今まで日本は「攻撃できない」という一線で平和を確保してきました。それは”他国”が日本を(かろうじて)信用する大切なパスポートでもあったはずですす。しかし,そのパスポートを放棄して状況は一転しました。
「やつら(日本)が攻撃してくるかもしれない」
”他国”からそう思われ,そのように対処されることを自覚しなければなりません。
”他国”を攻撃できるようになったということは,日本からの脅威がより大きくなったということ以外の何ものでもありません。そのように戦闘モードを高めたらどうなるかは繰り返し歴史が語っているだけでなく,現在進行中のウクライナ戦争を見れば明らかです。
アメリカの援助で軍備を増強して自国を守ろうとしたウクライナはロシアに限界を超える緊張を与えてしまいました。結果,窮鼠猫を噛む如くロシアはウクライナに侵攻しました。これはアメリカの援助を仰ぐ日本の状況とほとんど相似形です。
「日本(アメリカ)の軍事侵攻に対抗しなければならない」
”他国”の心情と政策の針がそちらの方向に触れるのは間違いありません。そのあとは,”他国”がロシアのように緊張の糸を切って一発打ち込んでくるか,逆に日本(アメリカ)が「攻撃されそうだ」と怯えて一発打ち込むか,そのどちらかです。どちらが先かなんて詮索は無意味です。かつてのどの戦争も「相手が先だった」以外の主張はありません。
中村文則さんのコラム(本日の朝日新聞)のように,「先にやられた」で戦争は簡単に始まります。
■ミサイル対応、迎撃から反撃へ=中朝の軍事強化に対抗―安保3文書改定
(時事通信社 - 12月17日 08:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=7228429
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