31日。朝から、皆はリビングでパンやカップ麺みかんなどを食べて、思い思いに過ごしていた。
夫は用意してあった夫用の朝食を自室で食べている。用事がない限り自室にこもっている。
その間、私は山盛りの洗濯物を2回洗濯する。
彼らが食べたあとの片付けをする。
自分の朝ごはんを食べた記憶が無い。
外は雨で午後にはやんだが、洗濯物は干せず乾燥機をフル稼働。
昼ごはんは近くのスシローを予約していた。
長女親子は今日帰る予定なので、荷物をまとめていたが昼近くになって、急にもう一泊すると言い出した。
な、なんですと!もう一泊!勘弁して欲しい〜
は、私の心の声。
なんでも、30日まで仕事だった長女の婿殿は、筋金入りの二次元オタクで、家族に邪魔されずネットや動画に浸りたいので、長女親子が居なくても全然構わない。との事。
てな訳で、結局7人で年越しをすることになった。タメ息。
12時にスシローに行き、2席に分かれて食事した。
予約しなくても満席じゃなかったわ。
すると、来年1月末で閉店の貼り紙が!明日は来年だよね。
一同びっくり。
まあ、スシローは年に一度くらいしか利用しない我が家だから、こんな客ばかりじゃ潰れるわな。
と、妙に納得。
飲食不毛地帯のあすみが丘の魔の手に落ちたのね。
久々の回転寿司に孫たちは大満足、皆満腹まで食べて会計は私が払う。毎度の事ね
。
その後、娘たちはゲームセンターで孫たちを遊ばせ、長女はお泊まりの下着などを買うなどして、次女の車で帰ることになった。
私と夫はスーパーで食品を買い、先に帰宅した。
ウサギが餌をくれと、バタバタしてたので新鮮な小松菜をやったら、めっちゃ食べた。
私は休む間もなく、風呂を洗い湯をはる準備をする。
娘たちは帰ってきたが婿殿と孫息子は、雨の上がった公園にモルックをしに行った。
子どもの扱いが上手い叔父さんは、孫息子には友達みたいなのかもしれない。
娘たちと孫娘はテレビを見たりゲームをしたりして、好きなように過ごす。
その間、次女が長野から買って来た信州蕎麦を茹で年越し蕎麦の準備。
おせちをお重に詰めたり、オードブル、サラダ、刺身はマストアイテム。
ピザさえあればいい孫息子にはピザを焼く準備。
乾いた洗濯物を仕分け。人数分のバスタオルや下着を分け、すぐ入浴出来るようにする。
5時過ぎから家族毎に入浴させ、7時には夫の入浴が終了。
まるで修学旅行の旅館ですわ。
夕飯が始まり、年越し蕎麦は、かけ蕎麦ともり蕎麦の夫々の希望に合わせて用意。
器や料理を運ぶのに私がピリピリしてると、お母さん落ち着いてと娘たちが手伝ってくれた。
年越しにこれだけの人数が集まるのは初めてだ。
亡母がいた頃は、私たちが賑やかにしていると母がひがむので娘たちが帰省して居ても、なるべく静かに過ごしていた。
寝る部屋も無かったので、娘たちの2家族が同時に集まることはなかった。
だから、今年のような年越しは幸せなことなんだと思う。
が、私は疲れる。もっと歳をとったら、とてもおもてなしは出来ないと思うので。
今のうちに感謝しておけよ。と、叫びたい。
とにかく、賑やかな年越し。紅白を観ることも無かった。
翌日の雑煮の準備をして、ゆく年くる年も観ず元旦になってから入浴し、またしても泥のように寝た。
この時は、翌日の大災害を知る由もない。
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