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2023年03月09日14:42

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【1998年10月】創立記念日の青森旅行

四日市の化学会社の研究所から関西学研都市の地球に優しいエネルギー源を探索する研究所に出向して半年が経ちました。GWには九州一周のドライブ旅行、海の日を含む連休と盆休みには北海道を旅し、9月上旬には東京で大学の化学専攻の同学年の同窓会に出席、 9月中旬には松山で日本化学会、触媒学会、分子構造討論会と三つの学会が同時開催されたのに全て参加し、出向元の会社の仲間に再会して飲んだりしました。10月1日(木)は出向元の会社の創立記念日ですが、出向先の職場には休日が適用されないのを理解していませんでした。同じ会社からバイオテクノロジーのラボの主任研究員として出向している人に休日のことを聞いて呆れられました。出向者の人事上や経理上の扱いを分かっていいなかったのです。松山での学会の出張が土曜日に掛かっていたので2日(金)を代休とし出向元の休日を勝手に適用した1日と繋げて四連休としました。産官学連携の研究所の勤務管理は緩かったので、休暇の内容について指摘されることはありませんでした。

10月1日からの四連休に青森へ旅に出かけました。当時、関西から電車で行くには、東海道新幹線と東北新幹線を乗り継いだ後、更に盛岡から特急に2時間乗らないと辿り着きません。大和西大寺の近鉄百貨店のJTBで伊丹空港と青森空港の往復の航空券を購入したのは一週間前の9月23日(水)でした。出発日まで職場のデスクのパソコン(デスクトップ型のMac、ブラウザはNetscape)でYahooの天気予報を毎日確認しましたが、好天は期待できません。10月1日(木)は朝5時に起床して、8:30発のJAS機に余裕で間に合いました。窓際の席ですが、離陸間もなく下界がすっかり雲に覆われ、雲の上に出ると青空が眩しいくらいでした。青森空港には10分くらい遅れての到着です。空からの写真を3枚撮影してあったのは、おそらく飛行機が降下する途上で、一面に広がる田んぼ、住宅地の赤と青の瓦屋根、緩いカーブを描いた車道という典型的な北国の農村風景を映しとっています。

雨が止まない中、バスで青森駅へ向かいます。駅前の市場はリンゴや海産物が山積み状態です。地元の商売人さんの威勢の良い声は、津軽弁で全く判りません。店にクレームを言っている言葉も聞き取れません。昼食は少し歩いたところの寿司屋にて、生ビールと「じょっぱり」、上寿司の他、ホヤ、ナマコの握りを追加して8000円を超えました。ホヤに全くクセがなく、久しぶりに食べる味に満足しました。板前さんの一人はお客さんと親し気に会話を交わし、出張で来たらしい人と明治維新ころの長州と会津の仲の話題で盛り上がっています。

13時10分発の八甲田方面のバスに乗車しました。紅葉の盛りはまだ先のようで、バスの車窓から少し色づいた木々の葉が見える程度です。9日後の体育の日が土曜日に重なって三連休にならなかったのですが、旅行を一週間遅らせたら紅葉のピークを迎えたかもしれないと少し後悔しました。蔦温泉で降りて雨の中、沼巡りの散策を一時間くらい行いました。散策者は他になく、ビショビショの道を歩いてずぶ濡れです。蔦沼の趣は悪くないけれど、すっかり濡れた靴の中で水が踊ってグシュグシュと嫌な音を立てています。写真を5枚撮影していますが記憶がありません。温泉に入るのは5年ぶりです。他のお客さんがほとんど到着していないので、木の浴槽の下から沸きだしている熱めのお湯で体がすっかり温まってのぼせそうでした。

おいらせユースホステルに到着したときは、すっかり暗くなっていました。5年ぶり二度目の宿泊です。夕食は洋風で青森の郷土料理のようなものは一切出ませんが、ボリュームがあり、特に白米のご飯の味が美味しかったです。ホステラーは5人、向井千秋さん(宇宙飛行士)みたいな元気な女性(大阪の堺出身で沖縄在住、日記には似ている人として社内の男性に間違われる女性社員の名前を記しています)、難聴がある若くて少しポッチャリした大人しめの女の子、チャリダー(自転車旅行)の男が二人(一人は夏休みから旅を続けている学生)です。それに色が黒くて健康的なアキちゃんと呼ばれているヘルパーの女の子(広島出身)も手の空いた時に話に加わりました。

