今回は、ちょっと寄り道ニャ。
興味のある方だけ、どうぞニャ。
欧米で猫をイエスのメタファーと見る文化があるのを、ご存知かニャ。
Jesus cat で検索すると結構色々出てきますね。
メタファーとは、あるものの性質を丸ごと使って例える事ニャ。
古代エジプトで猫は、様々な形で最高神とされた太陽神ラーと結び付けられたよね。
聖書の神エロヒムのヘブライ語の綴りはアラーとも読めるが、コーランではアラーは唯一神とされるのニャ。
これ、偶然でしょうか。
ちなみにイスラム圏で猫は大事にされるが、ムハンマドが大のネコ好きだっだからだそうニャ。
それはさておき、聖書での犬に関する記述は芳しくないものが多いのにお気付きかニャ。
イエスのメタファーが猫なら、御父は親猫って事になりませんか。
そう思って読むと、なるほどねと妙に頷きそうになります。
口語訳聖書を使っている皆さんは知らないと思うけど、聖書教会から出ている共同訳や新共同訳には旧約聖書続編として「エレミヤの手紙」が収録されているニャ。
その中で猫は、「猫さえ」「猫まで」と記されますよね。
事態の及ぶ範囲がある限界にまで達することを表すのが、「さえ」や「まで」ニャ。
偶像崇拝の場に様々な動物が登場しますが…。
その最高位として猫が現れるのニャ。
旧約聖書続編扱いという事は、この文章の時点ではイエスはまだ明かされていないでしょう…。
「神の言葉としての」、つまり預言者としてのイエスのメタファーとなるのでニャ。
もちろん、このイエスの代理に成りすました猫は偽預言者となるが最高位の預言者の成りすましである点に注目ニャ。
黙示録には獣とありますが…。
その獣は、イエスに匹敵する大預言者に成りすましたとんでもない輩ニャ。
エレミヤの手紙に出てくる獣は皆、メタファーですか...。
黙示録の偶像崇拝の場面は、ひょっとしたらこんな光景なんでしょうか。
お暇な方や、興味のある方は、図書館やネットで「エレミヤの手紙」読んでみてニャ。
短いので、すぐ読めるニャ。
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