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2023年12月05日19:27

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【2001年GW】関西逆ホームシックの旅

関西学研都市の研究所での仕事を三年間で解かれ、出向元の会社に呼び戻されて一か月が経つところでした。研究対象の分野が環境に負担の少ないエネルギー源の探索からゲノム創薬へと大きく変わりました。新規農薬の探索から高分子の分析に転向したのが7年前、高分子から触媒の分析に対象が変わったのが3年前、研究者として成果を挙げる「最後のチャンス」と言われたのは三度目です。異動を言い渡した研究部長(出向元の身元引受人)は筑波研究所でボート班(班長)と合唱班(ステージで共演)で繋がりのあった人でした。環境触媒のプロジェクトの終了を翌年まで待っていたら出向元に帰る行先が無かろうとの懸念から、生命科学研究所の成果を利益に繋げるべく発足した事業に研究者寿命の延長を賭けたのでした。研究者としての討ち死に場所を決めたと言うのが正確かもしれません。

研究関連の組織改編が5月だった影響で、横浜の研究所に5年ぶりに出戻る前に丸の内の本社に1か月間預かりとなり、見かけだけは東京のビジネスマンとなったのですが、東京で仕事/生活するという子供の頃の夢が叶ったという実感は皆無です。バイオ&ITの融合分野の新規プロジェクトに参画したことになっていますが、5月までの「腰掛け」に過ぎず何も実務を与えられないので回覧物を眺めて適当にネットで情報収集をして、業界マップもどきを作ってみたり、耳に入ってくるゲノム関連の用語をネットで検索して資料を印刷したりして暇を潰していました。「聞くは一時の恥」という言葉がありますが、検索なら一瞬の恥も掻かずに「一生の恥」が回避できるのでした。

インターネットの個人的な用事での使用(投資、ギャンブル、音楽などの趣味、スポーツ情報、芸能情報、アダルト系など)に対してシステム部によって制限が掛けられたのは間もなくのことでした。前月まで在籍した関西学研都市の研究所は、サイト閲覧に制限がなく、社外の合コンの企画まで使い放題、私もクラシック音楽の愛好家のサイトにハマって業務時間中にも投稿、情報交換、雑談にうつつを抜かし、大阪や京都でのオフ会にも参加してバーチャルな交友関係がリアルにも広がりつつありました。プライベートなネット生活を自宅で継続するため、初めて自宅にパソコンを購入したのは、新生活が始まってちょうど二週間後の日曜のことでした。

四日市の事業所での2年、関西学研都市の研究所での3年を経て、「浦島太郎状態」を覚悟していたのですが、引っ越し当日の夜中に横浜市青葉区の社員寮に到着するなり、以前職場のパソコン購入でお世話になったシステム部の若い男と大学の研究室の3年後輩にいきなり再会し、仕事でも筑波研時代の社内外の知人との8年ぶりの再会があり、横浜から転出した5年前に時間が逆戻りした気分でした。丸の内の本社での仕事がなく、横浜研究所に返り咲いた後も本格的な仕事は始まらず、取りあえずタンパク質とDNAの基礎知識を固めることから始めることにしてアミノ酸20種の名称、化学構造式、三文字表記、一文字表記の「あんちょこ」を持ち歩いて「研究者の墓場」への長旅に備えました。

丸の内のオフィスから新幹線が見えることもあり、関西生活への「逆ホームシック」が募って京都に舞い戻りたい思いにもかられました。そんな中、横浜中華街でクラシック音楽のサイトの「オフ会」に参加(勉強会のための土曜出勤の帰りに直行)、ネットの掲示板でお馴染みのメンバー3名が初対面、1名が二度目の再会です。私の歓迎会のような雰囲気になり「似非関西人」のキャラが残っていることも意識しました。更に一週間後に関西への三週間ぶりの「里帰り」が実現したのは、異動を告げられる前にシンフォニーホールでのコンサートのチケットを購入していたからです。朝比奈隆/大阪フィルハーモニー管弦楽団によるブルックナーの交響曲第5番の演奏は、年末に93歳で他界する巨匠の最期の伝説的な名演となりました。長年のクラシック音楽の愛好家ですが、生のコンサートに対して敷居の高さを感じていた自分が奇跡的な名演の現場に居合わせたことも感銘を深め、首都圏でのコンサート三昧の日々が幕を開けるキッカケになりました。造幣局の通り抜け桜にも間に合い、関西生活への未練を断ち切ることができそうでした。

