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2023年09月22日22:24

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ドゥーチュィムニー「米軍基地移設 「魂では反対さ。けど、国にはかなわない」 交付金に翻弄される辺野古、黙認に転じる首長 それは西之表市馬毛島に重なる」

 「今でも潜ってサザエやウニを捕る夢を見るよ」。エメラルドグリーンに輝く沖縄県名護市辺野古の海を見ながら、豊島一磨さん(77)=瀬戸内町出身=は静かに語った。一帯では、米軍基地キャンプ・シュワブの周辺を埋め立て拡張する形で、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先が造られている。


 豊島さんは沖縄が日本復帰した1972年、静岡から辺野古に移住した。幼い頃から海が好きで、漁師に。「宝の海」に潜り続けて30年が過ぎた頃、埋め立て計画が具体化。名護漁協は容認に傾き、漁業補償を求めた。2013年、埋め立てに同意し、16年に工事区域の全漁業権を放棄した。関係者によると、正組合員には1人約3000万円の補償金が支払われたとされる。

 「埋め立てに抵抗はあった。だけど、海人(うみんちゅ=漁師)の生活を守ろうと必死だった」。漁協役員として防衛省と交渉した豊島さんは現在、同省側の委託で工事の土砂を積む船の誘導などに携わる。「漁業だけでは生活は厳しかった。基地計画で暮らし向きは良くなった」と明かす。

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 普天間飛行場の辺野古移設を巡り、政府は名護市長の賛否次第で露骨に米軍再編交付金を使い分けてきた。反対派が就任した10年には2年分の計約17億円を凍結。一方、辺野古の自治会に数千万円の補助金を出すなど「アメとムチ」で揺さぶった。

 18年の市長選で誕生したのは「賛否に触れない」渡具知武豊氏(61)。再編交付金は復活し、保育料の無償化などが進んだ。昨年1月に再選後も「黙認」を貫く。その政治姿勢に至った理由を問うと「さまざまな住民感情がある中、解決に向けて悩み抜いた結果だ」とコメントした。

 工事に携わる地元の50代男性は「市民は魂では移設に反対さ。けど、国にはかなわない。なら黙って交付金をもらった方が利口」とこぼす。

 基地の地元が交付金に翻弄(ほんろう)され、首長が黙認に転じていく構図。米軍機訓練移転を伴う自衛隊基地整備が進む西之表市馬毛島と重なる。

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 辺野古に米軍基地ができたのは1959年。その後米国がベトナム戦争に本格介入し、周辺は歓楽街として栄え、奄美出身者を含む多くの人が移り住んだ。「バケツにあふれるほどドル札がたまったもんさ」。両親がバーを営んでいた徳田仁さん(72)=瀬戸内町出身=は懐かしむ。

 戦争の終結と日本復帰後のドル安で、街のにぎわいは次第に失われた。普天間の移設先と決まってからは「代償」として企業誘致施設やインフラも整えられた。

 街の盛衰を見てきた徳田さんは有事への懸念が高まる中、地元が敵の標的になる不安はある。ただ、同時に思う。「これまで基地の恩恵を受けてきた。ここまで来たらもう戻れない」
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