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2022年08月23日21:32

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赤い龍、黒い獣

主の聖霊だけが、大きな赤い龍がその能力をもって、勝利を得ようとするその力に打ち勝つことがおできになります。
赤い龍は、この世紀において、どこにでも恐ろしいほど暴れまわって、人類を誘い、惑わそうとしています。
大きな赤い龍とは、神を否定し、神を頑固に拒絶するという“まちがい”をどこにでも広めてきた無神論的な共産主義のことです。
大きな赤い龍は、マルクス主義的な無神論です。そのうえ、10の角をもっています。それはすなわち、その手に握られているマスコミの力強い武器を示しています。この武器によって神の十戒に背くように人類を導いています。この龍にはまた、7つの頭があります。そして、それぞれの頭に7つの冠があります。それは、権力と大権のしるしです。冠のある頭は無神論的な共産主義が権利を握り、そのイデオロギーのもとに、政治的、軍事的権力をもって支配している国々を示しています。
大きな龍と呼ばれる理由は、龍が共産主義的な無神論の無敵の支配をもって全世界に大きく君臨しようとしていることを示しています。
その龍の色は赤です。それは、多くの占領の道具として戦争と流血を用いるからです。
大きな赤い龍は、いますでに、世界中のすべての国を惑わしてしまった論理的また実践的無神論の謬説をもって、人類を占領するのに成功したのです。
こうして、無神論に基づく唯物的利己主義、快楽主義の不毛で冷淡な新しい文化を作り上げました。しかし、この文化の中には、堕落と死の種が潜んでいます。
大きな赤い龍は、全人類が、神の支配に服従し、聖三位に栄光を帰することを、また、おん父がおん子を通じて、人類をご自分の光栄のためにおつくりになったそのご計画の完全な実現を妨げるために、悪魔的な役目をもっているのです。
主はわたしにその光をまとわせ、聖霊はその神的能力をまとわせてくださいました。そのためにこそ、わたしは「壮大なしるしとして天に現れた太陽に包まれた婦人です」(ヨハネ黙示録12・1)。
それは、全人類を大きな赤い龍の支配から取り戻し、聖三位一体に完全な光栄を帰するために連れ戻す役割を、わたしがもっているからです。

(聖母マリアからの1989年5月14日のメッセージ)

赤い龍は、マルクシスト的な無神論で、黒い獣は、フリーメーソンです。
龍は、その強大な勢力をもって現れてきますが、黒い獣は、影の中で動き、どこにでも入れるように、隠れたり潜んだりしています。その獣の足は熊、その口はライオンのようです。なぜならどこにでも狡猾に、そして、マスコミ、すなわち広報をもって働きかけているからです。その獣にある七つの頭は、あらゆる所に腹黒い危険な方法で活躍するフリーメーソンの様々なロッジ(集会場)を示しています。
この黒い獣は、十の角をもっていて、角には十の冠があります。それは、支配権と王権のしるしです。
フリーメーソンは、この十の角をもって全世界を支配し、おさめています。
角は、聖書の世界で、いつも拡声器の役目をはたしていました。つまり、角は自分の声を広くひびかせる方法、つまり広報の強い道具だったのです。
このために神は、み民にそのみ旨を示す道具として神の律法を知らせる十の角をもって、立ち向かわれたのです。それは神の十戒のことです。
この十戒を受け入れて守る人は、神のみ旨と喜びと平和の道を生涯歩みつづけます。
おん父のみ旨を行う人は、そのおん子のみ言葉を歓迎し、おん子によって、行われたあがないに、あずかるようになります。イエズスは、カルヴァリオ山上で完成された、そのいけにえによって、わたしたちのために獲得してくださったみ恵みを通じて、人々の霊魂に神ご自身の命をお与えになります。
あがないの恵みは、七つの秘跡を通じて与えられます。み恵みをもって霊魂の中に超自然的な命の種である善徳が入れられますが、中でもいちばん重大なのは、三つの対神徳(信仰、希望、愛)と四つの枢要徳(賢明、剛毅、正義、節制)です。聖霊の七つの“たまもの”の神的太陽に暖められて、これらの徳は芽生え、成長し、ますます発展します。こうして、人々の霊魂を愛と聖徳との輝かしい旅路へと導きます。
