最近、街中で「150年」を見掛けます。
1873年(明治6年)に当時の栃木県と宇都宮県が合併し、
ほぼ現在と同じ県域の栃木県が成立した事から、今年が150年になる訳です。
栃木県では、1985年(昭和60年)に6月15日を
条例で「県民の日」として定めています。
しかし、6月15日は休日にはなっていません。
そのため、県では明日記念式典やイベントを行うとの事です。
今朝の下野新聞に、150年の間の人口の推移が載っていて
面白かったので、抜き書きしておきます。
1873年には、県人口は43万6921人でした。
それから緩やかに増加し、1911年には100万人に到達しました。
その後、スペイン風邪の流行などで一時は減少したが、
1940年には120万人を超えました。
太平洋戦争が本格化すると疎開によって人口は急増し、
1945年の終戦後には150万人超になり、
1940年と比べた人口の伸び率の28・2%は全国一だったとの事です。
疎開から焼け野原の東京に帰らず県内に残った人も多いようです。
1950年代は大工業地帯への労働力の流出などによって人口減に転じましたが、
1960年代に入ると所得倍増計画を背景に県内への企業誘致も進み、
再び増加傾向となり1965年に150万人を突破、その後も増え続けました。
1982年の東北新幹線の開業も弾みを付け、
県誕生から124年目となる1997年9月、200万人に到達しました。
47都道府県で20番目でしたが、これ以降200万人を超えた県はなく、
最後の到達県になったとの事です。
2005年12月に、201万7664人となりましたがこれがピークでした。
その後、人口は減少し、今年に入って35年ぶりに190万人を下回り、
直近では189万7770人となりました。
県内の女性1人が生涯に産む見込みの子どもの数を示す「合計特殊出生率」は
2022年に1.24まで低下して、過去最低を更新し、
近県を上回る速度で少子化が進んでいるとの事です。
下野新聞の記事は、
「加速化する人口減にブレーキをかけ、地域の活力を維持していけるか。
本県の将来を占う重要な局面に入っている。」と結んでいます。
岸田総理は異次元の少子化対策と言っています。
現行の社会保障などの制度を維持するために
少しでも減少幅を喰いとめようとしている訳ですが、
どんなに税金を注ぎ込んでも、少子化は防げないような気がします。
社会の活性化のためには人口の増加が必要だとの発想を抜け出し、
人口の減少を前提とした社会作りを考えた方が良いと思います。
明日は所用により、日記等を休ませて頂きますので、
お含みおき下さい。
【今日の一句】
ファッションで 胡麻化されたが 今の悔い
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