昨日の読書ノート『日本はなぜ戦争へと向かったのか』の拾遺
「”世論”なんてない」とフランスの社会学者は言います。確かにそうかもしれません。マスコミが,政府が,あるいは表に出ない何者かが企図しているような気もします。
輿論(パブリック・オピニオン)と世論(ポピュラー・センチメンツ)の対比も,おもしろい。
<以下引用>
P63
(前略)もちろん,今日から見れば,国際連盟に踏みとどまることが大局の判断としては正しかったわけですし,実際に「満蒙は日本の生命線にあらず」と主張した石橋湛山のような知識人もいたわけです。しかし,そういった主張ーー私はそれを理性的な「輿論(よろん)」と言いますがーーは,まさに空気のような感性的な「世論(せろん)」の前では少数でしかなかったということではないでしょうか。
今日ではテレビのアナウンサーは「よろんちょうさ」と発音しますが,私はあえて「せろんちょうさ」と言い続けています。輿論(パブリック・オピニオン)と世論(ポピュラー・センチメンツ)がそもそも別物だったからであり,世論調査の大半が「意見」ではなく,「空気」の調査に過ぎないからです。
P71
ピエール・ブルデューというフランスの社会学者は,「世論なんてない」という論文で,そもそも世論調査の「世論」には実態がない,ということを言っています。ブルデューは,そこで示された「世論」とはそれがあることで得をする人のために作られたものだという言い方をします。確かに,実際の世論調査の多くでは,事前の見込み,私たちが「空気」としてある程度予想できる結果しか出てきません。それでもなぜ調査が行われるかごいうと,その数字を欲しがる人がいるからだということになります。
<以上引用>
日差しが出てくれば暖かい。池の子メダカは並んで日向ぼっこです。畑のイチョウはやっと半分ほど黄色くなりました。
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