mixiユーザー(id:618440)

2023年10月19日12:16

35 view

読書の秋にマンガ読んだ😀

フォト

フォト


「悪の華」

出張先の宮古島の宿泊所にて読破

アマゾンのレビューを見ると、前半の中学生編での主人公および相方となる仲村が変態道を邁進し人間模様的にもドロドロ感の強い様相を呈した時期を高く評価し、後半の高校生編では幾分爽やかな恋愛ストーリー風になりハッピーに収束していくことに不満を述べる人もいるようで、分からないではないのだけど、一方、後半のヒロインとなる常磐文は、前半の2大女子キャラにも増して絵的にとても丁寧に美しく描かれており、特に単行本の表紙での力の入りようには、このキャラクターに対する作者の思いというものが色濃く表れているように見えてならないという面もある。
秀でた感性を持つ者が抱くのかも知れない周囲との疎外感、そこから持ち上がる、好奇心や欲望に忠実であることを美学とし、逆にそれらを押さえて社会や大衆に迎合する多くの者達への嫌悪、同好の仲間を得たことで衝動と若さの暴走はより拍車がかかるがやはり挫折、というのが中学時代。
しかし、作品全体を通して見ると、登場人物の誰も不幸にはなっておらず、それぞれに対して救いのようなものが設けられ、主人公達の行動に悩む親達も要所で親らしい役割を果たし、主人公の中学時代の相方・仲村と父親が和解する描写も見られる。
常磐の本棚に大島弓子の作品が並んでいる場面があるけど、思えば大島先生も、シニカルさやラジカルさを表すことはあっても人の破滅よりは救済を描こうとする作家だった気がする。
この常磐文というキャラクターが、美人かつ人格者で文学好き(というか小説書き志望)というところで主人公とウマが合い、主人公及び物語そのものを救済していくような役割を果たしているように思える。捉えようによってはなかなかご都合主義かもなのだけど割と「うん、良かったねー」と素直に受け入れられてしまうのは、それだけ、このキャラクターが作者の人としての優しさと作品内における救済の象徴となっているからではないかという気がした。
主人公の中学時代の狼藉の告白を聞いても主人公を嫌悪せず、過去の清算の為に一緒に仲村に会いに行ってくれるとかマジで素晴らしい人ではないか。そりゃ、単行本表紙も力の入った美しいものになるわけだ、VIVA常磐さん
後半の舞台が大宮らしいのも、数年そのエリアに住んでいたことのある者として親しみのわくところである。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2023年10月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031