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2023年07月16日07:25

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「日本人の忘れ物」

 入院中に読んだ本の一つに松岡洋右著の「興亜の大業」があります。ご存知のように戦前の日本の外務大臣で、国際連盟を脱退したことで知られる方ですが、13歳で渡米し苦学してオレゴン州立大学を卒業し、帰国後外務省に入省、昭和16年に「南満州鉄道入社を目指す青年たちに語った内容を本にしたもの」です。ここに、戦前までは日本に凛として存在していた「大業をなす姿勢」が今ではほとんど失われてしまい「後だしじゃんけん」の浮き草家業の国になり果てた今日の日本人に、今一度「日本精神」の核の部分を思い出していただきたくて、ほんの一部を引用しながら、ご紹介させていただきたいと思います。

(引用開始)
日露戦争が始まって、皇軍はやっと鴨緑江を超えて安東県の地を踏んだばかりの時である。その時を置いて当時の参謀次長児玉大将は、早くも戦争に勝って、ある地点まで東清鉄道を占領し、ついにわが国に帰したならばまた帰せしめなければならないが、その暁にはこの鉄道を根幹としていかなることをしなければならぬか、かつ一度日露戦争に勝っても、必ずロシアは復讐戦を何時かは行うであろう。それに対していかなることをして、これを防がねばならぬか、防げない場合は、いかにして第二の日露戦争に打ち勝つべき準備をしなければならぬかということをお考えになったのである。

 我々常人の到底夢想もできないところである。まだ鴨緑江を渡ったばかりで勝つか負けるかさえ分からない、これは日本人が勝つと決め込んでいたろうか、冷静に勝つか負けるか、どこまで行けるかわからない、その時すでに児玉大将は、今申したような点について思いをめぐらされたのであった。而して大将の通訳管として従いておった上田恭輔という人に向かってーーここでちょっと説明しておきたいが、この上田恭輔という人は私の若い時からの友達で、一緒に役人をしたこともあり、また満鉄のおいても長く秘書役をしていた人で、なかなかのもの知りであるーーそれを台湾総督時代から児玉閣下は連れておいでになったのである。

 この人に向かって、ある日大将が「お前は東インド会社のことをしっちょるか」と尋ねられた。そうすると物識りの上田君のことだから「それは誰でも知っております」と答えた。「そうか、そんならばあの会社の骨組みを書いておいてくれ」と言われた。上田君は、戦争が始まったばかりの時に、何を児玉大将は考えておられるのかと訝りながら、命令であるからそれを陣中で書いておいたということである。これは私が上田君から直接聞いた話であるから間違いない。

(引用終わり)

 こうして日露戦争は始まったのですが、結果として「南満州鉄道」をロシアから譲渡されることになるのです。ところがその鉄道だけを貰っても何の利益にもならない。単にロシアが満州に得ていた利権に一部に過ぎず、その周辺の産業を起こさなければ輸送量は増えないどころか、頻繁に破壊工作を起こされて列車が止まる。とても「東清鉄道」はペイしない。そこで桂太郎や井上馨などの政府重鎮はこれを早く手放したくて、来日中だったアメリカのグレート・ノーザン鉄道のオーナー、ハリマン氏に譲渡する覚書を渡した。ところがポーツマス条約で交渉にあたった小村寿太郎全権大使が帰国したら、折角の「日ロ戦争の戦利品がいつの間にかアメリカに譲渡されていたという話でドタキャンされたということがずっと尾を引き、日米戦争の火種になったという話につながります。

 一方、まじめに「東清鉄道」を引き継ぎ、「東インド会社」を下敷きにした「満鉄」は満州事変を経て殖産興業にまい進し、一方で国防と治安体制を万全にすることが出来たというわけです。よく将棋や囲碁の世界で「3手先を読む」などと言いますが、先人たちは「道を誤らない」ために常に必死で戦ってきた。それが戦後アメリカの占領下で「箸の上げ下ろし」まで介入されて、今アメリカのポチの状態を77年も続けている。そのアメリカがウオール街の支配されガタガタにされてその付けが全部日本にかぶせられてきています。三手先どころか一手先も見ていません。

 強いアメリカなら頼りにするのもよいでしょう。腐ったアメリカについていくのは正気の沙汰ではありません。目の見えないミミズのような日本。そろそろ目覚めるべき時ではないかと思います。
 
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