関西への「逆ホームシック」を解消しようとGWに京都・奈良への二泊三日の一人旅を計画しました。旅の前日の5月1日(火)は横浜の研究所への出戻りの初出勤となりました。同僚女性(お茶の水女子大卒)の「や〜ねぇ〜!」という言葉に関東に戻ってきた実感がありますが、ストレスが貯まらない内は標準語を話す芦屋のお嬢さん育ちの女性(神戸女学院→京大卒)もいます。翌2日が休日になることを出勤して初めて知りました。宇多野ユースホステルに電話すると2日以外は満室とのことで、取りあえず京都の一泊二日の旅行として急遽予約を入れ、朝6時頃に横浜市青葉区の社員寮を出発しました。十日前の大阪行きの日と同様に曇りから雨に変わる肌寒い日でしたが、新横浜から「のぞみ」に乗車できたのは幸いです(自由席に座れたようです)。

京都に到着したのは9時過ぎ、市営地下鉄を使った後、蹴上まで歩いたところで雨に降られたので四条河原町まで戻りました。関西生活で歩きなれた道を行き、マクド(関西での呼び方)に立ち寄り、アーケードの下で悪天を見込んで営業していた店で500円の傘を購入しました。祇園の界隈を散策、雨の中に柳の新緑が映えました。知恩院の山門が特別公開され(800円)、高いところからの京都の眺めを楽しみました。仏像の由来を大学生バイトらしい女性が説明していますが、少しぎこちなく暗記した口上を繰り返しているようです。青蓮院門跡の拝観は関西を後にした今回が初めてでした。JRの「そうだ、京都行こう!」のキャンペーンで真夏の青蓮院門跡が紹介されていたことは知りませんでした。楓と楠の鮮やかな新緑の写真が残っているのに日記には拝観の記述がありませんが、その後、京都散策の定番コースに加わっています。

琵琶湖疎水から哲学の道までの定番コースも雨のため人の姿が少なく、鞄の中まで雨が浸透して荷物が重く感じられましたが、しっとりと濡れた京都の味わいは三年間の関西生活で経験していなかったようで、また京都の新鮮な魅力を見出した気分になります。哲学の道の手前の小さな店で休憩し、にしんそばを昼食として、つゆも飲み干しました。他のお客さんは30代くらいの女性一人でした。青蓮院の拝観は13時頃まで、哲学の道を歩いていたのが15時近いことが写真に記録された時刻で確認できます。その間の13時40分頃に訪れている雨の庭は南禅寺のようです。銀閣寺の味わいも雨で深まりましたが、こちらは人出も多くて雨の中で肩を寄せ合うカップルの姿もやたら目立ちます。雨が止まない中を烏丸今出川まで歩いて市バスに乗りました。

宇多野ユースホステルの宿泊は5年ぶりです。ユースの建物も雰囲気も以前と変わりません。外国人ホステラーも多数宿泊しています。夕食はおかずの品目が4〜5種類あっていずれも美味しかったです。畳敷きの談話室で多くの時間を過ごすのも定番です。関西人女性の二人組は和歌山からだそうです。髪が長くスタイルの良いの一人旅の韓国人女性(崔 美貞(Choi Mie Joang)さん)は日本語も英語も達者です。学校では「チョイさん」と呼ばれているそうです。名古屋からの女性二人、一人は三十代に見え海外旅行歴が豊富で英会話力も高いようです。他にも外国人ホステラーが加わって、関西の魅力や名古屋の味噌カツの話題で盛り上がりました。バイクの男二人とは礼文島のユースホステル桃岩荘も話題になりました。

