mixiユーザー(id:38875598)

2022年11月03日20:34

273 view

無始よりこのかた、六根内に盲くして。(常楽我浄と四転倒)

大川隆法さんの本を読んであれあれあれ?と、思ったのは、あまりに私が無知で、まだまだ勉強足りないのもありますが、
常楽我浄には二通りの見方があったんだね🤔。
その考えをひっくり返して見るのが“四転倒”“四念処”
身念処は、身体を観察して不浄と観ます。
受念処は、感覚器官を観察して
苦しみと観ます。
心念処は、心を観察して無常を観ます。
法念処は、現象を観察して無我を観ます。
常は無常。楽は苦。我は無我。浄は不浄。と観ます。
…で、
一切皆苦、諸行無常、諸法無我、が、三法印。
それはそれで正しいのだと思っていた自分。

しかし、いつもあげる“延命十句観音経”の意訳を見ると、あれあれあれ?と、なるのですね。

大乗仏教では“大般涅槃経”、法華経にも意訳は涅槃の四つの徳(仏様の教え、仏様の弟子とつながっていることで、いつも苦しみがなく、なにものにもとらわれず汚れのないこと)として
素直なままで受け止めて書かれています。

どっちが正しいのだろう🤔…と、考えてみましたが、どちらも正しいのでしょうね。

そしてまた、各宗派なりの教えが別れていくと。
なかなか奥が深いほえー

…何が言いたい自分たらーっ(汗)
2 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する