ところで、徳川慶喜家の現当主である山岸美喜氏は、今年になって自分が徳川慶喜家の当主だということ、そして、自分の代で徳川慶喜家を絶家にするということを決めたということを知りました。美喜氏は、先代当主徳川慶朝の姪です。
絶家については、以前、鳥取池田家の現当主 池田百合子氏が、鳥取池田家を自分の代で絶家にすると表明しましたが、美喜氏もまた、絶家を表明しました。
先代当主の慶朝は、1980年代に結婚し、二男一女の子供が生まれていますが、その後離婚。恐らく慶朝は、少なくとも離婚前後の時点で、自分の代で徳川慶喜家の絶家を決めていたのではないかと思うのです。もし徳川慶喜家を存続させるのであれば、離婚後も子供、特に後継者である男子を、少なくとも一人は、
「この子は徳川慶喜家の後継者だから」
ということで、徳川慶喜家に残すはずですが、三人の子供はいずれも、妻の実家長岡家の籍に入っていて、次男の慶弘氏は、長岡家を相続。
その後慶朝は、再婚もせず養子も取らなかった。だから、早い段階で絶家を決意していたのではないでしょうか。しかし諸事情で絶家にできず、姪の美喜氏に後を託した。
ところで「美喜」という名前は、読み方によっては「よしのぶ」とも読めます。美喜氏が徳川慶喜家最後の当主になるのは、徳川慶喜家が“よしのぶで始まり、よしのぶで終わる”ということを示しているのでしょうか。
それに池田百合子氏も実は、血統上では慶喜の子孫であり、百合子氏と美喜氏という、二人の慶喜の子孫が絶家を決めたのは、偶然だとは思いますが、何かの縁があるのかなという気がします。
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