黒い獣であるフリーメーソンの役割は、腹黒く、しかも頑固な方法で戦って、人々がおん父とおん子から示され、聖霊のたまものによって照らされたこの道を歩むのを妨げることにあります。じじつ赤い龍は、全人類に神がいないかのように行わせ、神を否定させるために活躍しています。このためにこそ、無神論の謬説を広めるのです。
これと異なって、フリーメーソンの目的は、神を否定するのではなく、神を冒涜することです。
 この獣は、神に対する冒涜を吐き、神のみ名とその住まい、天に住むすべての人に対して冒涜を吐くためにその口をひらきます。
いちばん大きな冒涜は、神にだけ捧げるべき礼拝を断って、被造物と悪魔にさえも礼拝を与えることです。今のこの時代には、フリーメーソンの邪悪な活躍にそそのかされて、どこにでも、いわゆる黒いミサとサタン礼拝が広がってきています。
そのうえに、フリーメーソンは、人々の霊魂が救われないように全力を尽くし、こうして、キリストが行われたあがないのみわざを空しくしようとはかっています。
神は、十戒をもってその律法をお与えになりましたが、フリーメーソンは、その十の角の力をもって神の律法に完全に反対している法律を、どこにでも広めています。
“わたしのほか、だれも神としてはならない”という神のおきてに対して、フリーメーソンは、他の偽りの偶像神をつくります。今の時代には多くの人が、これらの偶像神に対してひれ伏し、礼拝します。
“あなたは、神のみ名をみだりによんではならない”というおきてに対立して、フリーメーソンは、神とそのキリストを腹黒い悪魔的ないろいろな方法で冒涜し、はては、神のみ名を不敬の商売の商標にまでしてしまいます。そのはなはだしいものは、キリストの生活と神性について汚聖的な映画までも、つくったことです。
“あなたは、安息日を聖としなければならない”というおきてに対して、フリーメーソンは、日曜日をウィークエンド、スポーツや競技や娯楽の日にしてしまうのです。
“あなたは、父母を敬わなければならない”というおきてに反対するために、フリーメーソンは、同棲だけでなく、同性愛者どうしの同棲にもとづいた家族の新しい型までも紹介しています。
“あなたは殺してはならない”というおきてに対して、フリーメーソンは、どこの国においても堕胎を正当化し、安楽死を認めさせ、人命の価値に対して示すべき尊敬をほとんど全面的になくすことに成功したのです。
“あなたは姦淫してはならない”というおきてに対して、フリーメーソンは、どんな不潔なおこないもほめたたえ、宣伝し、また、自然にそむく行いさえも正当化しています。
また、“あなたは盗んではならない”というおきてに反対するために、フリーメーソンは強盗、暴力、誘拐と略奪がどこにでもはびこるように働きかけています。
“あなたは偽証してはならない”というおきてに対して、フリーメーソンは、だましと、偽りと二枚舌の法律が日増しに広げられるように働いています。
 “あなたは、人の持ち物と妻とを盗んではならない”というおきてに背くために、フリーメーソンは、人間の知恵と心とをだまして、良心をその根底から腐敗させようとして働きかけています。
こうして人々は、神の律法に背く邪悪な、そして罪悪の道を歩むように強いられ、罪の中におぼれてしまうので、神の恵みと命のたまものを受けることができなくなります。
神の恵みのうちに生きることのみのりである対神徳と枢要徳の七つの徳に対して、フリーメーソンは七つの罪源を広めています。その罪源とは、すなわち、習慣的に罪の状態に生きることの実です。
フリーメーソンは、信仰に傲慢心を、希望に邪欲を、愛徳にどん欲を、賢明に憤慨を、剛毅に怠惰を、正義にねたみを、節制にどん食を取り替えようとしています。
これらの主な罪源のとりことなる人は、神にだけ捧げるべき礼拝を、神から奪いとって、偽りの偶像神に次第に与えることになります。これらの偶像神は、これらの罪源の権化そのものです。ここにこそ、いちばん大きな恐ろしい冒涜があります。
獣のそれぞれの頭に冒涜の名が書かれているのは、そのためです。
フリーメーソンのそれぞれのロッジ(集会所)は、それぞれ違った偶像神を礼拝させる役目があります。
第一の頭には、傲慢の冒涜的な名があります。それは信仰の徳に背く、人間の理性と自慢の神、技術と進歩の神を礼拝させています。
第二の頭には、邪欲の冒涜的な名があります。それは、希望の徳に反対し、セックスと不潔の神を礼拝させます。
第三の頭には、どん欲の冒涜的な名があります。それは、愛徳に背き、どこにでも金銭の神に対する礼拝を広めます。
