mixiユーザー(id:57818185)

2022年10月24日14:01

32 view

苫米地英人(とまべち・ひでと)「数学嫌いの人のためのすべてを可能にする数学脳のつくりかた

苫米地英人(とまべち・ひでと)「数学嫌いの人のためのすべてを可能にする数学脳のつくりかた

第3章 幸福を数量化する経済学と数学幸せの基準とはなにか。
幸福感は質ではなく変化。
人間は、いまいくら持っているか、ではなく、いくら減ったか、いくら増えたか、で幸福感が決まるのである。

人間は利益より損失を恐れる

曖昧な判断が正しい123pg
 人工知能についての考察人工知能を考えることで、数学思考とはなにかが、より明確にみえてくるだろう。人工知能の研究とは取りも直さず、人間の頭脳を研究するものだ。人間とはいったいどのようにして思考するのか。脳とはなにか、思考とはなにかをしらべていくうちにわかってきたことは、情動に対する再認識であった。 ともすれば我々人間は、論理的に考えることを良しとする傾向にある。しかし、我々は思考について研究すればするほど「情動」の凄さに驚かされることになったのだ。
 「情動」とは、言い換えれば感情であり、感情とはその場、その場でかわってしまう曖昧で捉えどころのない刹那的な感覚だ。人工知能は、こういったものを排除することで、正確さが確保できると、多くの人は思っているだろう。
 ところが、実際はその逆なのだ。曖昧さこそが重要だったのである。例えば、道に迷ったとき、十字路を右にいくのか、左にいくのか、それともまっすぐ行くべきなのか、どれが正解なのか、論理的に考えていては絶対に答えは出ない。こういう時に、一番役に立つのは勘しかない。もちろん、「右のほうが街並みが明るいから、駅にいくなら右だ」など論理っぽい思考で選択することもしているだろうが、それが当たっているかどうかは、先に進んでみなければわからない。どこまでいっても勘なのだ。
 人間は先がわからなくても、運任せで平気で行動するのである。もっともよく考えてみれば、人生などはそんな選択肢ばかりだ。逆に事実の積み重ねをしていたは答えをだすことはできない。人工知能の研究には、この人間の曖昧さを理解しなければならないのである。
 人間は曖昧な生活の中で判断を下すことができる。裏を返せば、現実の世界は情報不足、ということになる。
 実際、道にまよったということは目的地に対する情報が不足しているからだ。人間は補うために限定合理的な推論を使う。ヒューリスティックスといい、情動的な思考、情報空間における自由きままな発想を行っているから判断できるのである。この情報空間における自由気ままな発想こそが数学的思考である。

では、人工知能が曖昧な判断ができない原因はどこにあるのだろうか。情報不足だから起きているのだろうか。実は違う。人工知能が曖昧な判断ができないのは情報不足ではなく、逆に情報過多が原因なのだ。人工知能と人間は同じ景色であっても見ているものが違うのだ。人間が情報不足に陥るのは、必要な情報がそろっていないことによる。ところが人工知能は必要な情報以前に不必要な情報に振り回されて判断ができなくなっている。この見ている景色の違いこそが重要なのである。
 人工知能が見ている景色はあくまで論理的世界であり、事実の積み重ねだ。センサーをつかって収拾した情報を検討しているのだから当然といえば、当然だろう。人工知能は物理空間にいるのである。
 しかし、人間の思考は違う。一瞬で「右」などと決められるのは人の思考が物理空間ではなく、情報空間にあるからだ。情報空間にあるからこそ、しばしば余計なものを切り捨て、時折不合理なものも挟み込みながら判断していけるのだ。もちろん、その判断が正解かどうかはわからないが、まがりなりにも解を導くことができるのだ。
人間の思考は情報空間にあって現実の世界、つまり自然界にはない。



0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する