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2022年09月02日18:44

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📚️自動翻訳があっても英語を勉強する意味🌎️

※これは、前の日記「続 英単語をたくさん覚える方法」の続きです。



■自動翻訳があっても英語を勉強する意味■

クローバー

よく、「今の時代は自動翻訳の技術が発達しているから、もう英語を習得する必要はないんじゃないか?」と言われることがある。
確かに今、かなり自動翻訳は進んでる。昔よりずっと正確さが増してる。そうなったら英語を勉強したって意味ないんじゃないか?と思う人はいると思う。
でも、それでも自分は、どんなに自動翻訳の技術が発展しても、英語(というか外国語)の習得には、とても意味があると思う。その理由について。

クローバー

わーい(嬉しい顔)単に、言葉を知るのがおもしろいから。

これが一番大きな理由。

やっぱり語源を見たり、既に知っている言葉と同じ語源から来ている知らない言葉と出会ったときに、「あれと同じ語源?」みたいに思ったり、類義語を辿って意味がどんどんズレていくのを楽しんだりするのは、おもしろいから。

そうでなくとも、単に、言葉を1個覚えただけで、それはたぶん一生使えるものを1個得たということだから、何か買ったときみたいな気分。

だから、べつに自動翻訳とかは関係なく、単に面白いから覚えるみたいな感じ。

あと、言語について知ることは、人間について知ることだから。人間の思考の仕方とか、人間のコミュニケーションの取り方とか、人間的な知性について考えるとしたら、人間の使っている言葉について知らなくてはならないと思うから。人間みたいなやり方で言葉を使っているのって、少なくとも地球上では人間しかいないわけでしょ。他の生物も言語は使っているけど人間みたいな感じではないから。だから人間が使っている言葉について知るのが、人間の特徴を把握する上で、とても有効だと思うんだよね。というか人間について考えるには言葉について考えることが不可欠だと思うんだよね。

人間みたいな知性ってどこから来るのか、どんなふうに発生するのかっていうことに私はとても興味があって、それを知るためには言語について知る必要があると思うんだよね。だから、母国語である日本語と、あともう1つくらいの言語をある程度習得するのは、とても意味があると思うんだ。

どうしてかっていうと、いつか異星人と会ったときに、地球人がどのようなタイプの知性を持っているのかということを、お伝えできないといけないと思うから。そのためには、地球人の使っている言語については知っておかないといけないと思うんだ。

で、それは技術的な話と関係ない。べつにどれだけ技術が進歩しても、そのことと、外国語の習得が必要か不要かという話は、ぜんぜん関係ないと思う。たとえ自動翻訳が完璧になっても、だから外国語を学ぶ意味がなくなるということではない。学ぶ「必要」がなくなる状況はあり得たとしても、学ぶ「意味」がなくなるということはないよ。

言語をコミュニケーションのツールとしてだけ見るのであれば、もし自動翻訳で事足りるのであれば、「べつに自動翻訳で伝わるから外国語は勉強しなくていいわ」ということで、勉強する必要はないと考えることはできると思う。そういう意味なら、人によっては、べつに自動翻訳で十分なら、それはそれでいいと思う。私も英語以外はそうするだろうしね。

でもそのことと、言語それ自体について考えることは別だから、言語自体への興味から言語を勉強する意味はあり続けるということ。例えば現在は全く使われていない古語を勉強する人もいるわけだけど、それは、現在の人間とコミュニケーションを取るという意味では全然必要ないことだけれど、言語について理解するということの意味はあるわけだから。

クローバー

わーい(嬉しい顔)本人の声で、本人の言葉で、本人のセンスによる文で伝えられたほうがいいから。

誰でも人と話すとき、自動翻訳みたいに何かを介して間接的に話されるよりは、直接、その人の言葉で話されるほうがリアルに伝わると思う。たとえ言葉が稚拙だったり、ちょっと間違ったりしても、そのほうが直接自分の気持ちや考えが伝わると思うから。どうしても自分で伝えるのが無理なときだけ自動翻訳を使うというのはいいと思うのだけれど、最初から、自動翻訳技術があるから自分の言葉で話さなくていいとか自分の力で理解しなくていいということでもないと思う。
それでも、学習には時間がかかるから、それを削減して技術に頼るという方法を選ぶなら、それはそれでいいと思うけれど、できることなら自分の選んだ言葉で相手に伝え、自分も相手の言葉をそのままの言語で理解できたほうが更に良いとは思う。

クローバー

わーい(嬉しい顔)自動翻訳が合っているかどうかを判断できないから。

自分が英語を分からない状態だと、たとえ自動翻訳技術があっても、その自動翻訳が、自分が言いたいことを、そのままのニュアンスで伝えてくれているのかどうかが分からないから。また、自動翻訳が、人の言っていることや人の文章を正確に日本語に訳してくれているかどうかを判断できないから。