翌5月3日(木)には雨が上がりました。キャンセルが出たとのことで、連泊が決まりました。8時半頃に出発し、仁和寺の開門を十分待ちました。苔むした庭園を他に人のいない静寂の中で鑑賞しました。京都で落ち着いた時間を過ごせる安堵感に浸ります。この日は京都のあちこちで特別拝観が行われていたようです。仁和寺の金堂と経蔵は、たった一人での見学でも大学生が説明を始めました。龍安寺の参拝は十年ぶりでした(仁和寺は5年ぶり)。三年間の関西生活中、京都を何度も訪れたつもりでしたが新京極の繁華街とセットの旅では奈良からのアクセスの比較的良い嵐山や東福寺の観光が優先されていたようです。龍安寺は新緑もきれいでしたが、藤とツツジも見頃で池の周囲や弁天島が花に包まれた風景も見事でした。石庭へ至る階段のところで楓の新緑をカメラに収める若い男の姿がありました。石庭を訪れる人が絶えませんが、静かに石に見入っている人ばかりで静寂が保たれて良い雰囲気の鑑賞風景です。

金閣寺まで30分くらい歩き、入り口近くの店で湯豆腐定食を昼食としました。1500円で龍安寺内の店より手ごろな価格でした。曇天なので金閣の金箔の輝きが今ひとつですが、風が無いので池の水に映った姿も見事です。金閣をバックに記念写真を撮るカップルやグループの多さは普段通りです。

大徳寺の幾つかの塔頭で「特別拝観」が行われていましたので、興臨院だけ拝観し、五十代くらいの親切なおばさんに小さな石庭へ案内されました。庭の木の一つはインドのお坊さんが葉っぱをメモに使うことで知られているそうです。大仙院、瑞峯院、高洞院の拝観は9年前からの定番ですが、京都にいる実感にしみじみと浸るゆったりとした時間を味わいます。高洞院の苔も楓の新緑に劣らず鮮やかでした。参道をゆっくりと歩いて素敵な時間を共有するカップルを数組見かけました。

大徳寺から烏丸北大路まで歩き市営地下鉄で三条に向かって京都の繁華街を散策します。三条通もいつも通りの賑わいですが、イノダコーヒには行列ができていて待たされそうなので深いカップの濃厚なコーヒーを味わうのは断念しました。イノダコーヒも京都の観光スポットの一つとしてガイドブックに掲載されているか、観光案内サイトに口コミで紹介されているに違いありません。仕方ないのでお馴染みのJEUGIA三条本店(CD、楽譜、楽器など関西最大の音楽ショップ)で時間を潰しました。木屋町通を下り、河原町から四条大宮まで阪急に乗り、京福電鉄で鳴滝まで乗車、YHの最寄り駅のはずが小高い丘の周りをぐるりと迂回してしまい1km以上の遠回りでの帰館となりました。

3日の宇多野ユースも賑やかでした。食堂で崔さん(韓国人女性の旅人)に声を掛け、並んで食事しながら本日の旅の報告です。談話室では外国人旅行者二名と崔さんに群馬からのグラマーな女の子が加わりました。外人さんの一人(性別の記憶・記録がなく不明)は源氏物語の原文を読むほど日本文学を深く極めた人でもちろん日本語会話も達者でした。食堂に行くと四十代と思しき常連ホステラーに泡盛を勧められ、もう一人の若い男性ホステラーと一緒に数杯頂きました。素焼きの器に美酒のエキスが染み付いて味わいを与えていること、職場の人との酒の飲み方など散々蘊蓄を傾け、もう一名の方はすっかり酔いが回ってしまったようです。

二年半前に知床のYHで出会って一緒に羅臼岳を登った真希さん(大阪)を京都に呼び出そうと10時半頃に電話したら、家(CDショップ)の用事があって来られないとのこと、もっと早く言ってくれたらと残念そうでした。関西人の真希さんを詩仙堂と圓光寺の紅葉の最盛期に案内したのは半年前の想い出ですが、一か月後に残務整理で以前の職場に出張した帰りに最後の再会を果たしました(一年後に結婚し宮崎県で関西弁を封印して暮らしているとのこと)。