第四の頭には、憤慨の冒涜的な名があります。それは、賢明の徳に背き、不和と分裂の神を礼拝させます。
第五の頭には、怠惰の冒涜的な名があります。それは剛毅の徳に背き、恐れ、世論、労働搾取の偶像神への礼拝を広めます。
第六の頭には、ねたみの冒涜的な名があります。それは、正義の徳に背き、暴力と戦争の偶像神を礼拝するように導きます。
第七の頭には、どん食の冒涜的な名があります。それは、節制の徳に背き、今日、これほど高められている美食(エドニズム)と、唯物主義と快楽主義の偶像神を礼拝させます。
フリーメーソンのそれぞれのロッジ(集会所)の役割は、今日ひじょうに狡猾に働きかけています。それは、神の聖なる律法を人々に侮辱させ、面と向かって神の十戒に背かせ、神にだけ捧げるべき崇敬を神から奪いとって、偽りの偶像神に与えさせることです。
こうして、ますます多くの人が、これらの偶像神をほめたたえ、礼拝するようになりました。その偶像神とは、理性、肉欲、金銭、不和、支配、暴力、快楽のことです。
こうして人々の霊魂は、悪と罪悪と罪の暗いどれい制度に落とされて、死と神の審判のときに永遠の火の池である地獄に落とされてしまうのです。
これらの時代に、黒い獣であるフリーメーソンの恐ろしい腹黒い攻撃に打ち勝つために、わたしの汚れない心が、あなたたちの避難所と、神に向かうたしかな道になるということが、今おわかりになったでしょう。
黒い獣の腹黒い策略に反抗し、これに打ち勝つために、あなたたちの天の母が使う作戦が、わたしの汚れない心に現れています。このために、わたしは、次のことをすすめます。
神の十戒を守るように。
福音を文字通りに生きるように。
秘跡を、とくに許しの秘跡と聖体拝領を、神の恵みを保つために必要な手段として、しばしばあずかるように。
善と愛と潔白と聖徳の道をいつも歩み続けるために、善徳を立派に守るように、と。
こうして、わたしは、わたしのすべての子らを養成します。
そして、わたしに奉献されたわたしの小さな子らであるあなたたちを使って、わたしは、黒い獣が加えている腹黒いいざないをすべてあばき、今日フリーメーソンがキリストとその教会に対して加えている大きな攻撃を空しくすることができます。最後に、特に、獣がその最大の敗北を受けるときに、世界におけるわたしの汚れない心の勝利はその完全な輝きをもって現れるでしょう。

聖母マリアからの1989年6月3日のメッセージ

太陽に包まれた婦人であるわたしと、人類に神なしに生きるようにさせた大きな赤い龍との間の大きな戦いを、わたしはファティマで前もって知らせたのです。
あなたたちを神の律法を守ることから遠ざけて、罪と悪徳とのとりこにするためにフリーメーソンが暗闇に包んだ腹黒い働きを、わたしは前もって示したのです。
とくにわたしは、母として、今日教会をおびやかしている大きな危険について警告しようと思いました。その危険は、教会を亡ぼそうとして教会に加えられるたくさんの悪魔的な攻撃によるものです。
この目的を果たすために海からのぼる黒い獣を助けるために、地からもうひとつの獣がのぼっています。「それは、子羊のような二本の角をもっている獣です」(ヨハネ黙示録13・11以後)。
聖書では子羊はいつも、いけにえのシンボルでした。エジプトから出たその夜子羊がいけにえにされ、その血をヘブライ人の家の“かまち”に塗りました。それは、すべてのエジプト人に加えられる天罰から逃れさせるためでした。
ヘブライ人のすぎこしは、毎年このことを記念するために子羊をいけにえとして、これを食べます。
カルヴァリオ山上で、イエズス・キリストは、人類のあがないのために、ご自分をいけにえに捧げ、ご自分をわたしたちのすぎこしとします。こうして彼は、世のすべての罪を取り除くまことの神の子羊となります。
その獣は、子羊のような二本の角をもっています(13・11)。
いけにえのシンボルに司祭職のシンボルが密接に一致しています。そのシンボルとは、二本の角です。
旧約時代の大司祭は、二本の角のある帽子をかぶっていました。
完全な司祭職を示すために教会の司教たちがかぶる帽子(ミートリア)にも、二本の角があります。
豹に似た黒い獣は、フリーメーソンを示し、子羊のような二本の角をもっている獣は、教会の内部に侵入したフリーメーソン、つまり教会的フリーメーソンを示していますが、これは高位聖職者の間に特に広がっています。教会内におけるフリーメーソンの侵入のことを、「悪魔が教会の上層にまで入りこむでしょう」と、わたしがすでにファティマで知らせたのは予言でした。
