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2022年06月07日07:47

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小噺0362 シーランド公国

世界最小の国家は、1929年に独立したバチカン市国、面積は0.44km2とされています。この国は公式の独立国家ですが、非公式にはこの国の110分の1しか面積がない極小国があります(ロシアの43億分の1)。それがPrincipality of Sealand(シーランド公国)です。
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第二次世界大戦中の1943年、イギリス・サフォーク州の沖合11kmの北海にHM Fort Roughsという人工島が作られました(どう訳せばよいのでしょう。fortは要塞、roughsは乱暴者という意味ですが?)。
Guy Maunsell(ガイ・マウンセル)という人が設計した面積4000m2(東京ドームの約12分の1)ほどのこの人工島は、ドイツ軍がイギリス本土に上陸するのを阻止するための部隊を駐留しておくためのものでした。沿岸のエセックス州ハリッジは重要な貿易港ですから。

戦後も解体されることなく海上にそびえていたこの海軍施設は、イギリスの領海の外側にありました。だから1967年9月2日にPaddy Roy Bates(パディ・ロイ・ベイツ)が自らを元首とするシーランド公国として独立を宣言したのです。
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尤もイギリス政府はこの独立を認めませんでしたのて、あくまで非公式でしたけど。
それでもパディ・ロイ・ベイツは、1975年にシーランドの国旗・国家・通貨(シーランド・ドル)を制定、パスポートを発行しています。
1978年8月、シーランドは未曾有の危機を迎えます。
自らを「シーランド公国の首相」と(勝手に)主張するドイツ人弁護士Alexander Achenbach(アレキサンダー・アシェンバッハ)という人物が、ドイツとオランダの投資家と組んでシーランドにクルーザー係留施設・ヘリポート・高級ホテル・カジノなどを建設しようと画策したのです。
紆余曲折あった後アシェンバッハは反逆者として捕らえられ、罰金としてDM(ドイツマルク)75,000(約680万円)を課せられます。これに対しドイツ政府は不当だとしてロンドン大使館から外交官を派遣、交渉にあたらせました。
数週間の話し合いの結果、パディ・ロイ・ベイツはアシェンバッハを釈放(罰金を取らずに)しましたが、外交官の訪問はシーランドを独立国家と認めたことになる、と胸を張ったということです。

その後アシェンバッハはシーランドに亡命政府を作ろうとしました。しかし1987年にイギリスが領海を拡大すると、その中に入ったシーランドは正式にイギリス領となりアシェンバッハの亡命政府計画が実現する可能性はゼロになりました。

1997年、シーランドは過去22年間に発行したパスポートが犯罪に利用される可能性があるとして無効にしています。

2006年6月23日、プラットホーム上で火災が発生しました。ケガ人はサフォーク州イプスウイッチの病院に搬送されました。
原因は電気設備の不備とされています。ダメージは11月までに修理されたとのことです。

2007年1月、スウェーデンのIT企業がシーランド購入を打診しました。売買は成立しませんでしたが、その不動産としての価値が認識されるようになったシーランドは、2007~10年にスペインの業者を通じて7億5000万ユーロ(約900億円)で売りに出されました。購入者は現れませんでしたが。

2012年10月9日にパディ・ロイ・ベイツ(長らくアルツハイマー病を患っていたようです)が91歳で亡くなり、息子のMichael Roy Bates(マイケル・ロイ・ベイツ)が元首を引き継ぎます。
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アシェンバッハのような人物も居ましたが、シーランドは所詮ベイツ一家が勝手に国家と宣言したに過ぎません。
サフォーク州に住んで息子と共にFruits Of The Sea(海の恵み)という釣具店を経営していたマイケルは、シーランドには訪れているだけなので不法占有とはいえずイギリス政府は罰することができませんでした。マイケルは住んでいると主張していましたが。
だから、2015年に2名と公表されたシーランド公国の人口は、実際はゼロでしょう。国家の様相を呈しているとは言えない状態です。
もてはやされた時期もありましたが、時の流れと共にシーランドはフェイド・アウトしていったのです。
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