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2022年10月11日12:15

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山川健次郎 人物

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人物
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少年期に白虎隊に入隊していたの時の経験を元に著した戊辰戦争を会津藩側の立場から見た『会津戊辰戦史』は死後の昭和7年(1932年)に出版された。この本は旧幕府軍側を「東軍」、新政府軍側を「西軍」と書いた初めての本であり、これ以後現代まで会津藩側の立場に立った歴史書や歴史小説では、旧幕府軍を「東軍」、新政府軍を「西軍」と書くことが多い。秩父宮妃勢津子の婚約のために奔走したのも健次郎であった。
会津藩に対する忠誠心は壮年期以降は「愛国心」に転じ、日露戦争の時にはすでに東大総長であったにも関わらず陸軍に「一兵卒として従軍させろ」と押し掛け、人事担当者を困惑させたという。国本社では副会長をつとめ、講演活動にも熱心であった。
物理学に精通したという立場からか極めて現実主義者であり、大正時代の千里眼事件で一番早くに疑念を唱えた。
「はじめてカレーライスを食べた日本人」と諸本[要出典]で紹介されていることが多い。実際にカレーライスを食した日本人一号が誰だったかはともかく、明治4年(1871年)に国費留学生としてアメリカに向かう船中でカレーライスを食べたという記述を回想録[10]に書き残している。しかし、カレーライスを選んだのはそれが唯一米を使った料理であったからで、米だけを食べてカレーはすべて残した。
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