県立博物館の「鑑真和上と下野薬師寺」を観て来た事は昨日書きました。
県立博物館では開館40周年の特別企画展として開催しています。
30周年の時は「足利尊氏」を取り上げ、
25周年の時は「慈覚大師円仁」を取り上げました。
いずれも多くの国宝など多数を展示する規模の大きな展覧会を行って来ました。
鑑真和上は御存知の通り、日本に仏教の僧侶に戒律を授けるため、
753年(天平勝宝5年)に、唐から日本に来た高僧です。
奈良の東大寺に戒壇院を設け、そこで戒律を授けます。
戒壇院は、その後九州の大宰府の観世音寺と、
現在の栃木県の下野薬師寺に設置され、三戒壇と呼ばれて来ました。
鑑真和上が下野まで来たとの言い伝えもあるそうですが、
それはあり得ない話だと思います。
しかし、鑑真の高弟で「持戒第一弟子」とされた道忠が下野薬師寺に来ていますし、
鑑真に従って日本に来た如宝と言う僧も来たようです。
下野薬師寺の創建については、明らかではありません。
大宝律令の編纂にあたった
下毛野古麻呂が氏寺として創建したとの説がありますが、
今回の展覧会では、古麻呂については、余り展示されていませんでした。
下野薬師寺と言えば、道鏡が配流された寺としても有名です。
女帝の孝謙天皇の寵愛を受け、天皇の地位をも得ようとしますが、
孝謙天皇の没後に失脚します。
栃木県内には、道鏡にまつわる伝説が幾つかあり、
下野市には、孝謙天皇神社もあります。
下記をご参照下さい。
http://tennnennkozimitearu.seesaa.net/article/a64499450.html
下野薬師寺は、仏教の戒律が軽んじられるようになると、衰微します。
その後、足利尊氏が安国寺を各国に設けるよう命じると、
下野薬師寺は安国寺と改称します。
足利尊氏関係の資料も展示されていましたが、
尊氏が描いた地蔵菩薩像を県立博物館が所蔵しているのには驚きました。
なお、2018年平成の大修理を経て、
「安国寺」の名前をもともとの寺名「薬師寺(通称・下野薬師寺)」に改称しました。
今回国宝で出展された仏像は、唐招提寺の薬師如来立像など3点で、
他に、国宝の「元暦校本 万葉集 巻二十(古河本)」、延喜式なども出ていましたが、
少し地味な感じがしました。
展示物も文書が多かったのですが、
テーマから仕方ないのかも知れないと思いました。
10年後の50周年では何を取り上げるのでしょうか?
僕は、それまで生きていて観に行けるでしょうか?
なお、明日と明後日の2日間、
所用により日記など休ませて頂きますのでお含み置き下さい。
【今日の一句】
ならないか ならしてみせるぞ かね三つ
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