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2023年12月30日20:00

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やっちゃん回想録 15 教育の形而上学的な課題 または、自分の論文の予告に一つ目。

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984632139&owner_id=12410478
という日記を発見しました。

我ながら、本当にいいことを言っています。

まず、第一の、
1 あらゆる認識は近似的認識にすぎない
ある認識が、本当に正しいと思ったら発展がありません。
たとえば、「Aはいい奴だ」という認識。「いい奴とは何か」「<pはqである>という認識とは何か…と、その先は無限に問題があり、その芽を摘むことになるからです。

第二の、
2 情報の一部しか我々は認識していない
自分が認識できなかった他の部分に気が付いてこその、パラダイムシフトができます。

だから、マークシート式問題などは、クソッタレです。1にも2にも反するからです。

思い出しました。
院生の一時期、この12問題を智慧と倫理の集合体と考えました。

たとえば、今ある認識は真理に到達する妨げとなります。
問題を解く、倫理的に正しい認識をする…
その両者に関係しますが、

とにかくも、
今ある認識を剝がすこと。
そうすると、12を認識して先に進めます。

それができないタイプの頭が悪い人がいます。
たとえば、延々と二時間説明して、「円安だと輸出産業が儲かる」を理解できなかった人がいますが、「安い」のイメージを「安い」という言葉から剥がすことができなかったのでした。

「剥がす」
これをうまい言葉にして、掘り下げなければなしません。
教育学の本などは、
計算能力、言語能力といった、まさに結果論以外のなにものでもない言葉が並んでいます。
だから、教育学部が嫌だったのです。

しばらくそういう問題を忘れていたのは、仕事が忙しかった、早い話が生活に追われていたこともありますが、それを応用する場が見つからなかったということもあります。

最初に見つけたのは、『洩天機』の翻訳。翻訳した自分の名こそ残っていますが、これは、梅素香という原作者がいました。ですから、自分のものではありません。

最近、偶然にも自分の仕事の中から、再発見しました。
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