常連の「向井千秋さん」の運転する車(ユースの大型のバン)で蔦温泉に出かけました。大雨で蔦川の水かさが増して今にも道路が冠水しそうです。夜の濁流の眺めにも凄味があります。同じ日に二回目に入る温泉も心地良いのですが、ゆっくり浸かっているとのぼせてきます。すっかり温まって男三人で浴槽の外側に座って話が長くなりました。自転車旅行の二人はツーリング中の食料の調達方法について話し込み(バナナが良いが日持ちしないとか、キャンプ場で野菜の残り物を貰って調理するなど)、女性二人を5分間ほど余計に待たせてしまいました。

翌10月2日(金)も雨が降り止まないので、八甲田大岳に登るのは諦めて、ロープウェイで登り、山頂駅から酸ヶ湯温泉へ降りる五年前と同じコースに変更しました。バスに乗って車窓から見る蔦川の水は茶色に濁って泡立っていました。前回は三連休の最終日でロープウェイの待ち時間が1時間もあったのですが、今回は平日の上、悪天だったせいか空いていてロープウェイは若くて太ったガイドの女性と二人きりになりました。マニュアル通りのマイクを通した観光案内を聞かされるのは居心地の悪い気分にさせられますが、お客さんが多い時に備えて相手の顔を見ずに機械的にこなす練習をしていると思えば、無視するのも心苦しさを感じないで済みます。

山頂駅のレストハウスにあるレストランで「ジンギスカン定食」を昼食としました。一人焼肉となりますが、味も量も満足です。思わぬところで御馳走にありつきました。雨は小雨、霧雨と変わりました。ユースで同宿だった難聴の女の子に展望台で会いました。多少聞き取りにくい口調で「何も見えないね」と残念そうにつぶやきます。展望台から見渡せるはずの景色は霧でまったく見えません。本格的な登山を断念したのは正解です。「八甲田ゴードライン」の散策は二度目ですが、悪天と見頃には早いこともあり遊歩道での景色は今一つでした。ロープウェイの観光客は遊歩道を一周して山頂駅に戻って下山するのが定番ですが、5年前と同様に酸ヶ湯温泉まで木道で降りていくコースを選びました。地名では田茂萢(たもやち)湿原から毛無岱(けなしたい)湿原への移動です。山頂周辺の遊歩道よりも、下山途中の湿地帯の風景の方が魅力に富んでいます。すっかり黄色くなった草原、常緑の灌木に赤や黄色に色づき始めた低木が混じっています。一週間早かったという後悔の気持ちも消えて、ゆっくりと北国の秋を味わう満足感が心に沁みわたります。少し霧が晴れかけて八甲田連山の姿がうっすらと浮かび上がった瞬間もあります。湿地帯の植生の魅力が次々に出現して、北海道に劣らないスケールを感じます。雨で道の状態が悪く、木道もあちこちで水没して、水たまりを避けたり、沢の流れの中を突っ切ったりで靴の中がビショビショになるのは二日連続です。

酸ヶ湯温泉に辿り着いたのは15時半で3時間近い散策の後でした。酸ヶ湯温泉は平日のうえ悪天なので空いていて、湿気が少なめだったのか浴場の視界も悪くありません。1000人入れる混浴ですが、胸を隠さずに入浴している女性は50〜60代と思しきオバちゃんばかりです。あとは20〜30代の体型の名残を留めた40代女性がいるくらいです。夫婦で入ってきたお客さんは、形ばかりの男女の浴場の仕切りを挟んで語り合っています。

おいらせユースに帰館したのは前日と同じ6時前です。「向井千秋さん」とアキちゃんは午後1時半頃に酸ヶ湯温泉に入ってきたそうです。眼鏡を掛けて入浴しているエロオヤジがいたとのことです。3時間早く下山していたら、浴場で会えたのにと言ったら、そうなったら今頃は口を聞いてやらないよと言われました。この日の夜も蔦温泉へ行って、ゆっくりと温まりました。レンタカーで青森旅行中の関西人女性のホステラー二人組も蔦温泉ツアーに同行しました。

翌10月3日(土)は天気が回復して晴天です。9時頃から奥入瀬渓流を石ヶ戸から十和田湖まで遡る9kmの散策を予定通り実行しました。前日までの悪天で濁流となった奥入瀬を見るのも良かろうと思ったのですが、渓谷の入り口での奥入瀬川の水の濁りはそれほどでもなく、遡るにつれて透明度を増して申し分のない美しい色を保っていました。それだけでなく数日間降り続いた雨で増水して、しぶきを上げる急流や滝の迫力がスケールアップしています。特に十和田湖の2km手前の銚子大滝の水量は圧倒的です。今回も渓流の写真を次々に撮影して、36枚撮りのフィルムの残りが十和田湖を前にして数枚になってしまいました。十和田湖の澄み切った深いブルーも格別です。子ノ口から二つの岬の周囲を回って休屋に到着する遊覧船の船室では、スリムでスタイルが良く色の白い細面の美人(典型的な秋田美人?)が十和田湖の見どころの観光案内のマイクを取っていましたが、締めに歌った地元の民謡が一フレーズごとに転調(?)する酷い音痴だったのがご愛敬です。