フリーメーソンの役割は、偽りの偶像神を礼拝させて人々の霊魂を亡ぼすことにありますが、教会的フリーメーソンのねらいは、キリストと、その教会を亡ぼすことにあります。
このために、もうひとつの偶像神、つまり、偽りのキリストと、偽りの教会を作ることです。
イエズス・キリストは、生きる神のおん子です。人となられたみことばです。なぜなら、ご自分の唯一のペルソナのうちに人性と神性をあわせているからです。
イエズスは、ご自分が真理であり、道であり、命であると言って、福音書の中で、ご自分の最も完全な定義を与えてくださいました。
イエズスは真理です。なぜなら、わたしたちにおん父を示し、おん父の決定的なみ言葉を述べて神の示しをすべて完全に実現させるからです。
イエズスは命です。なぜなら、あがないによって、またご自分が報いたみ恵みをもって、わたしたちに神ご自身の命を与えて、み恵みを分け与える有効な手段として秘跡を定めたからです。
イエズスは道です。なぜなら、わたしたちが救いに辿り着くために歩むべき道として与えてくださった福音をもって、おん父にわたしたちを導く道だからです。
イエズスは真理です。なぜなら、生きるみ言葉であるイエズスが神の示し全体の冠だからです。それで教会的フリーメーソンは、イエズスの神的み言葉を自然的な理性主義的な解釈をもって、くらませようと働いています。こうしてキリストのみ言葉をもっとわかりやすくし、もっと容易に歓迎するために、そのすべての超自然的な内容をはぎとります。
こうして、カトリック教会自体のいたる所に謬説が広がっていきます。これらの謬説が広げられる結果として、今日多くの人は、まことの信仰から離れていきます。こんなふうにして、わたしがファティマでした予言、すなわち、多くの人がまことの信仰を失う時が来るだろうという予言が実現してきます。信仰を失うことは棄教です。教会的フリーメーソンは、すべての人を棄教に導くために、腹黒い悪魔的な方法をもって働いています。
イエズスは、み恵みをお与えになるから、命です。
教会的フリーメーソンの目的は、罪を正当化すること、罪を悪としてではなく、一つの価値、一つの善として紹介することにあります。
このために、人間性の要求を満足させるための手段として罪を犯すように励ましています。こうすれば、心に痛恨が生じ得る根を破壊して、罪をもう告白する必要はないと言っています。
全教会に広がったこの呪うべき癌のひじょうに有害な結果として、個別告白はどこからも消えてしまったのです。
つまり、人々の霊魂は、イエズスが与えてくださった命のたまものを拒絶して、罪の中に生きることになれてしまうのです。
イエズスは福音を通じておん父に導く道です。
教会的フリーメーソンは、種々の“文学類型”を適用して唯理主義的な自然的解釈を紹介する聖書解釈を励ますのです。こうして福音書は、どこからでも、荒らされてしまうのです。この結果として最後には、キリストの奇跡とその復活との歴史的な事実さえも否定するようになり、キリストの神性そのものと救い主としての使命そのものまで疑わしいものとします。
歴史的なキリストを破壊してから、子羊のような二本の角をもっている獣は、神秘的なキリストである教会を亡ぼそうと努力します。
キリストから制定された教会は、ただ一つです。つまり、ペトロの土台の上に建てられた聖、公、使徒伝来、唯一の教会です。
イエズスから建てられ、その神秘的な体である教会もイエズスと同じように、真理、命、道です。
教会は真理です。なぜなら、イエズスが信仰の遺産全部を完全に守る使命をおまかせになったからです。それは、教皇と教皇と一致している司教たちからなる位階教会にこの使命をおまかせになったからです。
教会的フリーメーソンは、偽りのエキュメニズムをもって、この事実を破壊しようとしています。偽りのエキュメニズムは、すべてのキリスト教の諸教会のそれぞれが真理の一部分をもっていると言い張って、これらを全部同程度に歓迎しなければならないと宣言します。
このエキュメニズムは、キリスト教のすべての教会、中でもカトリック教会も含めて、統一した世界的エキュメニカルな教会をつくろうとする計画を励ましています。
教会は、み恵みを与えるから、命です。教会だけが、恵みを授けるための有効な手段、つまり七つの秘跡をもっています。
