僕のようなゴミクズ人間から見たら、うらやましい限りなんだけど、ギフテッドにはギフテッドなりの生きづらさがあるんですかね?
とは言え、記事にあるギフテッドの悩みって、僕が子供の頃に感じていた生きづらさにも通じるところがあるような気がします。
僕はギフテッドとは真逆の子供でした。
学校に行っても先生の言ってることが全然わからないので全然おもしろくないから、学校に行きたくなくて仕方なかったです。
大人は無責任に「やればできる」なんて言ってたけど、わからないものはやってもわかるようにはなりませんでした。
言うなれば、逆ギフテッドとでも言う存在だったのでしょう。
小学生でも高校で習うことまで理解できる人もいれば、僕のように高校生になっても中学1年で習ったことが全然理解できない人もいるんだと思います。
全員同い年だからと同じレベルの教育を受けさせるのが正しいのか間違ってるのかはわかりません。
ギフテッドに飛び級を認め、僕のような逆ギフテッドの留年を制度として認めるのが正しいのか。
殆どの人はギフテッドでも逆ギフテッドでもないので、ギフテッドや逆ギフテッドが我慢するのが社会のためにいちばん効率的なのかも知れないとも思います。
けれど、大人になれば、ギフテッドや逆ギフテッドでなくても生きづらさを感じる場面はたくさんあると思うのです。
せめて子供の間はどんな理由であれ、生きづらさを感じずに過ごして欲しい。
そんな社会であって欲しい。
そんなことを思った在宅勤務の木曜日。
ちなみに、子供の頃、あんなに生きづらさを感じていた僕は、今ではあんまり生きづらさを感じずに生きています。
■小学4年で英検準1級に合格した「ギフテッド」少年の生きづらさ 「正直、学校は好きじゃない」と適応に苦しみ
(AERA dot. - 05月24日 16:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=7423278
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