弘前行のバスは日曜日のみの運行、十和田南駅へのバスまで2時間あったので十和田湖畔で時間を潰しました。ヒメマスの塩焼きを昼食とした後、乙女の像まで湖畔を往復しました。所持金が数千円しかないことに気づきましたが、十和田湖畔の土産物屋街にATMは見つけられません。十和田南から普通列車を乗り継いで弘前駅に到着したのは18時半でしたが、銀行のATMを使える時間は過ぎています。ひろさきユースホステルの宿泊料の支払いは明日に回しました。夕食はファミレスのハンバーグランチで済ませました。5度目の宿泊のユースホステルで駅から徒歩30分以内ですが、暗い中で油断して道に迷い、道を教えてくれる親切な人がいて8時過ぎに辿りつきました。

ホステラーは他に2名くらいしか宿泊していません。テレビのクイズ番組を見ながら静かに過ごしています。YHの風呂は家庭用で窮屈なのを知っていたので、3年前の宿泊で紹介された銭湯「天恵の湯」へ行きました(所持金は2千円でしたが入浴料ならお釣が来ます)。奈良の自宅から週末に車で出かけているスーパー銭湯「極楽湯」に比べると古びて汚れていて、浴槽の種類も少なく、サウナは狭くて満員で空く気配がありません。弘前城も近いこの近辺の夜はキャバレーのネオンも煌めき、あやしい店も多くてなかなかの賑わいを見せて、津軽弁も盛んに耳に飛び込んできます。ひろさきユースの猫は、9年前に初めて宿泊した時にいた薄汚れた黒白の「モトキ」が死んで、代わりに生後6カ月の「ヒナコ」という茶色の混じった灰色の猫がいて遊び盛りでした。

翌10月4日(日)は弘前市の繁華街の銀行のATMが開く9時を待ち、ユースの宿泊代をペアレントさんのお母さんと思しきお婆さんに手渡した後、9時20分に出発しました。弘前駅まで歩いたら10時5分の五能線には乗り遅れ、列車の時刻を確かめずに出発したことを後悔しました。次の列車は一時間後なので、五能線沿いに一面に広がる収穫最盛期のリンゴ畑を眺めることは断念して、弘南鉄道で弘前の北東の黒石へ向かいました。黒石駅からバスに乗ってリンゴ試験場を訪れ、20分程見学しました。収穫期を迎えているリンゴ、収穫期を目前にしたリンゴなど様々なステージを眺められ、黒いシールを貼って赤い地肌に「寿」の文字が浮き出るようにしたリンゴも収穫を待っています。青森のリンゴ園を眺めたいという目的は達しましたが、試験場の景色はどこか人工的です。五能線の林崎駅周辺の花畑と見紛うほどにリンゴで埋め尽くされた風景こそ、青森の自然と人の象徴として再会したかったので、今回の旅は画竜点睛を欠いて心残りでした。帰路は黒石駅まで歩いたら、弘南鉄道の列車が出たばかりだったのタクシーで3500円も費やして弘前駅へ向かいました。当初の目的地の林崎駅付近こそ、タクシーで向かうべき場所でした。

バスで青森空港に到着したのは14時5分です。遅い昼食は3500円のうに・いくら丼です。ウニが美味しかったので、まあまあの味と言う印象ですが、釧路の和商市場の「勝手丼」なら半額でもっと上のレベルの食事にありついたと思います。帰りの飛行機では天候が回復したので、青森の農村風景に続いて、海岸線、工業地帯のタンクの群れを見下ろすことができ、着陸の直前には堀に囲まれた大阪城も眺められました。

職場に買ったお土産の「りんごパイ」は肝心のリンゴの量が少なく、着任以来半年間の過去4回の旅行(九州のドライブ、二回の北海道旅行、松山出張)と比較して大ハズレでした。関西学研都市の三年間の勤務中、東北旅行のリピートは二年後のことですが、体調を崩して花巻空港から逃げるように帰っています。関西在住者には東北は北海道より遠く感じられます。関東に出戻ってから、自分の西日本指向の自覚が強まりました。東北旅行の帰着場所は上野駅であり、東北へ帰る人と東北から帰ってきた人が交差する上野駅で東北の余韻を噛み締めるのが定番となりました。

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