教会は特別に命です。なぜなら、教会だけが奉仕的位階的司祭職を通じてご聖体をつくる権能をもっているからです。ご聖体の中に、イエズス・キリストは、その光栄あるおん体と、その神性をもって実際に現存しています。
教会的フリーメーソンは、たくさんの腹黒い方法をもって、ご聖体の秘跡に対する教会の信心を攻撃しようと努力しています。
フリーメーソンは、晩餐の面だけを目立たせていけにえとしてのその価値を最低限度にし、聖別されたホスチアにおけるイエズスの実際の位格的(ペルソナ的な)現存を否定しようと努力します。
このために、ご聖体におけるイエズスの実際の現存に対する信仰を示すすべての外部的なしるしを少しずつ取り消してしまったのです。しるしとは、ひざまずくこと、公式の礼拝の聖時間、聖ひつをあかりと光で飾る聖なる習慣などのことです。
教会は道です。なぜなら、おん子により、聖霊を通じて完全な一致の歩みで、おん父の所へ導くからです。
おん父とおん子は一つであるように、あなたたちもお互いに一つでなければなりません。
イエズスは、その教会が、全人類の一致のしるしと道具になるようにお定めになったのです。
教会は、その一致の、すみの親石の上に建てられているから、一致であることができます。その親石は、ペトロとペトロのカリスマを受けついでいる教皇です。
それで、教会的フリーメーソンは、教皇に対する腹黒い、あざむきの攻撃をもって教会の一致の土台を破壊しようと努力します。
教皇に対する不賛成と反対の網をはるのも、教皇をぶじょくし、従わない人を支持して、報いを与えるのも、また、司教たちや神学者たちの批判と抵抗を宣伝するのも、教会的フリーメーソンです。
こうして教会の一致の土台そのものが破壊され、教会は次第に傷つけられ、分裂します。
最愛の子らよ、わたしがあなたたちを、わたしの汚れない心に奉献するように招き、母としてのこのわたしの避難所に入るように招いたのは、何よりも、この恐ろしいわなに、あなたたちがかからないように守るためです。このゆえにこそ、わたしは、わたしのこの運動の奉献の祈りの時に、出世したいというどんな望みも放棄するようにいさめたのです。こうすれば、わたしのたくさんの最愛の子らを自分の秘密結社に組みさせようとするフリーメーソンがしかける最も危険な落とし穴に、あなたたちは落ちないですむでしょう。
わたしは、あなたたちを信仰の勇敢なあかし人として、真理であるイエズスに対する熱烈な愛へと導きます。わたしは、あなたたちを偉大な聖性に高めて、命であるイエズスに対する熱烈な愛に導きます。そのために、あなたたちが、生きた福音となり、これを文字通りに伝えるように願います。そしてわたしは、教会に対する最大の愛に導きます。
真理である教会を愛させます。そのために、あなたたちが、力強く勇気をもって、すべての謬説に立ち向かうと同時に、カトリック信仰のすべての真理を力強く宣言するものとします。
忠実な聖なる司祭となることを助けて、わたしは、あなたたちを、命である教会の奉仕者とします。人々の霊魂の必要に対して、いつも開かれたものとなり、許しの秘跡を願われる時は、寛大な犠牲心をもってこれを承知してください。また、ご聖体のうちに現存しておられるイエズスに対する愛と勇気に燃える炎となってください。
あなたたちの教会において、祭壇の最も聖なる秘跡に対する礼拝と、つぐないとの公式の聖時間を、これからたびたび持つようにしてください。
わたしは、あなたたちを道である教会のあかし人とし、その一致の貴重な道具となるようにします。このために、わたしは、この司祭のマリア運動の第二の目標として、教皇に対する特別な一致を示す目標を与えたのです。
あなたたちの愛と忠実のおかげで、教会の完全な一致の神のご計画は、その完全な光をもって、再び輝くようになるでしょう。こうして、今日キリストとその教会を滅ぼすために、教会的フリーメーソンが示しているその暗闇に包まれた力に対して、わたしは、わたしに忠実な司祭たちからなるわたしの軍団の力強い光を輝かせます。それは、キリストを、すべての人が愛し、そのみ言葉を受け入れ、彼に従うように、そしてキリストの教会が日ごとに愛され、守られ、聖とされるためです。
このことにおいてこそ、太陽に包まれた婦人の勝利が特別に輝き、わたしの汚れない心が、その最も輝かしい凱旋を受けるでしょう。

(聖母マリアからの1989年6月13日のメッセージ)
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