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2022年10月17日23:39

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緊美研の思い出(2初参加のころ)

ということで、思い立って、古い資料などを押し入れから発掘しているところです。
緊美研通信や手紙、メモ類などが出てきました。
(訳あって、撮影写真や購入ビデオのほとんどは失われてしまいましたが、そのことはまた別の機会に書きたいと思います。)

緊美研の例会の中身の話の前に、その前段のことから始めてみます。
1990年ごろといえば、まだインターネットも携帯電話もデジカメもなかった時代で、SM雑誌とその広告だけが情報源、そして家の電話から申し込み、フィルムカメラで撮影して、それをどこのカメラ屋で現像してもらおうか悩む、そんな時代でした。

問い合わせの手紙も手書きで、その返事も手書きでしたね。上の写真は、緊美研ビデオを購入したときに例会参加について尋ねたお返事のようです。
このとき1990年1月は参加しなかったと思います。
この「担当の者がご説明」というのは、実は濡木先生による「参加適否判定」という手続きだったのでした。

その後もビデオの購入は続き、緊美研通信の「不二企画へのおたより」に初めて私の投稿が掲載されたのが第6号(1991年2月1日号)でした。(この件も後述)
その時はまだ例会に参加したことはなかったようです。おそらくその後、1991年中(もしかしたら1992年に入っていたかも)に初めて例会に参加させていただきました。

かねて聞いていた通り、開催前日の土曜日に事務所に電話すると、濡木先生本人が電話に出てビックリ!!
そこで、緊美研の参加者としてふさわしいか確認をするというステップのようでしたが、私はそれまでのやり取りがあったので、「あなたはよくわかっている、問題ない。」というようなことを言っていただけたのを覚えています。

土曜日の電話、例会開催が日曜日ということで思い出すのは、世の中はまだ週休二日に移行しつつある時代で、学校も役所も多くの会社も土曜日は半日あったんですよね。だから80年代から例会は日曜日開催であったのかと改めて思います。手(パー)
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