どこかに嵌まらないと人間じゃないのか
それは明らかにおかしい
常に求められる種類の「コミュニケーション」は私にとって
無味乾燥でそらぞらしさ纏う長い手続きと変わらない
むしろ不要
過去の記録から推察すると
みずみずしい慣衆や思想から「旨み」が去って久しい
何もかも終わってから育った
「あやし」と「たらし」
相手を緩ませ和ませる
とてもよく似ている
そこには計り知れない凶気や策略が巡らされていても
大概の人間は自分そのものがまるごと受け入れられたかのような
その心地よさ温さに慣れ
まともな判断の軸がぼやけて
善悪よりも優先させるという愚をおかす
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