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2022年08月07日08:25

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カウチな夜

土曜日、家飲みの酒がばっちりキマって生産的なことは何もできん(^^;。で、録画した映画を見ながら朝までボーっとしてました。

フィンランド映画が2本。
1本は「TOVE(トーベ)」。あのトーベ・ヤンソンの伝記(というか半生記)映画です。
「ムーミン」のイメージから、夢見がちで想像力があり、穏やかな人柄のみんなに愛される素敵な女性、みたいな美化をしてる人が多い(俺もその1人でした)だろうけど、映画に描かれている彼女は全然違って、先入観で見ているとぶっ飛ばされます。

野心的で過敏な心を持ち、同じ職業の父と折り合いが悪い、若い(そして売れない)尖った画家が、リアルのトーベとして描かれている。自由に生きられないやるかたない気持ちを紛らわすために描きなぐった漫画が、新聞社(地方紙?)の目にとまって連載を依頼されたのが「ムーミン」の始まりだったらしい。

映画はトーベとムーミンの関係にフォーカスせず、不倫とかLGBTとか、かなり自由な(というか荒れていた)彼女のプライベートを中心に進みます。
その中で、ファンタジーではなくリアルな葛藤からあの寓話が生まれたことが暴かれていく。とくに、恋人との関係の中でムーミンの重要なキャラが生まれていった事実は、とても興味深いです。

印象に残ったのは、恋人との寝物語で交わされる、
「トーベ、ミムラ姉さんはきっとあなたね?」
「…どうしてわかるの?」
というやりとりとか、「トフスランとビフスラン」というサブキャラ(とても仲がいい2人の妖精)がトーベと恋人の投影で、ムーミン作中での彼ら独特のしゃべり方(たとえば「朝が来た」を「きさがあた」と音を入れ替えて話す言葉遊び)を、トーベと恋人が実際にやって楽しんでいたという描写。

牧歌的なファンタジーが、必ずしも平和な心から生み出されるわけじゃない、という考えれば当たり前の事柄を突きつけられて、この映画を嫌い認めないムーミンファンが大勢いるそうです。俺はむしろ、この映画を見て安心したというか、ムーミンの作者が美化された実在しないレジェンドになってしまうのを食い止めた、意義深い映画だと思いました。

もう1本、「世界でいちばんしあわせな食堂」という映画を見ました。
ラップランドの小さな村の食堂(献立はソーセージとじゃがいもだけ)に、上海から来た凄腕の料理人親子が住み着いたことから発生するあれこれを描いたお話。

邦画に置き換えると、バツイチの倍賞千恵子が切り盛りする田舎の食堂に、訳ありだが凄腕の中華シェフである高倉健が転がり込んで、得意の薬膳料理で食堂を繁盛店に成長させる中で繰り広げられる人情劇、みたいな感じです。伊丹十三の「タンポポ」になぞらえても、まぁ大丈夫かと思う。

けど、この映画の胆はたぶんそこじゃないです。北欧と中国という普通なら全く接点を持たない文化が、食堂を媒介に互いに影響し合いわかり合い、ダイバーシティなコミュニティが生まれる話になっている。世間が狭い日本映画では描けない、大きな物語です。「癒やしのハートウォーミングストーリー」とか陳腐な言葉でまとめようとするのは、単一民族単一文化の島国から出られない人の見当違いで、理解が浅いと思う。

料理人は薬膳と太極拳(本当は台湾のものだけど)で人々の健康を思いやり、末期がんを患った常連のお爺さんが「あんたの料理を食べると身体の調子がいいんだ」と言って、お礼にと彼をサウナにぶち込み、筏船での川釣りと、その魚を使ったバーベキューパーティーに招待するくだりがとてもいい(*^。^*)。大使が互いの首都を行き交い、でかいイベントを一発やって2泊4日で帰っていく「文化交流」がいかに薄っぺらなものか、いたく感じ入ります。

最後、料理人と恋仲になった女主人が、ビザが切れて帰国してしまった彼を追って中国に飛ぶ、飛行場のシーンで終わるんだけど、ここも「今度はフィンランド文化が中国に入り込む番だ」という暗示みたく思う。「人はそうやってわかり合ってゆくのだ」という、監督の強い主張を感じます。

以上のことから、「世界で一番しあわせな食堂」という邦題も、原題と全然違うんじゃないかみたいな妄想もしている。まぁそこを掘りに行くほど熱心には見てないけど(^^;。

ポテトチップスの代わりに、素焼きのミックスナッツが映画のお供でした。「こっちの方が断然身体にいいもんね」と思うと、これも理解が浅い。俺みたいに一晩中むさぼり喰ったら同じですあせあせ
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