねえ、きょう”鬼っ子人形”っていう、たまきにそっくりな人形を見つけたわよ。
色が黒くて顔が憎たらしくて、全然可愛くないの。たまきにそっくりよ。今度見てみ」と言われたことあります。
まだ見たことないけど。
このトットちゃんて、なんだかいたずら好きの妖精、痩せてちょっと色が黒くて、その鬼っ子人形みたいだったんじゃないか?
と想像して、勝手に親近感を抱いちゃってます。
いつもたまきの周辺ですばしっこく走り回ってはキャッキャッと笑う声が聞こえる気がするの。
トットちゃんはいくつになっても、いたずら好きの妖精、鬼っ子人形なんです、たまきにとっては。

追2)この本で驚いたことは他にもありました。
こんなにやさしい、簡単な言葉だけでこんなにも生き生きとした、面白い本が書けるとは思っていませんでした。
メアリー・オズボーンの「マジックツリーハウス」を読んだ時にそう感じたのだけど、こんな作家、日本にはいない、と思ってました。
3歳の子供から100歳過ぎのお爺さんまで、幅広く読まれ、愛され続ける本。
そんな本が日本にあったんだ・・・ととても感心しました。
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