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2023年07月25日12:47

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因縁。

因縁とは…。

怖くないよ。怨念じゃないから。

因縁とは物事が生じる原因。
その原因による人間同士の繋がり。

では、因果とは。
今、存在している物事は、過去に行った行為の結果。
つまり、ある原因により起きた結果との繋がり。
…と、言うことです。

そしてカルマ(業)。
インド哲学正統派、および異端派の一部(仏教など)の説では、善または悪の業を作ると、因果の道理によってそれ相応の楽または苦の報い(果報)が生じるとされる。
お釈迦様は、私たちの運命は、カルマによって生み出されると教えられています。
これは、自分の行為によって自分の運命が作られるということです。

星1
いつもいつも怒って、怒鳴ってばかりいるオジサンがいました。
私の勤務時代からの行きつけの店でした。
病棟会議で遅くなった時、疲れた帰り道の夕飯調達先でした。
1年間の修行中、お大師さんのご縁日の智恵の団子を毎月届けていた場所でもありましたが、
お客さんとのトラブルは日常茶飯事、かかって来るセールスの電話にも「馬鹿野郎むかっ(怒り)exclamation ×22度とかけてくんなexclamation ×2」ガッチャンexclamation ×2exclamation ×2も、何回も聞きました。
そんなことでお客さんはあまり見かけませんでした。
閑散として、電気だけがついている日も多々ありました。
なんとか、穏やかになってもらえたら。
笑えば、とても嬉しいのにな。…と、思っていました。

あるとき、小雨が降りだした春の夕方、
大きなスーパーのビニール袋にたくさんのサニーレタスを貰いました。
お向かいの団地のお爺ちゃんが育てた野菜です。
しかし私は明日、明後日と、仏様偲事のために不在になります。
新鮮なうちに食べてもらうなら食堂だろうと、その親父さんの食堂へ走りました。
硝子ドアの向こうから一言、野菜を見るなり
「こぉ〜んなものexclamation ×2持ってきやがって馬鹿野郎むかっ(怒り)exclamation ×2
何がいけなかったか?と、慌てて野菜を置いて逃げるように帰りました。
…お爺ちゃんが手塩にかけたサニーレタスに“こんなもの”と、馬鹿野郎と言われました。
料理への使い道はあったかと思います。
この店にはもぅ行くまいと思いました。
食べ物を、命を扱う店にはあるまじき言葉です。
その日から何のためか、○○食堂は今でもずっと、お休みのままです。

もぅひとりは、人様が一生懸命編集した週刊誌を“ゴミ”呼ばわりした女性でした。
本を作る人間なら、たとえ週刊誌だろうと、ゴミはないと思います。

その人の所へも行かなくなりました。
店の前を通るたび、
その人の家の前をチャリで通るたび、
“あぁ、今日はお出掛けなのね?”
“おっ?新しい野菜苗植えたのね?”
“今日も休みなんだね。元気かな。”
と、
通り過ぎます。
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