クローバー

わーい(嬉しい顔)言葉の翻訳ができても文化的背景は翻訳されないから。

外国の人とコミニュケーションを取るとき、単に言葉を訳せばそれだけでいつも意味が伝わるというわけではない。
あるいは、単に言葉をそのまま、ただ相手の国の言葉に訳して言うと、その国の人からしたら変な感じになる場合もある。

どこに行ったときか忘れてしまったのだけれど、昔、外国のイベント会場の入り口で、受付のスタッフの人から「よい一日を」と言われたことがあった。その人は、いろんな国の言葉で「よい一日を」を言えるようだった。私が日本人だと言ったら、「よい一日を」と言っていた。他のお客さんには他の言語でそう言っているようだった。たぶん、それは英語の「Have a nice day」をいろんな国の言葉に訳していたのだと思う。

英語圏だと「Have a nice day」はよく使うかもしれないけど、日本人の場合は、どこかお店や会場などに入るとき、あまり「よい一日を」とは言わないかと思う。べつに間違いではないけれど、日本の場合はそういうとき「行ってらっしゃいませ」とか「ごゆっくりどうぞ」などになるかと思う。でも直訳すると「よい一日を」なのだよね。

そんな感じで、言葉は正しく訳せたとしても、「その国では、そういう言い方自体をあまりしない」とか、同じ状況のときに言う言葉が違う、という場合もある。

そういうことに関しては、自動翻訳だと今のところそこまではフォローできない。

これはもちろん人間もそうで、言葉を覚えてただ直訳しただけでは相手の国の人には理解されないとか、変な言い回しになるということはあると思うけれど、相手の国の文化や常識などを知れば、そういうことは少なくしていける。

例えば、日本人は何かと周りに合わせる文化を持っているけど、そのことを知らない外国の人から、例えば「なんでマスクしてるの?」と聞かれたとする。そのとき「えっと、みんなしてるから」と答え、それをそのまま相手の国の言葉に訳したとする。でも相手の国に、そもそも「周りに合わせる」という文化がなかったら、意味が分からないということもあり得る。「なんで、みんなしてるから自分もするの?」という感じになってしまう。「みんな違っていて当たり前」という文化の中で暮らしていた人だったら、そう思ってもおかしくない。

そういう場合は、まず、「日本には、周りに合わせるという風潮があるんです」という説明をした上で、「だから、みんなしているから自分もするんです」と言わないと伝わらないかもしれない。

そういう文化的な背景を踏まえた上で相手の国の言葉に置き換えないと伝わらないこともある。それは言葉だけを自動翻訳できても、解消できない。だから今のところは、人間が自分で他国の文化や風潮を知って、それも含めて相手に伝わる訳し方をするとか、もし文化的背景の認識が足りていなくて伝わらなければ、そこを察して説明を補うなどが必要だと思う。

もし将来、それすらも全部やってくれる自動翻訳の技術ができたとして、何も考えなくても、自国の感覚で発言したことを、自動で相手の国の文化的背景を考慮した上で翻訳してくれるようになって、全然相手の国の文化や価値観などを知ろうとしなくても良くなったら、もうそれで完結するかもしれないけれど、それって、良いことなの?

だって、もしそうなったら、外国の人と接するとき、何も相手の持っている文化や常識を知ろうと思わなくても、互いに全然違う文化の人たちと、その違いに気づくこともなく、自動的に何の滞りもなくコミュニケーションが取れる状態になるということでしょ?それって変じゃない?

そうなったら、異国の人たち同士が互いを理解しようとする機会も失われていくように思うけど。

クローバー

わーい(嬉しい顔)その国の言葉を知ると、その国の文化が見えるから。

それから、これも言語を学ぶ大きな意義だと思うのだけれど、ある国の言葉を知ると、その国の文化やその民族の持っている感覚などが伝わってくるのだよね。

言語には、その言語を使っている人の性質とか、その国の気候とか風土とか、いろんなものが影響しているから。

だから言葉を知ることは、その言葉を使っている人たちを知ることに繋がるね。

例えば、今回、英単語を大量に振り返ってみると、「主張する」とか「訴える」というような言葉は、すごく多いと思う。それはたぶん、日本語より多いんじゃないかと思う。やっぱり、日本だと、もちろん外国の人もいるとしても少ないから、あまり互いにはっきり主張し合わなくても、なんとなく日本人同士の暗黙の了解などで世の中が成り立つところがあるのだと思うけれど、英語圏の人たちは、もっといろんな民族の人が共存しないといけなくて、そのためには互いにきちんと意見を主張しないといけないだろうから、何かと主張する機会も多く、そういう類の語彙も多くなるのかなあと、思ったりする。

