時は経っても
心はとまったままのあなたがわたし、愛おしいよ
私の毎日あげてる旅記
最近はミクシィでの写真載せができないため、ツイッターへ載せてる
通常、文章と写真が連なっていれば、読む側もストレス、手間もなく読めて、写真見て、文章と写真の一体感を得られるわけですが、それを感じていただきにくいのが少々悔しい
そうは言っても
ツイッターは字数制限ありだからどうしても字数制限のないミクシィで文章は書くことになるし
ミクシィは写真が載せられないから(私の場合なぜかそうなってます)写真だけはツイッターへ載せなきゃならなくなる
こうなると「ツイッターとミクシィ」その両方を見ていただける友人と出逢わなきゃいけない
そのためには、私自身が光になって、相手や周りの方々にとって
「魅力ある人だな」
「信頼できる人だな」
「温かな心の人だな」
「人の心がわかる人だな」
という人間にならなきゃならない
そうしてはじめて「この人の書く日記なら読んでみたい」ってなっていただけるわけですから
自身が大事なんです
偉そうなことを書いたり、言ったりする前に自分なんです
「相手の想いをどれだけ理解しようとしてるのか」
自身の「心の幸せ」って
そこに扉があると信じます
自分の前を通りすぎようとしてる人へチラシを配っても、たいていはゴミ箱ゆきになることが多い
遠回りに思えちゃうかもしれないけど
一旦、心の腰をドッカと下ろして「相手の世界に親しんでみる」
相手の気持ちは十人十色
相手の気持ちは千差万別
その人に応じて
さまざまな体の事情がある
さまざまな生い立ちがある
さまざまな立場がある
さまざまな生活背景がある
さまざまな経験がある
さまざまな心がある
だから、縁する人、出逢う人はすべてが私の教師です
あなたもね
私が現地に足を運ぶひとつの理由は「SNSでは決して出逢うことのできないすてきな心の人」に逢うためでもあります
SNSを見てると、SNSで発信された人や情報しか見られないけれど、それ以外にも、大切ないのち、学ぶいのち、たたかってるいのちは必ずいます
私は、そんなあなたに出逢いたいのです
世間的には「口べた」「不器用」「引きこもり」「理解されにくい」「目につきにくい」そんな存在かもしれない、私は、そんなあなたにこそ出逢いたい
そのために、私はこれからも歩き旅を続ける
あの日からどんだけ経ったかということより
「あの時で心の時計がとまってる」あなたにハグしたいから
生きててくれてありがとう
生きていてね
大好きなあなたへ
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