11時頃に談話室に行くと女子二名が仲良さそうに話し込んでいましたが、佐賀県と山口県と「マイナーな県」の出身者同士で3時間前に意気投合したばかりだと言います。日本文学に詳しい外人さんがやってきて、ヒッチハイクで京都に辿り着いたという話で盛り上がりました。

翌5月4日(金)は8時頃に出発しましたが、京都駅まで一本で行くバスが市内の渋滞に引っかかってウンザリしました。近鉄を乗り継いで長谷寺に向かいます。長谷寺駅には11時頃に着いたと思います。駅からゾロゾロと沢山の人が連なって歩いています。露店が並び、牡丹の鉢植え、お酒、葛切りなど販売している通りを15分ほど歩いて辿り着きました。長谷寺の参拝客の目的は、見頃の最盛期の牡丹の花を愛ずることのみです。紅色、白、黄色と咲き乱れ、回廊から眺める花だけでなく、奥の院の前に並べられた花も見どころが多く、フィルムの消費が進みました。

学研都市生活三年間に一度も訪れなかった奈良の名所をもう一か所巡ります。5年前、四日市事業所に転勤してGW明けの休日、更に半年前に北海道の大雪山の登山で出会った(層雲峡YH宿泊)メンバーで滝谷寺の芝桜の見頃を眺めた後、室生寺までハイキングした思い出があります。室生口大野駅からのバスは15分に一本ありますが、座れたものの満車状態で渋滞に引っ掛かり本来40分のところ1時間経っても辿り着けず、目的地に近づくほど進まなくなります。ウンザリして疲れも溜まったので終点の手前で降車して室生寺まで歩きました。長谷寺の牡丹に対して室生寺は石楠花が見頃です。人の多さを厭わずに参拝した甲斐がありました。石楠花の写真も4枚撮影しました。二年前の台風(その日は研究所で雨漏りがあったり、京都での宴会が近鉄の不通により中止になったり、帰宅困難者となったりしました)で倒壊した五重塔が美しい姿に再建されていました。

学研都市の研究所で光触媒による水素製造の研究をしていた文(ムーン)さんの姿を見かけました。韓国人留学生ですが日本語が達者で韓国人特有の訛りの代わりに関西弁が混じっています。リュックを背負った一人旅です。こちらに気づいていないのですが、驚かしたくないので声を掛けませんでした。後で残務整理に研究所に出張した時に薄情者と言われました。

15時前に帰路に着きました。バスを待つ人の列が100mくらいに達しています。7kmの道を歩いて降りることにしました。同時に出発したはずのバスに途中で追いついてしまいました。一方通行の規制がやたらに多く、車が全然進まないので次から次へ歩行者に追い抜けれている格好です。歩いて帰る人は10人以上いて、下り道なのでほとんど苦にならずに室生口大野駅に到着しました。近鉄線の大阪方面は混んでいましたが、名古屋方面は閑散としています。名張、中川と近鉄特急を乗り継ぎながら、ゆっくりと座って名古屋に到着しました。開店して一年経った駅ビルの高島屋の書店とCDショップは期待したほどではありません。夕食は四日市時代に良く行った松坂屋(2010年に閉店)の「石狩」でお馴染みの十勝膳にホヤとタコの刺身を追加して日本酒を飲みました。上手くいかない会社生活の気晴らしに名古屋で遊んでいた日々を思い出す一時です。「のぞみ」を待つ間にも生ビールを一杯飲み、横浜市青葉区の社員寮に帰館したのは11時頃でした。

宇多野ユースホステルで会った韓国人女性の名前を検索したら、西日本で「国際交流員」の仕事に着任したことが判明しました。顔写真からは22年前の記憶が蘇らず、年齢も不明です/でしたが、旅行好きと日本好き、日本への留学経験から出会った人である可能性が高いようです。

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