あとは、「評価する」とか「素晴らしい」とか、褒めるタイプの言葉も英語にとても多い。日本人は、積極的に他人を褒める人が、英語圏の人に比べて少ないように思うけれど、それも、日本はあまり多様な民族の人が集まっているわけではないから、という背景が関係しているのだと思う。日本人同士なら特に相手を積極的に褒める必要性がなかったということだと思う。

一方、アメリカみたいに様々な民族の人たちがいろんなところから移住してきた国だったら、互いに「仲良くしよう」「平和に共存しよう」という意識が必要になると思う。そういう社会のなかでは、相手を積極的に褒めたり、「敵対していない」という意思表示が必要だったりすると思う。そうすると、褒めるときの語彙も増える。

逆に、日本語のほうが語彙が多いのは、天候とか情景とか食べ物に関わる擬態語や擬音語。雨が降るだけでも色んな言い方があるとか、食べ物を口に入れたときの食感を表す言葉もすごい種類があるとか。情景を表したり、感覚的なことを表す言葉は多いと思う。もともと日本人は俳句とか詠むわけだしね。何か自分の意見を主張するというよりは、自然の風景を楽しむみたいな、それで感受したことを言葉にするみたいな文化があるのだと思う。そうやって感覚的な部分を他人と共有するようなことに向いている言葉なのかもしれない。

平安時代の人が、お庭を眺めながら「今日は雨がしとしと降って、お花に付いた雨粒が光っていて趣深いわ〜」「そうだねぇ〜」みたいなことを言って、なんとなくその情感を共有するような感覚は、今の日本人の若者にも受け継がれているのだと思う。

何か食べたとき「これ、もちもちしてて美味しいね」「そうだね」とか、いろんなものに対して「かわいいね」で通じるとか、素晴らしい体験をしたときに「これ、やばいね」「うん、やばいね」と言い、なんとなくその感覚を共有できているみたいなことがあるね。

そういう、「あまり論理的に説明はしていないのだけれど、五感で感じ取ったことを、感覚的に言葉にして他人と共有する」という文化は、たぶん大昔の日本人からあまり変わっていないんじゃないかと思う。そういう日本人的な感覚みたいなものが、日本語にも反映されて、食感を表す言葉や天候に関する擬音語や擬態語が多いみたいなところがあるんじゃないかと思う。

あと、英語と日本語の違いで文法的なことに関わる話としては、同じことを言うのでも、英語にすると、日本語で言うよりも、すごく主張がはっきりしているような、断言するような言い方になってしまうことがある。

頭の中で「んー、なんとなくこうかなあ」みたいに思っていることを、日本語で書くと、本当にそのまま「なんとなくこうかな」という曖昧なニュアンスになるけれど、同じことを英語で書こうとすると、なんだか「私はこう思います!」みたいな、断定的で明確な感じになってしまったりする。

それはもう、日本語自体が持っている性質と、英語自体が持っている性質によるところがあると思う。例えば英語だと、センテンスが成り立つためには、どうしても「主語」を必ず入れないといけないから、自分の意見を言う際には、毎度「I think〜」のように「I (私)」と言うことになる。そうすると、「私は」こう思っているんです、というように、「私が言っている」というニュアンスはどうしても日本語より強くなると思う。

あと英語は語順によって意味が変わるわけだから、日本語より文法がシステマティックというか、合理的にできている言語だと思う。だから、わりと論理的ではっきりしたことを言うには向いていると思う。それに対して日本語はわりと、「なんとなくこんな感じ」みたいな感覚的なことを伝えやすいかと思う。

そうすると、ずっと英語を使っている人は、わりと「私はこう思います!」的な、自分の意見を明確に主張するような話し方はしやすくなるし、ずっと日本語を使っている人は、自分の微妙な感覚を他人と共有するような話をしやすくなったりすると思う。そうなると、それはその国の人たちの文化や風潮にも影響する。

だから言語の勉強は、べつにコミニュケーションのツールとして必要だからという理由だけでするわけではなくて、その言語を知ることで、その言語を使っている人たちや、その言語が使われている国のことを知るためにやるものでもある。

単にコミニュケーションが成り立てば良いのであれば自動翻訳だけでも良いかもしれないけれど、本当に相手の考えを理解したいなら、その人の使っている言語を知らないと無理なのだと思う。

なぜなら人の思考や感性には、その人の使ってきた言語が影響しているし、その言語自体にも、大昔からその言語を使ってきた人たちの持っている民族性やその土地の性質などが反映されているはずだから。





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